訪問者
砂で汚れた白いローブを身に纏う男は、我が家の玄関を前にして安堵した様子で言った。
「なんとお礼の言葉を申し上げれば良いのか……おかげさまで、あの砂嵐に巻き込まれずに済みました」
「気になさらないで。道ゆく旅の方々を迎えるのは当然のことですから」
サヴィが男のローブを小さい箒で叩きながら、そう言葉を返す。彼の手荷物を預かった俺も、同じく歓迎の意を伝えた。
「だいぶ歩き疲れただろう? 大したもてなしは出来ないが、ゆっくりして行ってくれ」
「ありがとうございます――」
そう言ってローブの男が小さく頭を下げる。
「オポと申します。どうぞよろしくお願い致します」
それは久々の訪問者だった。
我が家を訪れたのは、人間が1人と旅道具を積んだ連れの荷役羊が1匹。サヴィが見つけた時には、そばを通る古い街道を東の方から歩いていた。迫りくる砂嵐は野宿でやり過ごすつもりでいたらしいが、偶然にもこの家を見つけたので急いで避難しにきたらしい。
稀ではあるが、こういう訪問者は時々いた。家の前の街道を誰かが通ることは滅多にないが、それでも数年に1回の頻度で、休息や寝泊りのために通行者が我が家へとくることがある。
宿屋をしているつもりはないが、この道沿いにはほとんどそういう場所がなく、隣の家までは歩いて半日以上も離れているため、この辺りで屋根のある所を求めるとしたらこの家しか選択肢がない。しかもここから西は、高原地帯の峠を越えるまで誰も人が住んでいない過酷な地域が続いている。赤錆色の景色が延々と広がり、植物も岩場を好む僅かな種類しか生えていないような荒野だ。そんな場所を通る前後に、屋根のある場所で体を休めたいと思うのは当然だろう。
もちろん旅人のそういう感情を拒絶する理由も無いため、訪問者はいつも快く受け入れていた。
「さぁ中に入って」
数十分前までは地平線の先に見えていた砂嵐が、今はもうすぐそこにまで迫っていた。オポと名乗った男をとりあえず家の中に入れてから、残っていた畑の片付けを急いで済ませる。最後は砂の流入を防ぐために扉や窓がきちんと閉まっているかをチェックして回り、俺たちの籠城態勢は整った。
いつも訪問者を泊める時に使っている空き部屋へ男を案内した後、しばらくはお互いの時間が流れた。男が休息や荷物の整理をしている間、俺とサヴィは家内での仕事や夕食の準備を進め、あっという間に外が暗くなっていく。
「ほら、もう時間だわ」
サヴィのその声で、仕事に集中していた俺は日没だということに気付いた。天に輝く宵の明星に向かって、救済の祈りを捧げる時間だ。外では砂が吹き荒れ、玄関を出ることも窓を開けることも出来ないが、どの方角に星があるのかはサヴィが完璧に把握している。
「旅の方も呼んできて。せっかくだから一緒に祈りましょう」
「……分かったよ」
よりによって星が見えない日に、歩き疲れたであろう旅人を妻の信仰心に付き合わせるのは申しわけなく思う。それに万が一にも、近頃街で広がっているらしい異端の教えの信奉者であったらと考えてみたが、客人のためにいつもより豪華な夕食を用意してくれたサヴィの気持ちも汲んで、今回は彼女の言葉に従うことにした。
幸いにして、ローブの男は是非にと言ってくれた。いつもなら西の空が見える窓の前に3人で並び、砂で隠された宵の明星を仰ぎ見る。
「地球に住まう、偉大なる我らの祖よ――」
サヴィの先導で、祈りの言葉を捧げる。横目で見ると、オポも両手を組んで西の空を眺めていた。
「ここに未熟な我らの姿を晒します。どうか、このか細い声にお気付きください。大地は無慈悲で、砂が全てを覆い尽くさんとしています。この赤い世界に生きる我らの未来を、どうかあなた方のその手でお示しください。
助けを求める言葉、救難信号、〈失踪〉後の俺たちの無力さと"彼ら"の全能。この世界を創造し、俺達を産み、それから姿を消した神々へ捧げる告白と渇望。それらが幾度も天に向けて綴られる。
「――救いの手を差し伸べてくださるその日まで、我らは地球に住まうあなた方を信じます」
いつもの言葉で、今日の礼拝が終わった。それから少しの間、沈黙の時間が流れる。ついさっき捧げた言葉は、見捨てられた子供達の悲痛な叫びであるはずなのに、サヴィはいつも通りの満足気な表情を浮かべながら、ぼんやりと空を眺めていた。オポは妻と違って表情が硬かったが、同じく余韻に浸っている様子だった。
地球に思いを馳せていないのは、どうやら俺だけらしい。だから言った。
「さて、夕食の時間だろう?」
そしてサヴィに食事の準備へ戻るよう促す。地球よりも、こっちの方が遥かに大事だった。
こんな辺鄙な場所に暮らしていると、常に知らない話に飢えてしまう。訪問者を加えた夕食の席は、その飢えを満たしてくれる貴重な機会で、俺はそれが好きだった。
