第16話 決死のランナウェイベイビー
笑い声にビクっとした。
一人二人のものじゃない、大勢の人の爆笑。
そんなはずはないが、わたしたちが発した言葉に反応したような絶妙の
「となりの教室ですね」
「となり?」と、声のしたほうを指さす。「なんかやってたっけ?」
「
ははは、とまた聞こえてきた。
けっこう上手な人が上演しているらしい。
「それよりミカ、これを」
ベタっとした水色のショートボブのカツラをつけ、下手したら白い全身タイツっぽくも見えちゃうヘンな衣装を着ているのに、この真剣な態度。わたしもわたしとてシンデレラのコスプレをしているが、今は気にしてる場合ではなさそう。
「あらすじ……中学三年生の女子が、高校の入学式の日にいきなり時間をもどされて、タイムループに閉じこめられてしまう。ループ脱出の方法はただ一つ。男子に告白して、それを失敗させること。すなわちフられて失恋すること……」
一ミリの狂いもなく、現在のわたしの状況と一致。
「主人公の名前は――
「え? 中森くん、まさかもう全部読んだの?」
「いえ……残念ながらぼくは小説の速読はできないんです」自分の髪のように、耳元の水色の髪をかるくかいた。「ハードカバー一冊読むのに二、三か月かかるタイプです。パラパラ目を通したところに、たまたまあっただけですよ」
「何が?」
「超絶かわゆいJC……って」
このタイミングでこそ欲しい、となりからの笑い声。
なんでシーンとしちゃってるわけ?
静かだと気まずくなるじゃない……。
「ちょっとごめん!」
机の上の〈小説〉をとりあげた。
わたしも速読なんかできないが、とにかく内容を知りたい。
とくに――その結末を!
「こんなとこにいたのか!」
「わっ」
突然の大声におどろいた。
手の力が抜けて、もはやお宝にもひとしい冊子がすべり落ちる。
とっさに、昔やってたサッカーの名残りが出て、足でどうにかしようとしてしまった。失敗。
つま先にあたったそれが、カーリングのように床をつーっとすべってゆく。くるくる回転しながら。
「――ん?」
「ん? じゃないよ! それ、ひろって! はやく! お願い!」
入り口に立つ幼なじみの
何が何やらという表情の彼。なぜかサッカー部のユニフォームを着て、文化祭のパンフレットらしきものを片手に持っている。
「……どうしたんだよ、ミカオ。そんなにマジになって」
もともとさっぱりした短髪だったのに、いつのまにか自然に分け目がついてしまうほど伸びている。心なしか、身長も少し伸びたのかな。これでメガネでもかけて、体育会系じゃなく文化系のカッコよさを追求していっても、けっこういい感じになるかも……あー、そうじゃなくて、小説、小説だってば!
「確かに、本は逃げませんよ」
わたしがあわてている様子を見て、中森くんが冷静に言う。
「わかってるけど」入り口へいそぐ。「なんかイヤな予感が……して――」
ぱっ、と視界が暗くなった。
背の高い男子がつくった影がわたしの全身をつつむ。二人。サンドイッチするように、赤井の両サイドに立っている。
「ごめんなさい。ちょっと通ります」
と、一歩ふみだしたものの、相手によけるそぶりが
「すげーいいオンナ……ウワサどおりだぜ」
「な? なんか見てるだけで、たまんねえよな?」
この人たち、やばい。
それを感じ取るのが、一秒おそかった。
「やっ、ちょっと、はなしてください!」
かわす
学校の中では見たことない顔だ。私服だし。もしかしたら高校生かもしれない。
あらためて、やばい。
今日は関係者じゃなくても学校の中に入れる特別な日だった。
と、いうことは、ほぼ無差別に男子の好感度アップの恩恵……いや、
(もっとも危険な日じゃない!)
望まずとも、シンデレラのように王子様に追いかけられる可能性が。
それを理解するのが、一日おそかった。
「はっ!」
するどいかけ声。
電気ショックを受けたように、腕をつかんでいた手が一瞬ではなれた。
正拳突きの姿勢。
みごとな一撃だ。
「これは……よくないですね……」
なんで? きれいに命中したのに、と中森くんのほうを見ると、いつも冷静沈着な彼らしくない
「やめろって、おい!」
やや反応のおくれた赤井が、サッカーのブロックのように両手で前に出てこようとする二人を制止している。
が、
「うわっ!」
赤井が後ろの集団に押され、将棋倒しになった。しかも一番下に。っていうか、どこからこんな人数が?
「ちょっ!
