第26話 真冬のドアー

 感傷にひたるヒマもない。


「ダメでしたね」


 その一言で現実に引き戻される。

 現実……そもそもこれは本当のことなの? これから入学式をする高校の正門前で、わたし以外のみんながピタッと止まっている、この景色は。


「白鳥様……?」


 フードにかくれて見えないのに、なぜか心配そうな顔なのがわかった。

 リョーマが消え、おしりから地面に落ちた、わたし。

 おろしたての制服のそでで涙をぬぐい、胸いっぱいに息を吸い込んで、


「はあ~」

「ため息は、よくないですよ」

「ため息じゃなくて、これは深呼吸」


 リフレッシュ!

 息といっしょに、ネガティブなものもぜんぶ、一気に吐き出したんだから。

 大黒おおぐろ先生への告白は失敗した。

 みごとに失敗つづき。告白は、どれもこれもダメ。フられたいのにフられない。

 でも立とう。

 まだ立てる。

 わたしは、そんなに弱くない。


「手をかしましょうか」

「ありがとう」


 フードの人がのばした手をとって、わたしは立ち上がった。

 うん、細い手。しっとりしてて、同世代の女の子みたいな手。


(ころ)


 バチッ、と静電気みたいな感じがして、わたしはとっさに手をはなしてしまった。

 ? という雰囲気の黒フードの人。


(殺すんですよ)


 これは中森くんが言った言葉だ。

 そうすれば、問題はすべて解決する……のかもしれない。

 でも今確信したよ。

 わたしにはできない。

 この人の言葉を信じて正攻法でいく。ちゃんとフられてみせる。


「次こそクリアするから。見届けてね」

「もちろんです。そしてあなたはもう、終わりに近づいている」


 フードの人が背中を向けた。


「告白に失敗すれば即、正常な世界が再構築されるでしょう。当方の存在も消え去ります」

「当方って、あなたのことでしょ?」

「ええ……」

「おしえて。あなたは誰?」


 フードの人が、フードをとった。

 あまりにもあっさりと。

 あらわになったのは、胸元までの長さの、毛先がくるりと巻いたようになっている髪型。その後頭部。

 ゆっくりふりかえる。わたしと目が合う。


「そんな気はしてた――ですか?」

「うん……なんとなく、そうかなって」


 ミユキだ。

 同じクラスの占部うらべ深雪みゆき

 これまでに何度も協力してもらった、大切な友だち。


「でも、あなたはミユキじゃない……たぶん、わたしが知ってるミユキじゃない」

 

 彼女は否定も肯定もせず、またフードをかぶり直してしまった。

 見える顔の部分は口だけ。

 その口がうごく。


「白鳥様。しかし、〈ミユキ〉はあなたがループという不条理に巻き込まれることになった原因でもあるのです」

「どういうこと?」

「彼女は〈告白請負人うけおいにん〉だった。そのせいで、あなたがいた中学に〈告白〉が異常に流行してしまったのです。しかも、きわめて短期間のうちに」


 ぱちん、とミユキ……じゃない人が指をならした。

 白い煙をたてて目の前にあらわれたのは、トイレの入り口にあるマークみたいな人形。赤五つ、青五つで、十体。どれもわたしの背丈ぐらいある。


「たくさんの人が集合するところでの感情は、ときに相互作用して思わぬ増幅ぞうふくをする。とりわけ告白にまつわるの意識ではそれが起こりやすい」


 一体の赤い人形が、青い人形の前にピョンと飛んで移動した。

 何か、手紙のようなものを渡す仕草。告白してるのかな?


「かように、一つのペアができあがるとき」


 赤と青の人形が上に手をのばして、バンザイしているように見える。


「選ばれなかった人間が、かならずどこかにいる」


 がくん、とほかの人形が全員、地面に両手両ひざをついた。


「なんか、体から黒いのが出てる……」

「そうです白鳥様。あれこそが、あなたを困難な目にあわしめているすべての原因でございます。そして、このドス黒い感情が寄り集まって、向かう先にいたのが――」

「わっ!」


 尻餅しりもちをついた。 

 だって、いきなり黒いものがわたしの顔に突進してきたから。


「もっとも多く、告白の相手として選ばれた人間……白鳥美花様でございます」


 ◆


 なっとくいかない。

 とはいえ、もうサイは投げられている。


(やるしかないか)


 わたしはマフラーを口元に引き寄せ、寒さにたえる。

 朝から風がつよい。

 冬って……何もこんな冬のど真ん中じゃなくていいじゃない。よりにもよって一月の下旬の〈冬至〉じゃなくてもさ。


「冬……ですか」


 と、あのフードの人も意外そうな顔をしてた。

 ってことは、もしかしたら〈アレ〉を知らないのかも。

 これまでの流れで唯一、希望を持てそうな〈アレ〉のことを。


(一番乗りなのじゃ)


 ミユキが言っていたセリフを胸の中でつぶやき、誰もいない教室に入る。

 あとは待つだけ。

 味方にしてお友だちの、ミユキがやってくるのを。

 まだ廊下に、人の気配はない。


(でも〈アレ〉って誰が書いたんだろ?)