いつもより豪華な夕食が並ぶ食卓を3人で囲んでいるとき、自然と話は旅人のことになり、俺は気になっていたことを彼に聞いた。
「あんた、なんでこんな辺鄙な場所にきたんだ?」
オポはインゲンマメのスープを一口飲んでから答えた。
「テンペ市に滞在中、この地域に遺跡があると聞いたのでやって来ました」
遺跡――その言葉に真っ先に反応したのは、俺ではなくサヴィだった。
「もしかして、あなた巡礼者……?」
そう言いながら、サヴィの目が大きく見開く。
オポは妻のその驚きようを見て恥ずかしくなったのか、伏し目がちになって言った。
「えぇ……はい。そうです。お察しの通り、巡礼の旅をしております」
その答えを聞いたサヴィの表情が、見るからに嬉しそうになる。感情の昂りで、視線がしつこく巡礼者と俺を行き来する。
「そんな――えと、あの巡礼者の方が私達の家に来て下さったのは初めてのことで……あぁなんて有難いことなんでしょう……」
サヴィの言う通り、巡礼者の来訪は初めてのことだった。それどころか、今まで直接出会ったこともない。人から聞いた、そういう熱心な信仰者が居るという話の中でしか、その存在は認知していなかった。
そんな稀有な肩書を持つ人間が、今は目の前にいる。長旅が当たり前だからか、想像していたよりもその姿は質素で、吹き付ける砂で傷んだのであろう服や荷物を見ると、正直言ってみすぼらしい。
以前に巡礼者の存在をサヴィから聞いた時には、文明の痕跡を巡る信仰の体現者だと評していた。しかしこれがその体現された信仰の姿だと言うのなら、地球へ向けた救助要請のなんと貧弱なことか。
もちろん、目を輝かせているサヴィは微塵もそんなことを思っていないだろう。砂嵐が吹き荒れる赤い世界を渡り歩き、"彼ら"の遺跡に思いを馳せて生きていく。信心深い者にとって、巡礼者とは憧れの存在であり、地球に対する祈りの究極的な形だ。
「その献身の姿、尊敬の念に堪えません……」
そう言いながら、サヴィが手を組む。"彼ら"に祈るときと同じように。
だがオポはあくまで謙虚だった。
「いいえ、私はそんな大した者ではないのです。どうぞ普通にしてくださいませ」
落ち着きない様子で手を振って、自分に対するサヴィの認識を撤回させようとしているが、妻は何も言わない。そこで今度は、俺がオポに話し掛けた。
「あんた、遺跡があるって言ったが――そりゃあどこのことだ? ずっとここで暮らしてるが、そんな話は今まで聞いたことない」
「そうでしたか。であれば、きっと教会もその存在を知らない遺跡なのでしょう。私がこれを知っているのは、仲間が古い文献から読み解いてくれたからなのです」
「教会が知らない遺跡なんてあるのか」
「えぇもちろん。旧文明の残滓はこの惑星の至る所に残っています。砂に埋もれてしまったり、近くに人が住んでいないせいで見つかっていない遺跡も多くあることでしょう。私が向かおうとしている場所も、そういった未発見の遺跡の1つと思われます」
「あぁ、なんと高貴なお役目……」
隣のサヴィは、すっかり心酔した様子だ。
「向かうって言っても、道が続いてるわけじゃないだろう。どうするんだ?」
「それはもう、荒野を探し歩くしかありません」
驚いた。目の前の男が、まさか未踏の遺跡を探しているほどの熱意溢れる旅人だったとは。巡礼者というのは全員がこうなのだろうか。
俺は信念を持ったその行動に素直に感心したが、同時に不安も感じていた。辺りに広がる荒野は、地平線の先まで延々と続いている。やみくもに探すだけでは、生きて戻れない可能性もあるだろう。それにこんな何もない土地に、本当に遺跡があるのだろうか。
「……歩き回って見つかるとは、到底思えない」
「えぇ、そうでしょう。ですがご安心を。おおよその見当は付いております」
オポはそう言うと、懐に忍ばせてあったあるものを取り出した。それはテンペの街で仲間から貰ったという、遺跡の場所を示した地図だ。真ん中に1本の線が横向きに走っていて、地図の北から西にかけてはアスクリス高原の丘陵を意味する模様が取り囲んでいる。
「これはこの平原の地図です。中央のこの線が街道で、お二方の家があるのは、だいたいこの辺りでしょう」
そう言って、オポは西の丘陵から少し右にずれた街道上の場所を指さした。
「そして私が向かおうとしている場所は――」
我が家をさしていた指が南に動いていく。丘陵の模様の淵を辿っていき、やがてとある場所の上で止まった。
「このクレーターです」
丘陵の中に円が描かれていた。我が家から見て高原地帯沿いの南、地図に描かれているものをそのまま信じるとすれば、比較的大きなクレーターだ。どうやらその中に、オポが探している遺跡があるらしい。