「いってー」
声の感じでは、大丈夫そうだ。後頭部が見える。
体をもぞもぞ動かして、どうにか
「
ずぼっ、と赤井の上半身が脱出できた。
安心――と思うヒマもなく、
「ミカ!」
手をとられて、引かれた。
「逃げよう! 外へ!」
「でも……」入り口付近は、まだ大混雑だ。倒れて、まだ起き上がってない子のほうが多い。
「踏んで!」
なんて大胆な。
とはいえ、逃げるにはそうするしかない。
ごめんね、と念じつつ、わたしは上履きで彼らの背中をどっしどっしと踏む。
「ミカ! 立ち止まるな!」
「確かこのあたりに……」
あるはずなのに、あの小説が。
寝そべっている男子たちの体に隠れて、見つけられない。
「あきらめましょう。まずは、身の安全を」
「そうよね……」
廊下を走った。
あーもう、ドレスのすそって、ものすごく走るのに邪魔。絵本や映画のシンデレラはどうやって走ってたっけ。こんなので階段なんか走ったら、つまずくの不可避だよ。
注目もすごい。
イベントか何かだと思って、すれちがったみんながスマホを向けてくる。
「とりあえず、女子が多い場所へ移動しましょう。そこなら、男は動きをとりづらいはずですから」
どこかでカツラが脱げてしまい、今の中森くんの頭は黒髪だ。
わたしも、髪の留め具がはずれて、アップにしてもらったのが台無しになっている。
「じゃあ……体育館は? 男子のバンドがライブやってるはずだけど」
「いいですね」
早足で校舎を出て、連絡通路から体育館へ。
うるさいかと思ったら、意外にしっとりとした音楽。ソロで、ギターの弾き語りをしている。
最後尾のパイプ椅子にならんで座った。
ふー、と一息つく。
「どこかで着替えて……もうミカは帰宅したほうがいい。着替えはありますか?」
「部室にあるの。だから、いったんクラブハウスまで行かないと」
「こんなときに、なんですが――」
判断はおくれなかった、と思う。
よけなくていい、と決断したのかもしれない。
動かそうとすれば動かせたはずの、わたしの手。
ひざの上の左手に、中森くんが右手をのせた。
赤いカラコンの、まっすぐな瞳。
「ぼくはあなたのことが好きです」
「え?」
ずるい、と思った。
彼のことじゃなくて、自分が。
しっかり聞き取れたのに、聞こえなかったような返事をするなんて。
昔のわたしは、もっと感情にストレートだったはず。
好きなら好き。きらいならきらい。
あいまいになんて、したくない。
「ごめん、中森くん。わたしは――」
わっ、と歓声があがった。
ステージに対してではない。
体育館の両側にある六つの扉が、いっせいに開放されたことにだ。
館内は暗くしてあるから、扉のそばは逆光。
恐怖を感じるほど、びっしりと人が立っている。
「いよいよ強行手段か。相当な執念だな……」
「出口が……ない?」
演奏がとまった。
ステージのほうも騒然としている。先生を先生を、という緊張した声が聞こえてくる。
逃げようにも道がない。
扉のあたりに立つ人たちが不動だから。
「駆け抜けるしかないのか……しかし、危険すぎる。ぼく一人ではミカを
イスから立ち上がったものの、どうしていいかわからない。
――と、
「……んだよ、行く場所もねーから聴いてやってたのに」
「
「おう中森」バスケットゴールのうしろ、二階の高さにある通路で片手をあげる。「と、ブスか」
「ミカをわるく言うな!」
合図らしきものはないのに、同時に行動を開始した。
体育館を取り囲んでいた彼らが、だーっ、とわたしたちのほうに走って来る。
「なんだぁ、こいつら?」
「金月、手をかせ! こいつらは彼女を狙ってるんだ!」
「だりーから、パス」くるっ、と背中を向けた。「勝手にやってろ」
わたしに手が伸びてくる。
一本二本三本。
中森くんが突きや蹴りでさばいていたが、
「だめだ……これ以上は」
「そんなにいいか~? このブスってよぉ」
えっ。
瞬間移動のように、目の前に金月くんがワープしていた。
とびおりたんだ、あの高さから。
「ぱっと見、そんなにケンカなれしてるヤツもいねー。中森、こんなヤツらに苦戦してんなよ」
足元に一人、踏みつけている。まさか、とびおりたついでに、倒しちゃったの? 強すぎでしょ。
わたしと目が合った。
へっ、と音がつくような、憎たらしくもかわいらしい、そんな微笑を浮かべる。
「まー、ブスでも女は女だ」
「女」と発音したところで、ばんばん、と二発パンチを打って、速攻で二人を
押せ押せでわたしに迫ってきてた集団の空気が、これであきらかに変わった。ひいている。申し訳ないけど、わたしもひいている。まったく……この子を敵に回さなくてよかったよ。
「ほら……逃げんなら今のうちだぜ、
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