第24話 強引のオファー

 おいしそうなカルボナーラ。

 かすかな湯気をたてていて、それがわたしの鼻の近くにくると、チーズと黒こしょうと焦がしたベーコンの合わさったいい香りを感じる。

 ちょうど夕食時。

 ちょうどおなかがくタイミング。

 知らず知らず、わたしは彼女が食べているそれにクギヅケになっていたようだ。


「あ……申し訳ないです……」


 ミユキが、フォークを持つ手をとめた。


「よろしければ、その、これと同じものか――」

「こら深雪みゆき」と、会話に割ってはいってきたのは、お父さん。「そのお嬢さんは家で食事が用意されてるから、って何度も断ってただろ。それよりも早く食べて片づけろ。かっこむんだよ、皿持って、こう」と、ジェスチャーつきで言う。

「ムチャをおっしゃる~」


 大雨の中、わたしはミユキの家にお邪魔していた。

 かく的なおしゃれなカフェ。

 天候がこんなだからお客さんもいなくて、テーブル席にいるのはわたしたちだけ。

 ミユキのお父さんがトレーを手に、カウンターの向こうからこっちにやってくる。


「サービスです」


 と、白いマグカップに入ったカプチーノを手前に置かれた。

 にっ、とダンディなマスターがわたしに微笑みかけるシーンがデジャブ。前にもこんなことがあった。このカプチーノのサービスは二度目だ。


「雨は今がピークらしいですよ。あと三十分もしたらむようだから、ここでゆっくりしてもらって」

「ありがとうございます」

「食べてるものと同じでね」と、ミユキに視線を流す。「なかなかクセのあるヤツですが、まあ、どうか仲良くしてやってください」


 ぺこっ、と頭をさげると、お父さんはカウンターの奥へ引っ込んだ。


「誰がカルボむすめですかっ!」


 ミユキはぷんぷんしながらも、笑っている。

 変な言葉、とわたしも笑った。

 ふう――


(ドキドキしたじゃない。あんなこと言って……)


 数分前、


「もしかして……気がついちゃいました?」

「気がついたか、ってどういうこと……? ミユキ、あなたはいったい……」

「おなかですっ!」


 緊張感が、ほわん、とゆるんだ。


「さっきからずーっとおなかの音が鳴りっぱなしで……雨のザーっていう音をいいことに、シラを切ってたんですが……」


 窓の外を見る。ちょっと雨脚が弱くなってるようだ。

 わたしは意を決して、彼女に〈計画〉を打ち明けた。


「ね、ミユキ」

「はひっ?」口からちゅるんと伸びているパスタを、あわててすすった。

「先生に告白しようと思うの」


 ピタリ、とミユキの動きがとまる。

 数秒そのまま、だまって見つめ合った。

 そっとフォークを置き、目を細めて声を落として、わるい人たちのわるだくみのように言う。


「これはこれは……たいそうな大物をお狙いで」

「相手は大黒おおぐろ先生なんだけど」

「グ、グレート。しかも女生徒一番人気のクロちゃん先生とは……」

「それでね――」


 わたしは質問した。

 過去に、大黒先生に告白した女子が、いるのかどうかを。

 大丈夫だとは思うんだけど、一応、〈生徒からの告白をことわったことがある〉という確固たる事実がほしい。


「知っている限りでは、二人、いますね」指でVサインをつくる。「どちらも卒業生です。ウワサで耳にしただけなので、それが誰なのかまでわかりませんが」

「誰が告白した、とかはいいの。その……結果をね、知りたいんだけど」


 んー、とミユキは目をつむり、うつむいてモジモジしながら言う。


「それはその……ほら、なんと言いますか……、既婚者であり聖職者でもございますゆえ」


 なるほど。

 ちゃーんとフってあげたっていうことね?

 よし。

 決めた。実行は明日。わたしは大黒先生に告白する!


