第二話 お姉さまの研究所
「ふぅ……もう夜ね」
すっかり暗くなってしまった空を見ながら、やれやれとため息をつく。
お父様を説得するのに、思った以上に時間がかかってしまった。
しまいには、暴れ出そうとするお父様を私と使用人総出で止めたほどである。
やれやれ、これでは先が思いやられるわね……。
お父様よりもはるかに厄介な人が、我が家にはいるというのに。
「お姉さま、入るわよ?」
「ほーい」
中庭に建てられた小さな離れ。
その建付けの悪い戸を押し開くと、たちまち中から薬品の匂いが漂ってきた。
お姉さま、また何かよくわからん実験をしてるわね……。
ポコポコと沸騰する、蛍のような色をした薬液。
不気味に光るそれを眺めながら、私は困ったように肩をすくめる。
私の姉、シアンナの職業は錬金術師。
王立学会に所属していて、主に爆薬の製造を研究しているらしい。
正直、詳しいことは私も良く知らないのよね。
離れの研究室に引き籠っていて、たまに爆発を起こす困った姉……というのが私の認識だ。
一応、何か有名な賞を獲っていて有望な若手研究者ではあるらしい。
「やあやあ、久しぶり~!」
やがて研究所の奥から、気の抜けるような声と共にお姉さまが姿を現した。
ローブを着崩し、化粧もほとんどしていないその姿はとても貴族令嬢とは思えない。
まったく……本当にいい加減なんだから。
それでも、元が良いせいかそれなりにサマになっているのが救いか。
めちゃくちゃな生活をしているくせに、太ることもなければお肌もツルツルしてるのよね。
本当に羨ましい体質だわ、こっちはニキビができやすくて困ってるのに。
「リーファが家に戻るなんて珍しいじゃん。どうかしたの?」
「えーっと、それがね……。お父様にはもう話したのだけど……」
お姉さまは果たして、どんな反応をするのだろうか?
それを全く読むことのできなかった私は、恐る恐る事情を説明した。
するとお姉さまの顔つきは次第に険しくなり、やがて――。
「もう限界! リーファ、あんた面白過ぎるわよ! あはははは!!」
「えぇ……」
「王様殴ってくるなんて、なかなかできることじゃないよ! 昔から短気だと思ってたけど、そこまでとはね~」
「わ、私も何もそこまでするつもりはなかったの!」
くぅ、は、恥ずかしい……!!
自分の仕出かしてしまったこととは言え、こうも大笑いされると顔から火が出るようだ。
厳しく問い詰められることよりも、こっちの方が精神的に来るかもしれない。
「ま、追放になっちゃったのはしょうがないわ。どうせ、この国の先は長くなさそうだし」
「あー……お姉さまもそう思ってたんだ」
「まーねー、あんなのが王様じゃあね。下についてるのもろくなのがいないし」
うんざりしたような顔をするお姉さま。
そういえば、研究費が打ち切りになったとかで最近も騒いでたからねえ……。
王は将来への投資というものを理解していないとか、ぶつぶつ文句を言っていた覚えがある。
「それで、国はいつまでに出て行けって?」
「一週間後よ。ついでに荷物はほとんど持って行けないわ」
「なるほど。で、国を出た後の目的地はどこ? あんたのことだから、もう考えてるんでしょ?」
さすがシアンナお姉さま、話が早い。
その辺のことについては、家に戻るまでの道中でしっかりと考えてある。
私は懐から大陸の地図を取り出すと、その中央付近に描かれている森林地帯を指さす。
「このフィールズ大樹海の開拓地へ行こうと思ってるわ」
「ちょっと距離があるわね。けど、あそこなら潜り込みやすいか」
「ええ。いまだに係争中の土地だからね」
フィールズ大樹海はもともと、古代龍の支配する魔境であった。
この龍が英雄ノルドール率いるパーティに討伐されたのが、およそ十年前のことである。
それ以来、各国は豊かな土壌と貴重な動植物を目当てにこの森の開拓に乗り出したのだが……。
現在でもどこの国に属するのかはっきりとしていない。
もともと人の立ち入ることなどできない土地であったため、国境をはっきり定めていなかったのだ。
そのためここの開拓地には訳アリの人間たちが集まり、混沌とした様相を呈しているという。
私たちのような追放者が逃げ込むには、まさしくうってつけの土地だろう。
「お父様にはもう伝えたの?」
「行先についてはこれからよ。ま、反対されることもないでしょ」
「そう。じゃあ今のうちに、やり残しのないようにしとかなきゃね~」
ふあぁっと大きなあくびをすると、すぐさま研究を再開するお姉さま。
実験用具をひっくり返し、ガシャガシャと騒がしい音がする。
そして――。
「げ、間違えた!」
「なにこれ!? わわわわっ!!!!」
閃光、衝撃、轟音。
強烈な爆発によって、たちまち離れの一角が吹き飛ぶのだった。
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