第21話 夕方のリバー

 ヤキモチは、かならずしも好きな人にヤくものではない。

 友だち同士でも、そういうのはある。


「だからあんま……あいつに近づくなよ」


 と、赤井あかいはわたしの目を見ずに言う。

 視線の先に憎い人間がいるような、きびしい表情だ。いつもさわやかで明るい性格だから、こんなことは珍しい。


「じゃ、おれ部活あるから」


 ばっ、とわたしに顔を向けたときは、すでによく知っている幼なじみに戻っていた。


「また明日な、ミカオ」


 やさしい笑顔で言った。

 中三になった今も、わたしを昔のあだ名で呼ぶ赤井。

 待ってと呼び止めるヒマもなく、足早に教室を出ていった。入り口あたりでたむろしている男の子たちの横を、まるでサッカーのドリブルのようにスッスッと抜けて。


(でもヤキモチにしては)


 イスに座ったまま、わたしは腕を組んだ。


(リアル……っていうか、マジっぽかったっていうか……)


 ちがう。

 忘れちゃいけない。ここはループのすえにたどりついた〈もう一つの春〉で、そもそも現実リアルではない。

 あのリョーマがニセモノっていうのは、たぶんそのとおりだろう。

 それより、と、わたしは立ち上がった。


中森なかもりくんに告白しようとしたとき、あいつが二度も邪魔に入った。そこがなぞ


 しかも二度目は、ありえないような登場だった。

 あまりにも現実ばなれしていて……


「きゃっ」

「あ、わるい」


 教室を出た瞬間、誰かとぶつかった。

 となりのクラスの先生だ。

 大黒おおぐろ先生。


「なんだ白鳥か」


 と、向こうはわたしの名前を知っている。

 一年、二年とこの人が担任だったからだ。どうせなら三年生でも担任を、とひそかに期待していたが、そうはならなかったのがいまだに残念。

 なぜなら、とてもいい先生だから。


「これから部活か? 来月、大会もあるんだろ?」

「はは……」


 わたしはビターな笑いを浮かべる。

 それどころじゃないんです! と絶叫したい気持ちだ。

 ふちの太い黒ぶちのメガネ。大黒先生は、人差し指で左右のレンズをつなぐ真ん中の部分を、ぐっ、と押しこんだ。メガネのずれを直すときに、彼がよくやる仕草だ。

 その仕草のついで、なのかどうか、ごくさりげなくわたしの胸元あたりに視線がきた……気がした。いけない。自意識過剰だよ。


「まあ、がんばれよ。じゃあな」

「はい」


 グレーのスーツの後ろ姿を見送る。

 背は高くないが頭が小さくてスタイルよく見える。顔も、まずイケメンの部類。で、若い。三十の手前のはず。去年、レクリエーションのときに「まだ、ギリ二十代だぞ!」と、男子にまじってバスケットをしてたときにそう言っていた。なおスポーツは万能。

 すなわち恋愛においては強い。

 モテてきただろうし、今もモテている。


(もし、先生が〈告白に失敗せよ〉なんて状況になったら、どうするのかな)


 そんなこと考えても仕方ないか。

 廊下を歩く大黒先生から目をはなそうとしたとき、窓から差し込む夕日で、彼の指の一部が光ったのが見えた。

 ほぼ同時に、わたしの脳裡にもピカッとくるものがあった。


(結婚指輪……)


 悪女あくじょだ。

 漆黒のドレスを着て、オホホと高笑いする自分がいる。

 この発想は……そんな反則みたいなこと……やっていいんだろうか?


(生徒。しかも中学生と不倫)


 は、バレたら退職どころじゃすまない。

 まともな大人ならば、やらないはず。

 あの大黒先生なら……


(わたしがコクっても、ことわってくれるんじゃない?)


 ナイスアイデア!

 これは、いける!

