3
志乃歩の助言を受け、貴生はそれまでと同じ生活をするように努めた。見えない少女に向かって話しかけてみようかと時折思うが、待つことに徹する。解決するときがいつか来ると信じて心を落ち着かせた。
小野不動産を訪れてから三日後の昼過ぎ、貴生が大学にいると志乃歩から電話がかかってきた。今日また会えないかと言うので了承すると、十七時半にこの前のバス停で、とだけ伝えて志乃歩は電話を切った。
約束の五分前に志乃歩はバス停に来た。貴生に「思いのほか元気そうで何より」と言うと、用件は切り出さずに雑談をする。今回はバスに乗ってからも会話を続けていたが、志乃歩が途中で「ここで降りるから」と言い、貴生の家よりだいぶ手前で二人は下車した。
バスを降りてから道伝いに歩き出すと、志乃歩は霊を見る方法について唐突に説明を始めた。
「霊感の弱い人が霊を見る方法は色々あるの。一つは依代を使う方法ね」
「依代というと何かに霊を降ろすってことですか?」
貴生の問いかけに肯定して、さらに続ける。
「例えば写真が依代になるわね。いわゆる心霊写真ってやつ。カメラマンが霊能者でなくても、写真という媒介があれば比較的容易に霊を見ることができる。その他は――鏡ね」
「……この前、彼女が見えたのは姿見が依代になったから、ということですか?僕が普段使うときは何も映りませんけど」
「恥ずかしくて隠れていたのよ、きっと。でも君の部屋に鏡があったから、君が見たものと私が見たものが同じと確認できた。おかげでだいぶ手間が省けたよ」
少し歩いてから、また説明する。
「依代を使う以外なら時間帯を選ぶっていうやり方もある。丁度今、夕方というのは霊が見やすくなるの。あのアニメでも言ってたけど、黄昏時は此岸と彼岸が曖昧になる。君があの子を夕方に見たのはそのことも関係している。――でも、彼女にとって夕方というのはそれ以上に意味があった」
そこで志乃歩は立ち止まった。高校前のバス停だが、バスを待つ生徒は一人もいない。遠くのほうに部活帰りの女子生徒が見える。その制服は――
「あの子は部屋に憑いていたんじゃない」
それから呼びかける。
「ここまでお膳立てしたんだから、そろそろ出てきなさい」
志乃歩の声に応じて制服姿の少女は現れた。
◇
しばしの間、二人と少女はその場にとどまっていたが、バスの利用者達の迷惑になるからと、近くの公園に移動した。砂場には子供達が遊んだ跡があるが今はもう誰もいない。貴生と少女がベンチに座ると、不動産屋は「用があるから」と先に帰ってしまった。
長い沈黙のあとに少女は口を開いた。
「本っ当に、すみませんでした」
貴生が抱いていた印象よりも明るく、迷いのない声で少女は喋り始めた。
「あなたを初めて見たのは四月です。朝、バスで一緒に通学している友達が偶々あなたを見つけたんです。それで『あの人いいね』って、みんなでこっそり盛り上がってました。次の日には他の子は忘れちゃったみたいだけど、私はまた会えないかなって思ってました。でも、それっきりだったので、そのうち私も忘れちゃいました」
「次に会ったのは五月の下校のときです。その日は体調が悪くて、ぼーっとバスの中で立っていました。そしたら『席、どうぞ』って声を掛けてくれた人がいて、顔を見たらあなたでした。私、びっくりして、嬉しくて、きちんと返事もできませんでした。そして思ったんです。次会ったときは思い切って話しかけてみようって」
「――でも、そのあと私、死んじゃったです。自分が死んだときのことってよく知らないんですけど、日曜日にお買い物してたときの交通事故だったみたいです。だからあなたに会えたのはその二回だけです」
「気が付いたら、制服を着てさっきのバス停にいたんです。そこにいる理由はわからなかったけど、とりあえずそこにいたら止まったバスの中にあなたを見つけました。私、思わずバスに乗っちゃって、悪いことだとは思ったんですけど、ついて行っちゃったんです」
本当にごめんなさいと、少女はまた頭を下げる。
「私の一方通行でしたけど、一緒にいられることがとにかく嬉しくて。特に部屋で二人だけのときは『お家デートってこんな感じなかな』って思ってました。だからあの夜も隣にいたんですけど……近づきすぎて、ばれちゃいました」
「そのときのあなたの様子を見て、このままでは駄目なんだって気付きました。でもどうすればいいのかわからなくて、悩んで……不動産屋のお姉さんに相談しに行きました」
不動産屋は少女が来たことに驚かなかったという。
「お姉さんは私の話をちゃんと聞いてくれて『あなたが望むようにすればいいし、場合によっては手助けすることもできる』って言ってくれました。
それで決心がつきました」
少女は立ち上がり、正面から貴生の顔を見る。
「幽霊だけどあなたといられて楽しかったです。私、あなたに出会えて良かったです。本当に……ありがとうございました」
茜色の空の中、笑顔に涙を浮かべてそう言うと少女は名前も告げずに消えてしまった。
◇
それから三日後の午後、貴生は再び小野不動産を訪ねた。貴生を見て志乃歩は軽口を叩く。
「やあ、色男クン。今日は何の用?」
照れ笑いを浮かべて先日の御礼に来た旨を伝えると、志乃歩は前と同じように貴生には紅茶を出し、自分には珈琲をいれた。
貴生が持ってきたベイクドチーズケーキを味わいつつ、志乃歩が確認してくる。
「心配はしてなかったけど、御礼に来たってことは無事解決したってことよね。問題なくできた?」
「……多分、できたと思います。一方的に喋ってそのあと消えちゃったんで、正直なんとも言えないんですけど。きっと上手くいったんだと思ってます」
そして少女の最後の様子を伝えると
「キスぐらいするかと思ってたけど。やっぱり奥手ね」
と真面目な顔をして志乃歩は呟く。貴生は黙って笑うしかなかった。
ケーキを食べ終えた志乃歩は「ごちそうさま」と言ってから何かを思い、少しばつの悪そうな表情をする。
「よくよく考えると私、君に感謝されるようなこと、何もしてないわね」
「そんなことありませんよ。ちゃんと僕にアドバイスしてくれたじゃないですか。それにあの子の相談にも乗ってくれたみたいだし。小野さんのお
かげです」
「――そっか。じゃあ、これは二人からの御礼ってことにするわ」
納得する志乃歩の言葉には不思議な優しさが感じられた。
会話をしている間、志乃歩は今日もほとんど視線を合わせない。その仕草自体は単なる彼女の癖なのだろう。そう思いつつ貴生も同じ方向を見ると、PCのディスプイが部屋の光を反射し、室内の様子を映し出していた。
(もしかしたら彼女には最初からあの子が見えていたのか)
だが、そのことを確認しようとは思わなかった。
改めて貴生は志乃歩のほうへ向き直る。今日ここに来た理由はもう一つあった。
「その、はじめに来たとき聞き忘れていた仕事料なんですけど、一体いくらになるんでしょう?もちろん時間をかけてでも、きちんとお支払いするつもりですが」
「ああ、そのことなら心配しないで。君、ここを教えてもらうのに紹介料取られたでしょ。学生が払えそうなギリギリの金額にするあたり、あの不動産屋もせこいというか、商魂たくましいというか。なんにせよ、それを寄越すように伝えてあるから。それで大丈夫」
志乃歩は答えると微笑みを見せた。
(了)
夕方の部屋、幽霊の少女と 加形 一ノ芭 @ichinoha_kagata
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます