第32話 縁日のドリーマー

 ありえない。

 砂粒すなつぶほど小さい確率にかけて、わたしは確認してみた。


「び……美容院?」

「いや病院」すぐに否定される。「駅前の大きな病院だよ。入口に噴水があるトコ」


 やっぱり、聞きまちがいじゃなかった。

 でも、なんで?

 もしかして……誰かに何かをされたのかな。わたしのことが〈大好き〉な誰かに。思えばウカツだった。三人でいっしょに夏祭りに行くって教室でしゃべってしまったことが。


(わたしが刃物で襲われたように、青江あおえも誰かに襲われた……)


 冷静にならないと。

 わるいほうに考えちゃダメ。

 ふつうに会話できてるんだし、最悪の事態じゃないんだから。


「何が……あったの?」

「事故」しれっと返事する青江。「待ち合わせ場所にむかってたら、自転車とぶつかったんだよ。しかも、ぶつかってきたの同じクラスのヤツ。こっちのダメージはほぼゼロで、ひざスリむいた程度なんだけど、そいつが『救護義務』がどうのこうのってお巡りさん呼んじゃってさ――」


 まいっちゃうよな、と青江の話はつづいている。

 なるほど。

 わたしの中の名探偵がピンときた。


(たとえ大きなケガを負わせられなくても、足止めさえできればいい、ってことか)


 サングラスをはずして、帽子のつばを少しあげて、赤井のほうをちらっと見た。

 電話ごしに話を真剣に聞いている横顔。


(だとしたら、赤ちゃんのほうにも――)


「バカ。こういうときはフツー、親に車で送ってもらうだろ」

「うるせーな。共働きなんだよ、うちは。っていうか、こーゆーときに親に送ってもらうのって、ナンジャクじゃね?」

「なんだと」


 彼が無事だった理由に納得しつつ、二人の言い争いをなだめる。


「とにかく……そんな状況なら遅刻しても仕方ないよ。いつぐらいに病院から出れそう?」

「んー、これからレントゲンとって、んで向こうの親が来るとか、おれの親も仕事を早退するとかで、けっこう大事おおごとになっててさ、合流できても、そうとう遅くなるぞ? だから、今日はおれ抜きでやってくれ」

「おい!」


 反射的に肩がびくっとなってしまった。

 赤井あかいがいきなり大声を出したから。


「さっき言っただろ、ミカオが落ちこんでるって。聞こえなかったのかっ⁉」

「アカ……」

「地べたってでもこい! いいな!」


 みごとに代弁してくれた。わたしの気持ちを。

 うん。

 青江の体は心配だけど、この夏祭りだけは絶対はずせないんだから。

 もっと、わがままになろう。


「まったく……アカのヤツ、なに熱くなってんの?」ふっ、と笑ったような鼻息のノイズ。「もうガキじゃねーんだから。遊びの約束のドタキャンぐらい、よくあることだろ? しかも事故だっつったじゃん。ほらシラケン、おまえからも言ってやってくれよ」

「赤いワンピース」

「えっ」

「人ごみの中でも目立つから、いい目印になるでしょ?」


 何か言い返そうとして、青江が息をすいこんだ。

 何も言い返させないんだから。


「死んでもきて!」


 画面にタッチして電話を切った。


「……はは、ミカオにここまで言われちゃ、あいつも来るだろ」


 スマホを浴衣のポケットにしまう赤井の顔が、なんだかさみしそう。


(あっ!)


 やっぱりミカオはアオのことが好きなんだな――とか、考えてるのかも。きっとそうだ。

 そうじゃないの。ほんとに。

 それを言葉にして伝えようとしたそのとき、


(やばい……)


 気がついた。

 すっかり忘れていたあのルール。相思相愛禁止のルール。

 わたしに告白した直後に赤井が消えてしまったことを思い出した。


(ちょっと待って……しかも、これから青くんがくるまで二人っきりだ)


 手をつないだ浴衣と浴衣のカップルとすれちがう。

 ほかにも、恋人同士って感じの二人組が多い。

 お祭りってこんなにラブラブな空気だったっけ?

 ぴーぴー、と太鼓の音に笛のがまじりだした。


「ま、立ってるのもアレだし、歩くか」


 さすがに「歩きたくないよ!」とは言いだせない。

 ハートマークがふわふわ浮かんでいるような空間に、ふみこまざるをえない。


「しょうがないよなー、アオのヤツも。こんなときに自転車と事故って」


 ふだんよりも遅い、歩くスピード。

 それもそのはず。

 両サイドに露店がならぶ、いわば夏祭りのメインストリートを早足でズンズンいく人はいない。


「なにが好きなんだ?」

「す、好き……?」


 ぷっ、と赤井がふきだした。


「お祭りで、だよ。あるじゃん、金魚すくいとかリンゴ飴とか。どうした? 緊張してんのか? なんか、いつものミカオらしくねーぞ」


 してるよ、緊張。

 わたしにとって、これから勝負のときなんだから。


「そんな服もはじめて見るしさ」


 あはは……と、愛想笑いを返す。

 空が、夕焼けで赤い。〈そんな服〉と言われたワンピそっくりの色で。


「じつはジュースかけてたんだよ」

「ジュース?」

「ミカオが今日、浴衣でくるかどうか――でな」


 へえ、と相槌をうちながら歩く。近くの店から焼きそばのジューといういい音が聞こえた。


「おれの負けだよ。あいつにジュースおごらないと」に、と赤井は歯を見せて笑った。「でな、もし浴衣で来てたら……」

「つづきがあるの?」

「うん。そっちは、その、ジュースとかじゃなくてさ」


 無言の十歩。思わずカウントしてしまった。

 そして、いきなり赤井がわたしの正面にまわりこむ。


「そのときは……きっと、おれたちのどっちかが好きなんだろう、って」

「赤ちゃん」

「あいつが来たら言えなくなるから、今のうちに、おれの気持ちを言っておくよ」


 わー!