「おっ」


 ミユキのお父さんが声をあげた。

 光だ。

 窓の外に、日が射している。

 きれい。

 なんだっけ……なんとかの階段っていうヤツだ。雲間からスーッと白い線が斜めにおりる自然現象。

 エンギがいい。

 まるで、前もって告白が失敗して成功するのを暗示してくれてるみたいな。

 ミユキは、まだうつむいている。

 外からの強い光を背中に受けているせいで、彼女の体がうす暗い影のように見えた。


 ◆


「か~! 誰や、ハートのクイーンをとめとるヤツは?」


 綿菓子のようにふっくらした髪を両手でかかえこむリョーマ。


「パス」


 とめているのは、わたし。

 これで三回のパスを使い切った。

 そして、青江あおえが上がり、次に赤井あかいも上がって――


「だせん」


 ぎろり、とうらめしそうにこっちのカードをにらむ。

 わたしの番。手札は残り二枚。一枚おくと、


「だせん!」


 これでリョーマがパスの権利をぜんぶ使い切った。

 おもむろに最後の一枚、ハートのクイーンを机の上にならべる。


「……負けた」


 すかさず「よっえ~!」と、青江は容赦ない。「トランプに弱いところ、ちっとも変わってねーな」

 なっ? ととなりにいる赤井に同意を求める。

「ああ……」にこっと笑い返したが、なんか表情にカゲがある。「ミドは、おれたちに一度も勝ったことがないからな」

 とんとん、とカードをまとめる彼。

 思えば、この昼休みに「トランプやろうぜ」といきなり切り出したのも彼。


(赤ちゃんって、そんなにカードゲームが好きな印象ないけど……)


 はっ。

 もしかして、これって何かをテストしてたのかな?

 リョーマがどこまでリョーマなのかを、たしかめるために。

 ババ抜き、大富豪、七ならべとやって、すべて負けたリョーマ。

 気づけば、


(めっちゃ注目されてる!)


 教室の真ん中あたりの机で遊ぶわたしたちを、みんなが見ていた。男子も女子も。

 まいったな、と思った次の瞬間――


「イケメンに囲まれてるのをさぁ、見せつけたいんじゃね?」


 はっきり聞こえた。

 ちょっとやめなよ、と小声でなだめているのも、聞こえる。


「おかしいじゃん、あん中で女が一人だけって。どう見てもモテアピールでしょ」


 ムカつかね?

 その声が、あのときと同じみたいだった。

 小学五年生のとき。わたしはクラスのリーダー格の女の子に、すごくキラわれた。

 無視されたり、嫌がらせされたり……靴をかくされたり。

 でも、リョーマが助けてくれた。


「ほい、見つけたぞ」


 泥のついた手で、泥のついた靴を、わたしに渡して、


「こら泣くな」


 真っ赤な夕焼けをバックにそう言ったリョーマを、鮮明におぼえている。

 あの日、わたしは強さの〈おすそわけ〉を、もらえた気がする。

 その女の子とも卒業までに和解できて、とても仲良くなれたわけだし――って!


「誰じゃ、誰が言った。白鳥にムカつくってうたか?」


 わっ。

 もう小学生じゃないし、女子の人間関係ってけっこうデリケートなんだから、そんなにストレートにいっちゃダメ。


「ちっ、いくぞアカ」

「おう」


 二人が席を立って移動し、大柄なリョーマを両サイドからホールドして、そのまま教室から出ていった。

 出口付近に見なれた姿。ショートの髪に天使の輪のキューティクルがある、小さな男の子。


中森なかもりくん)


 こいこい、と手招きしている。


「今日ですね?」


 いろいろ省略した一言。

 あえて略さないなら「大黒先生に告白するのは今日ですね?」だろう。

 うん、とわたしは彼の横に立ってうなずく。


「ひとつ、気になることがあるんです」

 ちら、とリョーマが消えた方向に視線を向ける。

「あの人です。忘れていませんよね? あなたがぼくに告白しようとしたとき、あの人は〈神出鬼没のごとく〉邪魔をしに来た。おそらく今日も、来るでしょう」

「そこはスピード勝負でなんとかなるよ。早口で告白して、さっとことわってもらえばいいんだから」

「スピード……」

「場所も一応、先生と二人だけになれる部屋の中でしようと思ってるんだけど」

「それでも彼は現れる」


 予鈴が鳴った。休み時間は、あと五分。


「告白の時間をつくるために協力しますが、ぼくでは体格的に弱い。きっと押し負けると思うんです」

「あの……あぶないことは、しなくていいんだよ?」

「いえ、ご心配なく。とにかくですね、もう一人……ぼくよりもフィジカルの強い人がいればいいんですが」


 ◆


 放課後。

 わたしの足は、自然にここに向かった。

 がこん、と紙パックのカフェオレが受け取り口に落ちる。

 これで彼を買収しよう。


「つめてっ」


 自販機……カツアゲ自販機ちかくのベンチで居眠りする彼のほっぺに、いま買ったカフェオレをくっつけた。


「――んだよ、せっかく気持ちいい夢ぇ見てたのによー」

「どんな?」

「あー、なんか体育館で思いっきり大乱闘してたな……って、おまえ誰だよ!」

「とおりすがりのブスだけど」


 さあ、もう時間はない。

 彼、金月きんげつくんと、四の五の言い争っている余裕なんか、一秒もないんだから。

 ノーと言わせない勢いで、わたしは金髪の不良男子に要求した。


「わたしの……ボディガードになって!」

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