第20話 幻惑のフー

 した男子も、された女子も、同年代にはあまり多くないだろう。

 お姫様抱っこ。略称は姫抱き。


「みんな、オイらを見よる」


 と、こいつはのんきに言う。

 そりゃ見るよ。めずらしいんだから。

 あっ、まさかと、自分のスカートをとっさに確認したが、ひざ裏がわの生地を巻き込むように左腕をまわしているから大丈夫だった。ふう。一生もののトラウマになるとこじゃん、これだけの数のギャラリーに下着を見られたりしたら。

 リョーマが両手にぐっと力を入れて、わたしの体の高さが一センチあがった。


「ねえ、もう下ろしてよ」

 位置的に、わたしの頭は彼の斜め下にある。このアングルから眺める横顔はじつに精悍せいかんだ。鼻が高いしアゴもひきしまっている。残念なのはボリューミーな髪のモフモフぐらい。ただ、ストレートパーマをあてるよりは、このほうが愛嬌がある気もする。

「はやく」

「ダメだ」と、目線を向けずに言う。「いい学校だなー。広いし綺麗やし」

「だから……」

白鳥しらとり、このまま学校案内してくれんと?」

「その前に、まず下ろしてってば」


 校舎一階の廊下を歩いている。

 スタスタ、ぐらいのスピードで。抱っこも継続中。

 こまったな。

 まわりのみんなも、微笑ましいものを見る目を向けるばかりで、こいつを止めようとしてくれる生徒はいない。

 すこし、きつい口調で言う。


「聞いて。さっきのところにいた、あの子に話があるの。大事な話が」

「オイも大事な話がある」


 ぴたっ、と足をとめた。

 と思うと、あっさりとわたしを解放する。

 さっさと中森なかもりくんのもとへ駆け戻りたかったけど……


(リョーマ)


 あまりにも彼のまなざしが真剣すぎて、この場をはなれられない。

 廊下の真ん中で立って向き合うわたしたち。

 何事か、とギャラリーが秒単位でふえていく。

 

「白鳥」


 なぜか、わたしの返事はうわずった。「はい」と「ひゃい」の中間ぐらいの、なさけない音で。


「ほかでもない」


 両手で両肩をつかまれた。体温を手のひらごしに感じるほど、しっかりと。

 このままリョーマの顔がつーっと寄ってきてキスしようとされたら、もう逃げ道はない。

 しかし、されたのはある意味キス以上のことだった。


「結婚してくれ」


 ぎゃああぁぁーっ、とほとんど悲鳴に近い歓声があがった。


 ◆


 新しいループは初日から大波乱。

 今朝も登校するやいなや「結婚結婚!」と同級生の女子に声をかけられ、対応に追われた。「ほんとにするの?」「時期はいつ?」「二人のなれそめは?」と、まるで芸能レポーターがするような質問ぜめを受ける。

 煮え切らない答えを返し、のらりくらり、どうにかやりすごしたものの……。


(いや、まず否定でしょ!)


 わたしの心の中で、小さいわたしがプンプンしている。

 しない、と言えばすむことだった。

 それができなかった、

 なぜなら――


(幼なじみの二人には秘密の……リョーマとの『約束』があるから)


 小五のとき、転校がいよいよ近づいてきた日に、あいつは言った。


「なあ白鳥、オイは親にケータイをゆるされとらんから、メールもラインちゅうんもできん。別れたらそれっきりじゃ」

「そんな悲しいこと言わないで。リョーマらしくないよ?」

「どっかで再会することができたら、そんときは」


 以下、きのうの放課後のあのセリフにつづく。

 雰囲気に流されたのか、どうせありえないからと思ったのか、わたしはそれを……承諾してしまった。

 ただし、SNSでさがしたり、成人式や同窓会で再会した場合はノーカウントね、としっかり念は押した。あくまで、どこかの街で偶然にそうなったらね、と。

 いま思えば子供っぽい。

 小学生の「結婚しよう」なんて、所詮はかない口約束。

 いいよ、またどこかで会えたらね、と笑顔でげればよかったんだ。

 ともあれ、


(これはノーカンかな)


