第17話 誓約のスリッパ―

 いろんなことが頭を駆けめぐった。

 逃げんなら、ってどっちに言ったの? 彼らに? それともわたしたち?

 そもそもベイビーって何? ダサくない? それとも一周まわってカッコいいの?

 逃げるっていってもどこから? 体育館の六つの出入り口には、一般入場と思われる私服の男の人がたくさんいるし。


「なんか……ヤバくない?」

「出よう、出よう!」


 イスに座っていた女子たちが動いた。

 どどど、とすごい勢いで出口の一つに集中。

 おっ、と迫力におされた彼らも左右に割れ、逃げる女子を通せんぼできない。

 人の流れができた。


「あれに乗りましょう」


 と、ちょうどバスが来たみたいなトーンで言う中森なかもりくん。


「……うん」


 目を見ずに返事した。

 感情を読まれないようにそうしたつもりだけど、


「気にしないでください」


 やっぱり彼にはバレる。

 ほんの少し前に、中森くんは不意ふいうちの〈再告白〉をして、わたしはそれを受け入れなかった。

 フったといってもいい。

 となると、もはや彼にはわたしなんかに関わる理由がなくなった――はずだ。


「それでもぼくはミカをまもります」すうぅー、と音がするので見ると、細いあごと小ぶりな唇をトガらせるようにして、空気を吸いこんでいた。胸いっぱいに吸いこみ、一拍ののあと、彼の口がひらく。「ミカのためなら、なんだってします!」


 突然の大声に、何事か、と体育館の中のほとんどすべての人の動きが止まった。


「今です!」


 私より背のひくい騎士ナイトに手をつかまれる。


「おう! 威勢がいいな、中森! そのブスをちゃんと助けてやれよ。下手ぁうつんじゃねーぞ!」


 ばたん、と床に倒れる音。連続で三回。目で確認できてないけど、倒れたのは九割九分、金月きんげつくんではないだろう。おらおら、とある種よろこんでいるような声が遠くから聞こえてくる。

 中森くんに導かれて一瞬で女子のかたまりの中に入り、もう体育館の様子は見えない。

 そのまま人の波を泳ぐように移動。


(ごめん)


 彼の横顔を見ながら考える。

 異性から告白されたことは、何回かある。わたしはそれを、全部ことわってきた。ことわる、っていうのは精神的につらいものだ。もちろん告白した子のほうが傷ついてるとは思うけど、こっちだって平然とできるわけではない。少なくとも、わたしにはできない。

 告白された日の夕食は、いつも半分ものどをとおらなかった。

 今日もそうだと思う。


「すみません、いつまでも――」


 ぱっ、とにぎられていた手がはなされ、手のひらが風でスーッと冷やされる感覚。二人分の手汗のせいだろう。


「ここは……大丈夫そうですね」


 クラブハウスの周辺に、生徒はあまりいない。

 ずいぶんな距離を走ったせいか、もう追ってきている気配もない。

 わたしたちは女子ソフトテニス部の部室に移動した。三階にある。ほかの校舎とちがって、ここは土足で入れる……といっても、いま履いているのは校内用の上履きだけど。


「じゃあ、外で待ってます」

「うん」


 みじかいシンデレラ生活も終わった。

 いつもの制服によそおいを変える。

 三分くらいしかかかってないと思う。かなり急いだほうだ。


「いいよ。とりあえず中森くんも中に入る?」と、ドアの外に呼びかける。ドアの上のほうがすりガラスになっていて、彼の頭だけが見える。もちろん頭は部屋のほうを向いているはずもなく、後頭部。

「……」

「中森くん?」

「いえ、なんでもありません」

「まだ外はあぶない人がウロウロしてるだろうし、少し時間をつぶさない?」

「……」

「中森くんってば」

「いえ」はっ、と息をのんだ。「なんでもありません・・・・・・・・・


 なんでもなくない!

 部屋の外で何か起こってる。よくないことが。

 そういえばクラブハウスの中は無人じゃないのに、いやに静か。考えてみれば、おかしい。誰かのおしゃべりの声すら聞こえてこないなんて。


(どうしたらいいの?)


