第12話 激情のトリガー

 わけわからなく、なくもない。

 えっと、つまりね……わかってるんだけど、わかりたくないというか……。


「ほら」


 中森なかもりくんがスマホを差し出した。なにげに最新機種。


「これ――テニス部の部員一覧です」


 ここまでしてくれなくても、とは思ったが、一応確認する。

 彼が警察手帳のようにわたしにつきつけるスマホの画面に指でタッチし、ぐーっ、と下までスクロールする。

 うん。ひととおりチェックしたけど、やはり青江あおえの名前はどこにもない。

 この事実が意味するところは、わたしだけが知っている。


(うそでしょ)


 すなわち赤井あかいと同じ現象。

 ループするこの世界で誰かと相思相愛になったら、その相手が消える……いや、実際――相愛っていうほどじゃなくても、お互いに「いいな」って思い合うぐらいでそうなるような気はしてた。


「赤井」


 の、ときにそうだったから。

 たぶん、わたしのほうに、ふかい恋愛感情がなくても――って、


「えっ? まさかあかちゃんがいるの?」

「赤ちゃん?」


 想像以上に、彼はおどろいた。

 初対面のときから冷静沈着だったイメージで、こんな〈びっくり顔〉を見たのははじめてだ。


「あ、赤ちゃんがいるって……どういうことですか……脈絡もなく変なことを言わないでください」

「だって、キミが『赤井』って言うから」


 あたりを見回したが、どこにも彼の姿はない。

 中森くんは抗議するように声を張り上げた。


「ぼくは『赤い』っていったんです!」


 スマホをにぎった手の、人差し指だけがにゅっと伸びる。

 その先にはカーブミラーがあった。

 見上げると、そこには少しゆがんで映るわたしと彼がいる。ほっぺは確かに少しピンク色になっていたが、どちらかというと、中森くんのほうがだった。


 ◆


 今はスポーツの秋。

 わたしの中学は体育祭のあとに学年別の球技大会がある。期間は三日。一年、二年、三年という順番で。

 ダブル告白された昨日は一年生、で、今日は二年生の日なんだけど……


「きゃーっ‼」


 という黄色い声援がすごい。

 開放された窓からさわやかな風とともに次から次へと教室にとびこんでくる。

 運動場からだ。

 もう五時間目もそろそろ終わる。

 と、いうことはちょうど決勝戦あたりね。

 もりあがるのも当たり前か、と授業に集中しようとしたとき、


「中森くーーーん‼」


 はっきり聞こえた。

 女子なのにすごい大声……じゃなくて、え? このさわがしい応援の中心にいるのは、彼なの?

 おお、という重低音の男子のどよめき。

 ひときわ大きくなる女の子たちの声。  

 ホイッスル。

 映像をなくても展開が手にとるようにわかる。

 中森くんがいるクラスが、優勝したんだ。


(そんなに運動神経がよさそうなタイプに見えないけど……)


 テニス部とはいえ、体のセンが細いし。

 今、みんなが外でやってたのはサッカー。

 テニス部なのにサッカーも得意なんて、まるで――


「先輩からガチで勧誘されたんだけどよ……おれはテニス部にしたぜ。べつに――シラケンと同じ部に入りたかったから、とかじゃ……ないぞ? まじで」

「同じと言えば同じだけど、わたし、軟式のほうだよ?」

「え」


 あのときのおどろいたようなガッカリしたような青江の表情は忘れられない。

 あれは一年生の春……もうずいぶん前みたいに感じる。

 鈍感なわたしでも、今ならあの表情の意味がわかる。

 鈍感でごめん、と、当時の彼にあやまりたいぐらいだ。 


「わっ」


 放課後になったと同時に、見知らぬ女子が一人、教室に入ってきた。

 六時間目の授業をぬけ出してずっと廊下で待ってたんじゃないかっていうレベルの早業はやわざ

 ミユキがおどろいた声をあげたのも、ムリはない。


「あなたは確か……」

「いいの。占部うらべさん。私が狙ってた彼のことはもう忘れてよ。それより――」


 ほかのみんなは、誰も気にしていない様子。

 わたしは、すすす、とさりげなく近づいた。


中森なかもりじゅんくん! あの子のことが知りたいのっ!」

「は、はぁ……」


 女の子の熱意とは対照的に、ひき気味のミユキ。


「ね、中森くんって誰か好きな子とかいる?」


 いない、または、わからない。

 そうこたえるはずだ――と、わたしは全神経を耳に集中していた。油断すると聞き逃すほど、放課後直後の教室はさわがしい。


「い……います」


 えっ?