 リョーマの転校。

 ピンポイントで、あまりにも狙いすましたような〈再会〉だから、ちょっとね。

 それにこれはループっていう不思議の中の出来事だから、たぶん現実じゃないし。

 ああ、いい風。

 やっぱりここは気持ちがいい。どうして生徒を立ち入り禁止にしてるのか、と思う。


「すみません。待たせたようですね」


 屋上の入り口にあらわれた小柄な下級生。

 おいでおいで、とこっちに来るように手招きする。

 あいかわらず中性的な顔だ。男子の制服を着てるのがすこしミスマッチに思えるほどに。


「それにしても……誰から教えてもらったんですか。屋上のカギのありかは」

「ああ、ドアのそばのチリトリの下にかくしてるヤツ? あれはね、同じ部の子から聞いたの」

 きょろきょろ、と左右を確認する。「あの大柄な人は?」

「大丈夫。ここにはいないから」

 そうですか、と中森くんはあごのあたりに右手をもっていった。いつものポーズだ。

「昨日、聞かせてくれた話を、もう少し詳しくうかがいたいんですが」

「いいよ」

「まず、白鳥さんが入学するはずの高校っていうのは、どこなんですか?」

「それ重要?」

「わかりません。でも一応、知っておきたくて」


 学校の名前を口にする。


「すごい。女子高の最難関っていわれてるところですね」

「かなりがんばったんだから」と、わたしはケンソンという言葉も忘れ、耳に髪をかきあげた。

「どうしてそこに進学しようと?」

「それ重要?」

「ただの世間話です」と、にっこりと笑う彼。つられて、わたしも笑ってしまった。


 態度に出ていたのかもしれない。

 ループから出られず、突破口を見出みいだせない日々に、あせっていることが。

 はやくなんとかしなきゃ、って。

 それを、彼がたしなめてくれたんだ。

 そうだね。心の余裕は、ちゃんともってないと。


「自立した女性になりたくて」

「自立ですか」

「なんていうか……見た目だけで判断されたくないし」

「でも見た目と自立は関係ないですよ」


 確かに。

 なんだか、論破されそうになってる。

 わたしの中では、自立した女性といえばお母さん、そのお母さんの背中を追いかけて受験したの――って言ったほうがよかったかな。


「それで、どうするつもりですか」

「どうするも何も、告白するしかないよ」ふう、とわたしはため息をつく。「断ってくれる男の子を地道にさがすしかない」

「ぼくは、どうです?」

「あ、そうか。中森くん、キミが好き、わたしと付き合って」


 自分でもおどろくほど、なめらかにコクった。

 わたしの中で、告白の価値が急落しているせいだろう。


「……」


 返事はない。

 いや、お返事がこないと、恥ずかしいじゃない。


「おかしい。確かに、誰もいなかったはずなのに」

「え」


 目線の先を追うと、


「ダメじゃと言ったぞ~」


 うそ。

 リョーマだ。屋上入り口の上、貯水タンクがあるところで腕を組んで仁王立ち。

 ここから、まさに疾風怒濤。

 ばっ、とジャンプして、どん、と着地して、だっ、と走ってきて、がばっ、とわたしを姫抱き。

 昨日の再現のような一連の流れ。


(あれ……)


 と、わたしも抱かれながら首をかしげる。

 屋上にあがったとき、確かにカギはかかっていた。屋内側から鍵で開け閉めするタイプで、あけた手ごたえがあったのをおぼえている。屋上側つまり外からカギをかけられる仕組みはない。


(中森くんと話しているときも、先生やほかの生徒がこないか、入り口はつねに気にしていたのに)


 どういうことだろう。

 モヤモヤしたまま、放課後になった。

 リョーマはわたしの席に来ようとしたが、担任の先生が廊下から声をかけて、そっちに行った。


「なあ、ミカオ」


 幼なじみの赤井あかいが、いつのまにかそばにいた。

 深刻な顔つきだ。


「あいつに……変なことされたりしてないか?」親指をたてて廊下をさす。あいつとはリョーマのことだろう。

「結婚の話? あれは冗談みたいなものだから」

「いや、そうじゃなく」ひたいにあてた手を上にスライドし、短い前髪をくしゃっと握る。「何もされてないなら、いいんだ」

「気になること言わないでよ。リョーマはわたしたちの友だちでしょ?」


 赤井は、ゆっくりと首をふった。


「あいつは、おれたちが知ってる竜馬じゃない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る