 ダメダメダメ!

 まぎれもない告白の前ぶれ。このままじゃ赤井が消えちゃう。

 どうにかしないと……


「焼きそば‼」


 はぁ? という表情の赤井。


「よく考えたらお昼まだだった! 食べたい! がまんできない!」


 ああ……なんということ。恋愛よりも食欲優先の、かなしい女の子を演じることになろうとは。

 チ、チアアップよ。大丈夫。ループが終われば〈今のこの世界〉はなかったことになるんだから。

 ため息ひとつついて、


「……おれ、どこか座って食べれる場所さがしてくるよ」


 と、赤井は背中を向けた。がっくり、のオーラがかくせない後ろ姿。

 ごめん。

 で、もどってきてくれるのかと思って、湯気の立つ焼きそばを手に待ってるんだけど……


(いやな予感が)


 別れたのは、まずかったかもしれない。

 十分ほどしたけど、もどらない。そんなに遠くまで行くわけないのに。

 さっきから、注目も浴びてる。

 それはたぶん、〈食べものを手にした赤いワンピース姿の女性〉っていうだけではなく、わたしが〈白鳥美花〉のせいもあると思う。

 一人ぼっちになってしまった。三人そろわなきゃいけない日に。

 

(どうしよう)


 待ってちゃいけない、と直感が告げる。

 さがしに行かないと。焼きそばなんか食べてる場合じゃない。


「それ……おいしそうですね」アロハシャツのチャラい感じの人に声をかけられた。「誰か待ってるんです――」ぐい、と手に持っているものを押しつける。「かっ? えっ?」

「あげる!」


 そのままダッシュ。幸いにも、靴はチャーと交換しなかったのでスニーカーだ。走るのに最適。

 どこ?

 いったいどこにいったのよ、赤ちゃん。

 えーと、スマホだ。スマホで連絡を――


(きた)


 ナイスタイミング、っていうんだろうか。余計な手間がはぶけた。


「赤ちゃん! どこ?」

「……ミカオ、すぐ電話を切るんだ」


 ばしん、と頭がたたかれたような音がした。


「白鳥美花だろ? だよな?」知らない声。ものすごくガラのよくない声。「こいつのことが心配なら、助けにこいよ」

 わたしは即答した。「どこにいけばいいの?」

 バカっ! と赤井が叫んだのがかすかに聞こえた。

「警察とか呼ぶんじゃねーぞ」

「呼ばない。すぐに行くから」

「いい度胸じゃねーか」と、相手は場所を言ってきた。大きな神社の裏手にある、立ち入り禁止の林の中。「待ってっからな」


 電話は切れた。

 たいへんなことになった。

 しかも、誰にも頼れない。トモコはもちろん、ミユキも、チャーも、ここにはいない。


「わるい夢だぜ」


 ほんとだよ――って、わたしは伏せていた顔をあげた。


「俺がカツアゲなんかするかっつーの。なぁ? 中森なかもりよぉ」

「日頃の行いがわるいからだろ」

「はー、ズバッというねぇ~」


 わっしわっし、ととなりにいる小柄な男の子の頭をさわり、男の子はそれをいやがって、にらむように上を見上げる。

 なんでこんなところに?

 ともに浴衣を着たあの身長差コンビは、あの二人組は、まちがいない。だって背が高いほうの彼の髪が、目にまぶしいほどの金色をしているから。


「あ?」

「あの……」


 こんなの意味不明。

 同じ学校っていうだけで、学年もクラスもちがう女子から求められることではない。


「たすけて、ほしいんだけど……」


 でもわたしは求めた。

〈はじめて出会う〉彼らに。


「なんだ、こいつ」

「おい」と、中森くんがそでを引く。「何かトラブルがあったんですか? それなら赤い腕章をつけた人が歩いてますから」

「そ」考え直した。事情を知らない二人が、わたしに協力してくれるはずもないよ。「そうだよね……うん、ありがとう」


 ちいさく頭を下げて、二人からはなれる。

 すると、


「待てよ!」


 意外なことに、呼び止められた。


「カツアゲでもされたのか?」

 ふりかえって言った。「そんな感じ。友だちの男の子が、カツアゲされて」

 反射的に言い返したものの、カツアゲっていうよりはさらわれたっていうほうが正しい。

 浴衣の上からでもわかるガニ股で、金月くんが近づいてくる。

 

「ちっ。なんだか気になってしょーがねー。おまえ……あぶなっかしくて、ほっとけねー女だよ」


 そしてあのときと同じように、告白が成功したときと同じトーンで、こう言ってくれた。


「いいぜ。たすけてやるよ」

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