 予想外の答え。

 急にドキドキしてきた。


「誰?」


 誰なの? とわたしもミユキに心の中で同じ質問をした。

 すーっと指を伸ばした手をおでこの下、眉毛の高さにあてる。

 どこかしら、と何かをさがすジェスチャーだ。

 きょろきょろしているミユキが誰をさがしているのか、なんとなくわかってきた。わたしだ。

 目が合った。


「あちらにいるお嬢さまで……」


 と、手のひらを上に向けた両手でわたしを指す。 


「え? どの人よ、あ――」目が合った。「はい終わった終わった。あきらめまーす」


 勝ち目なさすぎでしょ~、とひとりごとにしては大きな声でつぶやきながらその子は教室を出ていった。

 チャンス。

 今、ミユキのそばには誰もいない。

 話しかける口実もある。


(いこう)


 一歩ふみだしたのと同時に、ぬっ、と突然わたしを通せんぼするようにあらわれたのは、


あかちゃん……」


 幼なじみ。


「話がある。ちょっとつきあってくれ」


 一瞬、彼の髪の毛が赤く見えたのは、さしこんだ夕日のせいだった。

 そっか、もう赤井も部を引退してるから、放課後はフリーなんだっけ。

 これも引退の影響なのか、少し長く伸びてる彼の髪。

 わたしは……前みたいに〈スポーツ刈り〉っていうぐらい思いっきり短いほうが似合ってると思うんだけど。


「いい……よな?」

「告白するんじゃないよね?」


 思わぬことを口走ってしまった。

 ぴゅう、と口笛。誰よ、もう。


「しねーけど……ミカオってそんなに自意識過剰だったっけ?」


 ほんとだよ、と反省。

 昨日、青江に告白されてあんなことになったから――という正当な理由があったとしても、女子のほうから確認することではない。 


「もしかして、最近、誰かにコクられたのか?」


 するどい。

 赤井のくせに。

 運動一筋で、こういう男女の微妙な感情にはうといと思ってたけど。


「あ、あの……みなさん……順番におならびになって、どうぞ……」


 ミユキの声。

 そっちを見ると、すでに大行列。外の廊下にまで伸びている。

 さすがは〈告白請負人うけおいにん〉だ。今月の終わりには文化祭があるから、それまでにパートナーが欲しいという心理だろうか。ならんでいるのは女子が多いけど男子もちらほらいる。


「占部さまさまだろーな」

「えっ?」

「コクったりコクられたりしてうまくいったヤツらだよ。神様みたいに思ってんじゃね?」


 神様か。

 そんなワードで頭に浮かんだのは、なぜかあのフードの人。

 正体はさておき、一人の人間をループする時間の中にとじこめるなんて、ほとんど神様みたいなものだ。 


「で、誰にコクられたんだよミカオ。クラスのやつか?」

「まだその話する気?」

「教えてくれって」


 とりあえず教室を出た。

 スクールバッグを肩でかつぐように持って、赤井もあとについてくる。

 しばらく廊下を歩く。

 盗み見るように、一瞬、うしろをふりかえった。


あかちゃんも、けっこう人気があるって聞くけど)


 それとなく本人にたずねても教えてもらえないが、女子のネットワークを甘くみてはいけない。

 今年に入って、すくなくとも三人には想いを伝えられているはずだ。

 それをことわった理由は――ループ後に色々あったせいで、今ならはっきりとわかる。


「で、どこに行く気だよミカオ。先に『話がある』って言ったのは、おれのほうなんだけど」


 あきれたようにボヤく赤井。

 たしかにこの状況でわたしが主導権をとるのはおかしい。

 校舎を出て、運動場につづく屋根つきの通路に入る。けっこうスペースが広くて、雨の日はここは運動部の筋トレでびっしりになる。


「おい、あれ……」


 横にならんで彼が言う。

 人だかりができていた。


「なんかヤバそうだな」

「うん」


 ケンカという雰囲気ではなく、ケガ人や病人が出たときのような空気。 

 そのまま様子を見守っていると、先生がタンカを手にしてやってきた。


「大丈夫だといいな」

「うん……?」


 のどに物がつまったような返事になってしまった。

 見物けんぶつの人たちのスキマから、彼の顔が見えてしまったからだ。

 視線を下げて目を伏せるようにした、中性的な顔立ち。


「どうかしたのか?」


 ぶんぶん、と首をふった。ダメ押しでもう一回、ぶん、とふる。

 胸さわぎがする。

 とにかく、ここからはなれたほうがいい。


「行こうぜ、ミカオ」


 赤井がわたしの手をにぎった。

 っていうか、さわっただけっていうぐらい弱い。

 小学生のときは、いっしょにサッカーをやってもっとはげしい接触もあったから、べつにイヤとかじゃないんだけど……。


(えっ)


 体に電気が走った――実際、それは危険な引き金トリガーだった。

 ダダダダダ、と走ってくる音。

 まさにタンカではこばれようとしてた人間が、たてられる足音じゃない。


「てめー!」


 細身の中森くんが、自分より数センチ高くて体格もいい赤井の胸倉をつかんだ。

 そのはずみで、つながっていたわたしたちの手ははなれる。


「アカ! 勝手にカレシづらしてんじゃねーぞ! おれはまだ消えてねー! ここにいる!」

「アカ……? おまえ、どうしておれの名前を知ってるんだ?」


 ぐいいっ、と力任せに赤井の顔を引き寄せ、にらみ合う。


白鳥しらとりを好きな気持ちは、絶対におれのほうが上だ!」

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