 そっか……告白っていっても、べつに男子じゃなくていいはずだよ。だって、そうしろっていう指示はないんだし。


「ちょっと、そこ、邪魔だから」

「え?」


 ふりかえると――


「廊下の真ん中で立ち止まってると、迷惑」


 トモコ。

 クラスメイトで親友の、友野ともの頼子よりこがいた。

 わたしはとっさに目を伏せてしまった。とても、トモコを見ていられない。見ていたくない。


(お願い。そんなふうに見ないで……)


 眉間にシワを寄せた、けわしい表情。

 冷たい瞳。

 軽蔑が浮かぶ口元。

 こんなの、友だちに――親友に向ける顔じゃない。


「あ……ごめんなさい……」


 わたしが体をよけると、トモコはすぐに歩き出した。聞こえよがしに、はぁ、とあきれたようなため息をついて。

 つらい。

 彼女は一日ごとに、わたしを嫌いになる。

 もうループするようになって、けっこうな日数がすぎた。

 きっと、れられたくないほど、わたしを嫌いになってるはず。

 だけど――


「待って!」

「ちょっと!」


 反射的に、トモコはわたしの手を振り払おうとする。

 負けるもんか。

 ぎゅっと彼女の右手をにぎったまま、早口で言い切った。


「絶対絶対、絶対にわたし、親友にもどってみせるから!」


 ◆


「既婚者ですか」


 夕暮れの河川敷にいる。 


「いい考えですね」

「でしょ?」


 と、中森なかもりくんに微笑みかける。

 大黒先生に告白、ということを思いついて以降、わたしは久々にテンションがあがっている。

 サーッ、という水が流れる音。

 目の前には大きな川。

 放課後、彼に会いにいったら、「じゃあ」と言ってここにつれてこられた。

 たぶん人目ひとめのない場所を選んだのだろう。

 学校に近い、ひそかに告白や放課後デートにつかわれるスポットだ。


「どういう先生なんですか?」


 ざっくりで説明した。

 すると、


(何か言いたそうな顔してる)


 名探偵じゃないわたしでも、彼の心が読み取れた。


「え? ダメかな?」

「いや……少し気になっただけです」

「どこが?」

「欲を言えば、もっとお年を召した先生のほうがいいですね」

「そうかな~、そっちのが、逆にあぶなくない?」

「まあ確かに……年齢は関係ないかも……」


 あごに手をあてて物思いにふける、中森くんの横顔を見つめる。

 そのまま待っていても、なかなか次の言葉が出てこない。

 どこかに座れる場所はないかな、とベンチとかをさがすが見つからない。っていうか、あたりには何もない。足場は白いアスファルトで、数メートル先はもう川だ。対岸は遠い。水深も深いと思う。川の中に階段がある。三段。


「ねえ、中森くん」

「はい」

「あれってなんていうんだっけ、川の中の段。段になってる部分。お母さんに教えてもらったことがあるんだけど、忘れちゃった。知ってる?」

落差工らくさこうですね」

「あ。そう、それそれ」

「段差をつけて流れのはやさをコントロールするっていう……」


 なんとなく、二人でそれをながめた。

 夕焼けを反射して、川面かわもは赤い。

 周囲には誰も、道を通りかかる人もいない。

 まるでこの世界に二人だけみたい。


「いつしますか?」


 何気ないその一言が、ひどくロマンチックに聞こえた。

 親しい恋人が、結婚の時期をどうしようかとたずねたみたいで。

 黄昏たそがれどきで甘いムードもあるし……。

 しっかりして! と、わたしは心の中で自分のほっぺをたたく。


「いつでも。できれば、早目がいいかな」

「白鳥さん」この世界の彼は、わたしを「ミカ」とは呼んでくれない。「その前に大事な確認があります」

「何」

「誰かから――〈うらみ〉を買ったおぼえはないですか?」


 背筋に寒気が走った。


「どういう……こと?」

「いえ、ふかい意味はないんです。ただ、ループをふくんだ一連の事象において、あなた〈だけ〉が過酷な目にあっている。そこに何か理由がないのかと思っただけで」


 サーッと川の音。大きくなってないはずなのに、耳障りなほどはっきり聞こえる。


「あなたをそんな目にあわせている張本人は、もしかしたら、案外ちかくにいるのかもしれません」

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