 秋の文化祭で展示されていたあの小説。〈告白に失敗しなければ入学できません〉。

 はっきり内容は読めなかったが、偶然とは思えないほど今のわたしの状況とリンクしていた。

 きっと何かある。

 ふと、トモコの席を見つめた。教室の後ろに貼ってある座席表を見なくても、一月のこの時期に彼女がいた席はばっちり記憶している――っていうと記憶力がすごいって思われるかもだけど、実際は……


(神様はいるって思ったよ。中学三年の最後の季節に、こんなに近くになれたなんて)


 目と鼻の先、いっこ前の席だ。

 親友とこんなに近くになって、楽しくないわけがない。休み時間のたびに、彼女が体を半分回してこっちに向いて、わたしたちはおしゃべりをはじめた。

 でも、今の時期は試験が近づいていたこともあって、おしゃべりしないときもあったかな。


――「いろいろ失敗しちゃった。初歩的なミス」


 あっ。

 思い出した。

 高校入試のあと、くやしそうにしゃべっていたトモコのことを。

 ある英単語をまちがえた意味に読みとったことや、数学で正解できてたのに時間配分がうまくいかなくて解答を書けなかった問題があること、とか。


(トモコ)


 わたしは、とてもいけないことを考えている。

 どうにかして、彼女を〈合格〉したことにできないだろうか、と。

 同じ高校を受験したトモコ。もちろん、わたしはいっしょに進学できることを願った。


(メモ。メモを残して……なんとか伝えられないかな)


 ダメ。

 もし、そんなことができても、トモコが入学できたぶん、ほかの誰かが入学できないことになる。

 しかも、やってることはカンニングに近い。ほぼ不正だ。

 でも……ダメ……でも……とカットウしているうちに、鼻唄がふふ~んと聞こえてきた。

 ええい! と迷いをふりはらうようにわたしは立ち上がった。


「さて本日も~、いっちばん乗り~~~」ガラリと戸がスライドした。「ぃ……?」

「おはよう」


 教室にいるわたしを見たとたんミユキは急にテンションを下げてしまった。

 ええいええい! と、わたしはまだ心の中で戦っている。

 トモコと同じ高校……ずっと親友……それは実際、かなり甘い誘惑だ。

 断腸の思い、とはこんなことを言うのだろう。


「ね! わたしといっしょに来て!」

「ふ、ふぇっ……?」


 手をひいた。

 行き先は、もう決まっている。決まっているけど、その場所を知らない。


「ミユキ、文芸部の部室、どこにあるか知らない?」

「ええと……確か……何度かおじゃましたことがあるような。というより、あのその」


 照れくさそうに視線を落とす。


「すごくフレンドリーなんですね。白鳥サンは……」


 そうだった。やっちゃった。

〈この世界〉じゃ、彼女とはなんの関係性も築けていない、ただのクラスメイトだった。


「そんなの気にしないで」


 どの口がいうのよ、と思いつつもそう言う。こういうセリフは、気にさせる側の人間がいうものではない。  

 西校舎の四階でありましたような、というミユキの言葉を手掛かりに早歩きでそこにすすむ。


(ここだ)


 文芸部、とドアに堂々と貼り紙してある。

 もともとなんの部屋かはわからないが、かなり小さな部屋だ。教室のように引き戸ではなく、取っ手がレバーのドア。


「あかない」

「いや白鳥サン……あいたとて、不法侵入ですぞ……」

「なんとかならないかな?」

「む~、職員室にカギをもらいにいくのがよろしいのでは?」


 じゃあ、と行こうとしたら、


「私が参りましょう。多少、文芸部に顔がききますゆえ」


 と、ミユキが行ってしまった。

 むりやり連れてきた上、そんなことまでやってくれるなんて。ひじょうに申し訳ない。あとで必ずお礼しよう。

 そもそも、どうしてミユキを連れてこようとしたんだっけ?

 あ、そうだ。怪しまれるからだ。ひっそりとした朝の校舎で、女子の一人歩きは目立つから。


 コツン

 コツン


 遠くから足音がする。

 ミユキのものではない。

 先生?


(かくれなきゃ)


 なぜかそう思った。

 でもスペースがない。どこにもない。


(じゃあ、胸をはろう)


 やましいことは(まだ)してないんだから。

 文芸部のドアに背中をくっつけて、直立する。

 足音にまじって、ちゃり、という金属みたいな音もしている。

 曲がり角から、姿があらわれた。


「誰だ、そこにいるのは」


 制服姿の男子。でも女子みたいな声。


「まさか白鳥美花かっ⁉」


 だだだ、と走ってくる。こわい。

 ていうか、この子、男子?

 頭をポニテにして、前髪もつくってて、顔のつくりだってすごく女の子っぽいのに。


「妙なタイミングで出会えたな」


 二重のまぶたをパチパチさせて言う。


「なんと美しい……」


 ずい、と接近された。

 なぞの男子が左手をドアにつく。アイラインはわたしより五センチくらい上。

 お姫様抱っこされて一時間もしないうちに、今度は壁ドンされている。なんて乙女な組み合わせ。


「告白したい男が多いのも納得だ。しかし――」


 人さし指が、わたしのあごの先にふれそうになる。


「キミは誰も選んでいない。キミのとなりにはパートナーがいない。なぜだろう?」

「さあ……」


 人さし指をかわして、そのまま背後に回った。

 そこで、左手に何かを持っていることに気づいた。


「あ、カギ」

「うん。オレは文芸部だからね」

「オレとか言って。あなた、女の子でしょ?」


 バレてた? と、彼女はかわいく笑った。


「まあ、とりあえず中に入ってよ。白鳥美花なら……大歓迎さ」

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