俺は、ふとあることを思い出した。
「見たことがある……」
ほとんど無意識に出た言葉だったが、それを聞いてオポは驚いたような表情になった。
「え、訪れたことがあるのですか!?」
「あぁ、いや――遺跡を見たわけじゃない、クレーターだ。しかもこの地図に描いてあるやつかは分からない」
「構いません。ぜひ詳しくお話を聞かせてください」
オポの予想外の反応に困ってしまったが、巡礼者のために話すよう勧めるサヴィの目と、オポの興味津々な様子を見て、俺はクレーターの話をすることにした。
「その……実は畑の向こうを少し行ったところに、雨季の時だけ水が流れる
「見慣れない葉っぱ、ですか……」
「あぁ。それで川が南西の方から来ていたから、俺も同じ方向に行ったんだ。だが結論から言うと、オアシスはどこにもなかったよ。ずっと歩いたが、川はアスクリス高原の奥まで続いていて、俺は斜面の手前でこれ以上遡るのを諦めた。その時近くで見つけた山が、たぶんクレーターだったと思う。頂上が平らで、高原の稜線とは明らかに違う見た目をしていた。目立って高かったし、斜面も急だったな」
「想像通りだと思います。きっとクレーターの外側を見ていたのでしょう。ちなみにそのクレーターを見たのは、家からどれくらい歩いた時ですか?」
「2日か3日くらい歩いたと思う。良い土地が見つかると信じていたから、ずっと歩いたよ」
それを聞いて、オポは地図を眺めながらしばらく考え込んだ。
「……おそらく見つけたのは、私が探しているこのクレーターでしょう。他に目立つようなクレーターはないですし、地図上で分かる街道からの距離とあなたが歩いたであろう距離もだいたい同じだ」
「じゃあ俺は、知らないうちに遺跡の目前にまで迫っていたと?」
「見つけられなかったのは仕方ありません。山の向こうに遺跡があるなど、誰も想像出来ることではありませんよ」
「いや、まさかこんな荒涼とした場所にあるわけが……」
お互いに興味津々になっていた夕食の席が、ここで静かになった。
信じられない。だが、オポは真実だと思っている。そしてサヴィは、もちろんオポの話を信じていた。
「お願いしたいことがあります」
沈黙を破ったのはオポだった。姿勢を改め、俺の目を真っ直ぐに見ている。
「どうか私を、そのクレーターまで案内していただけませんか? きっとそこが遺跡の眠る場所なのです」
その言葉に、俺は戸惑った。多少はクレーターのことが気になるが……しかしこの冬の時期に、家から離れて一緒に来てくれだって?
「いや、またすぐに砂嵐がくるかもしれないんだ。流石に――」
「えぇぜひ付き添いましょう。ね、あなた?」
サヴィが勢いよくそう言って、俺を遮った。向けられた視線から、快く承諾するのが当然だという無言の圧が伝わってくる。今のサヴィは、巡礼者が求めるサポートに何でも答えるつもりらしい。
「待ってくれ。案内したら、誰が畑の世話をするんだ? この時期に放っておいたら、すぐに砂に埋もれてしまうぞ」
「前みたく1週間くらいで戻ってくるでしょう? なら私が家に残る。私は行ったことがないから、案内できるあなたが行くしかないわ」
「しかし……」
「これはとても名誉なことなのよ? 高貴なお役目に私達が力をお貸しできるなら、それを断る理由がどこにあるの? 新しい遺跡を見つければ、きっと教会にも褒めていただけるわ」
何も言い返せなかった。サヴィは本気だ。ここで俺が駄々をこねても彼女の不満が募るだけで、しまいには自分が行くと言いかねない。それはそれで受け入れがたいことだった。
「……分かったよ。行く、俺が案内する」
「本当に良いのですか?」
サヴィとのやり取りを黙って聞いていたオポが、そう言って俺の様子を覗う。
「あぁ。どうせあんたが遺跡を見つけて教会に報告したら、別の巡礼者がいつかくることになるだろう? なら、今場所を知っておいた方が良いと思っただけだ」
そして、俺は食事の前に礼拝をした窓の方を見た。窓に当たる砂のサラサラという音が、礼拝の時よりも小さくなっているように感じた。
「風が弱まってる。明日の朝には出発できるかもしれない」
「ならすぐに準備をしないといけませんね」
夕食後、俺たちはそれぞれの準備に明け暮れた。俺は野営道具を用意し、その間にサヴィは数日分の保存食を作ってくれた。俺にとっては久々の遠出になる。
就寝前、外がすっかり静かになっていたことに気付いて、ふと窓から外を眺めると、空にいくつもの星々が輝いているのが見えた。既に砂嵐は過ぎ去っていた。オポとサヴィに改めて明日の朝に出発することを伝えてから、俺は床に就いた。
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