 窓を見た。でもその外はベランダも何もなくて、脱出ルートはない。

 横の部屋につづくドア――もない。各部室は独立しているから。


「うっ‼」


 ガラスの向こうで彼が頭をおさえている。


「どうしたの! ねえ、中森くん⁉」

「だめだ……今、あなたが出てきてはいけない……あなたじゃなくて、ぼくがミカを助けるんだ……」


 あなた?

 それは、わたしのことじゃない。きっと青江あおえのことだ。


「110番……しましたよ、ミカ。警察のかたは優秀です。あと少しの間、そのまま閉じこもっていれば、あなたは安全だ」

「誰かいるの? わたしを狙ってる人たちが、すぐそこまできてるんじゃないの?」

「ミカ、お願いがあります。これからぼくに何があっても――しっかりとドアを閉めていてくだ――」


 ふっ、と彼が見えなくなった。

 がちゃがちゃがちゃ、とドアのレバーが動いている。ガラスごしに、誰か知らない人の首元がある。

 恐怖で体が動かない。

 意味もなく上履きの先端を見つめる。


「――残念。ガラスのくつじゃないんだ」

「ちょっとトモコ! 勝手にドレスをめくらないでよ!」


 まだわたしがループにとらわれる前の、最初の文化祭。中学最後の文化祭。

 教室の風景。

 前日か前々日の、衣装合わせのときだったと思う。


「ま」と、やっとドレスから手をはなす。「どっちも同じ、スリッパだけどね」

「なんのこと?」

「シンデレラのガラスの靴って、英語でグラース・スリッパーっていうのよ。で、ミカが履いてる上履きも英語だとスリッパーってわけ」


 さすがトモコね、と感心したら、えいっ、とまたしてもドレスをはね上げられた。で、教室の外まで追いかけていったんだよ。そのとき、追うわたしに肩ごしに見せたトモコのいたずらっぽい笑顔ときたら……大切な思い出のワンシーンだ。


(結局、この世界でも、トモコに声をかけれなかったな)


 親友なのに。

 だんだんわたしのことが嫌いになるなんて、残酷すぎるよ。


「ぐあっ!」


 中森くんだ。

 すごく痛そうな声。

 外からレバーを動かしていたのが、いつのまにか止まっている。

 まるで――


(助けたければこのドアをあけろ、っていうのね)


 無言でそう要求されているようだ。

 迷ってない。

 覚悟は決まった。


「やめて!」


 いっせいにわたしを見た。一目でカウントできないほど、男子たちがいる。うちの学校の制服を着てる子もいる。誰のだかわからないが、香水の匂いもする。


「もどるんだミカ! 出てきてはいけない!」


 声のほうを見るが、そっちには開けっ放しの窓があるだけ。

 え?

 もしかして……


「くるなっ!」

「すぐ助けるから!」


 窓のさんに指をひっかけて、今にも落ちそうな彼の姿。

 誰がこんなひどいことをしたの? こんなひどいことができるの?

 どうして誰も助けようとしないの? 助けてくれないの?


「ワナだミカ! 落ちようとしているぼくが、あいつらが仕掛けたワナなんだよ!」


 背後で人が動いたのがわかる。

 わたしを……とりおさえる気だ。

 彼らにとりおさえられたあとのことなんか、絶対に想像したくない。


「ミカ。すまない。ぼくがもっとうまく立ち回っていれば……」


 あやまらないで。わたしのほうこそ、巻き込んでごめんなさい。

 ゆっくり、中森くんの指が滑っていくのが見える。

 彼はもう限界だ。非力なわたしがつかんだところで、引き上げられるかどうか。その前に、うしろの男たちがわたしに触るほうがはやいだろう。

 こうなったら、わたしもいく。

 これが、唯一の解決策。


「中森くん……わたし」


 彼の手をとって、そのまま建物の外に飛んだ。

 空中で、どっちが上か下かもわからない状態で、わたしは彼と見つめ合った。


「あなたが好き! つきあってください!」

「ありがとう、ミカ。ぼくも大好きだ……よろこんで、つきあうよ」


 にこっ、と浮かべた彼の微笑は、さみしそうだった。


「地面に落ちる前に……ミカがどこかへ行ってしまう前に……ぼくは約束する」


 雨なんかふるはずない、いい天気。

 わたしの目元から、小さな水滴が二滴、三滴、青い空に向かって落ちてゆく。


「次のループでも、ぼくは必ずミカを助けます!」

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