第3話 女神転生

 川のせせらぎの音が聴こえる。


 水の音は心地良い。そういえばYouTubeには、雨の音とか川の音だけのBGMがあった。集中力アップや熟睡できるとかのやつだ。寝るときにたまに聴いていたな。


 ということは、ここは夢の中か……。


 しかし首が痛い。頭もガンガンする。それに、胸に重しが乗っかっているみたいだ。圧迫されている。


 そうだ。たしか、青黒いジェルに飲み込まれたんだ。夢じゃなく、あの世か?


 フッと目を薄く開けた。青空だ。フワフワ飛んでいるものはチョウチョだ。


 オレは生きている。いや、ここはあの世で天国かもしれない。オレが天国に行けるとは思えないけど。


 ここは川辺の草むらのようだ。背丈もあるような草が茂っている。


 上半身を起こしたとたんに朦朧もうろうとなった。その刹那せつな、猛烈な吐き気に襲われ、その場で吐いた。


 吐くのはいい。吐いたらラクになるのを知っているからだ。


 そこで初めて気づく。四つん這いになって地面につけている両腕を見ると、細く白い。視線を内に向けると、胸から乳房が垂れていた。


 人間、朦朧としていると、どんなことが起こっても客観的になるものだ。とりあえず吐きつくすことで精一杯だった。


 白い手で口をぬぐう。さいわいここは川辺だ。あとで洗いに行くとして、いったん落ち着こう。


 そこでまた気づいた。上半身の服はやぶれかかっており、下半身はなにも着ていなかった。


 まずは頭の整理だ。もう一度仰向けになる。


 右手をまず左胸にあてる。


 ふくらみがある。


 揉む。


 それから右胸も揉む。


 女の体だ……。


 ということは……。


 指をお腹から股間にすべらす。


 陰毛の草むらを越え、中指は肉と肉の間の溝にめり込んでいった。


 男根が見あたらないない。まちがいない。これは女性性器だ。風俗店でいつもやるルーティンを、自分の体でやった。


 つまり、女の体になっている……!


 そういえば、ネットでチラっと見たことがある。転生とか転移とかのラノベを……。その場合、だいたい中世ファンタジー世界に行く。


 オレは女に転生して、ここは中世ファンタジー世界なのか!?


 気分は不思議と高揚こうようしてきた。夢なら覚めないでほしい。


 首はあいかわらず痛いが、吐き気もなくなったのでムクっと立ちあがった。


 あたりを見まわすと、畑が広がっている。その向こうにお城らしき建物群がそびえていた。


 どう見ても新宿の超高層ビル群ではない。ドラクエとかスカイリムとかで見るような建物だ。


 「まちがいない! オレは中世ファンタジー世界に転生したんだ! それも女になって!」


 ファンタジー世界への憧れはあった。その夢がかなったのだ!


 オレは興奮した。いまが人生最高のときと実感した。


 もう、無表情のコンビニ店員の顔も見なくてすむし、排気ガスのに覆われた道路を通らなくてもいい。


 それに、空気がこんなにうまいなんて……!


 「最高だ!」


 夢なら覚めないことを祈った。


 とりあえず、お城らしき建物があるところへ行ってみよう。そのまえに着るをなんとかしなくては。


 この体の“元の持ち主”は、ここでなにをしていたのだろうか。そして、“本人”はどこへ行ったのだろうか。そんなことをすこし考えながら、あたりを探した。


 草むらのなかに、ふんどしのようなものがあった。たぶんこれが下着だろう。それからスカートも見つかった。ちょっと離れたところに、クツもあった。


 なんでこんなにバラバラしているのだろうか。それに、スカートもすこしやぶれている。


 もしかしたら、“彼女”はつまずいたのかもしれない。にしても、下着まで脱げるものだろうか。


 または用を足していた最中に、なにかハプニングがあったのかもしれない。


 やぶれた服とスカートは、強引に結んだりして、なんとかつくろった。


 衣服を着ようとしたとき、太ももの内側になにかの“垂れ”を感じる。指で太ももをさわると、白い液体だった。ドロっとしている。膣から流れ出ていた。


 おもらしか? 生理か? いや、生理なら赤いはずだ。もしかすると、体がオレとの拒否反応を起こして、なんらかの生理現象でこうなったのかもしれない。


 なんせ、元・男だからな。じつは、男性性器の感覚はまだある。ある種の幻肢痛げんしつうかもしれない。“ファントムペイン”だ。メタルギアソリッドみたいでカッコいい。


 のんきに言ってはいられない。はっきりいって、いまでも全身的に気持ち悪い。男を36年間やってきて、いきなり女の体になるのだから、多少の生理現象があって当然のはずだ。慣れていくことを願う。


 川辺へ向かった。


 まずは、自分の顔がどんななのかが知りたい。


 ユラユラゆれる水面みなもに、自分の顔が映る。


 息を飲んだ。


 「超美人だ……!」


 なんて美しい顔なんだ。


 「女神のようだ」


 ほほや口元が汚れていたので洗い、股間や太ももも洗った。それから3分間は、“女神”を見つめていただろうか。


 “前”は、ブサメンだった。自分の顔がいやだった。コンパでも人数合わせで呼ばれるだけだし、女から目も合わせてくれない始末だ。オレに優しくしてくれる女性なんて、風俗嬢だけだった。


 それがいま、中世ファンタジー世界に、美人として転生したのだ。本当の意味で、最高の女を“自分のもの”にしたのだ。いいのか悪いのかわからないけど。


 それもこれも、あのボロいお店のおかげ……。


 そうだ、あのビー玉外人のことを思いだした。


 たしか、あいつはオレに、チケットの半券を右手に握らせたはずだ。


 「可能性は低いが」とかなんとか言って、半券をオレに渡した。


 とりあえず、さきほどの四つん這いになったあたりをしらべた。ゲロの右のほうに、くしゃくしゃになった小さな紙切れを見つけた。


 署名欄には一本の線が引いてある。そうだ。名前だ。名前を書こうとしたんだ。


 「名前を書け」って、しきりに言ってたな、あいつ。でも書けずに、オレは青黒いジェルに飲み込まれてしまったんだ。


 「……」


 「アレ……?」


 「名前……」


 「オレの名前……」


 「オレの名前……」


 オレの名前なんだっけ……?

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