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志乃歩はタブレットを取り出すと、貴生の住所をもとに調査を始めた。ニュースサイトの刑事事件記事や自治体が公開している交通事故の発生マップ、心霊スポットを語り合うコミュニティなど幅広く確認するが、二キロ離れた廃工場に幽霊目撃談があるだけでめぼしい内容は何もない。住所からの情報収集を打ち切ると、志乃歩は次に貴生個人について尋ねてきた。
「これから訊くことは、君の相談事には関係ないことに思えるかもしれないけど気にしないで。もちろん答えたくないことには、答えなくていいから」
そう前置きして始まった質問は確かに意図がわからないものばかりであった。生年月日や家族構成といった情報から地元の交友関係、さらには普段の生活の様子――朝起きてからら何時に家を出るか、大学にいるとき以外ではどのようにして過ごしているか、家にいる時間はどれくらいか、といった内容――にまで及んだ。ひとつひとつの問いに貴生は答え、志乃歩は都度メモを取った。
「長々とごめんね。でもあと少しだけだから」
断りを入れてから訊いてきた内容は、今までとは違い貴生が見た幽霊に関するものだった。
「他の誰かが家にいるときも気配を感じた?」
「それはなかったです。友人が来るのは偶にですが、そのときは何の気配もありませんでした」
「じゃあ、家以外ではどう?外にいるとき本当に何かを見たり感じたりしていない?」
「……それもないです。家の外では特に何も起きてません」
貴生が答えると、しばし間を置いてから志乃歩は次の問いかけをした。
「これが最後の質問になると思うけど、君が見た幽霊の姿に特徴はあった?」
そのときのことを思い出し、少し考えたあと貴生は回答した。
「はっきりとは見えなかったのですが、どこかの学校の制服を着ていました」
志乃歩からの質問は確かにそれで以上であった。
◇
「今この場で訊きたいことはだいたい訊けたから、あとは――一応、君の家を見られればと思うんだけど」
そこで志乃歩は壁時計を確認した。時計の針は十七時を少し過ぎた所を指している。貴生がこの店に来たのが十五時半ごろであったから、既に一時間半近くも経過したことになる。
「ちょうど今の時間帯が都合がいいんだけど、今から見に行っても大丈夫?」
「僕は構いませんが、むしろお店はいいんですか?」
質問し返すと「今は繁忙期じゃないから、気にしないで」と志乃歩は出かける準備をした。
貴生が通学などでこのあたりに来るときはバスを利用している、それは先程の意図不明な質問で答えたことでもあるのだが、店を出るとそのバス停へと向かった。歩いている間、二人はとりとめのない話をしていた。喋るのは主に志乃歩のほうで、くだけた口調で最近の紫外線の強さや近所のパン屋のラインナップについて喋っていたが、バス停に着くと「しばらく考え事をしたいから」と言い会話を止めた。バスが来て二人は並びの席に座る。志乃歩は変わらず黙ったまま窓側の席から景色を見続けた。そっと様子をうかがってみるが、単に夏の風景を楽しんでいるようにも見え、何を考えているのかは読み取れない。
高校生たちの下校時間と重なり、バスは次第に混み始める。途中、一人の老婦人が乗ってきたので貴生は席を譲る。志乃歩が貴生のほうを見たのはそのときくらいであった。老婦人が下車し貴生が元の席に戻ると、ようやく志乃歩は口を開いた。
「このバス、普段からこれくらい混むの?大学との行き来、大変じゃない?」
「朝の通勤、通学の時間帯とか、夕方の今くらいのときはいつもこんな感じですね。でも、もう慣れました」
それだけ会話すると志乃歩はまた口を閉じ、バスを降りるまで一言も喋らなかった。
◇
下車した道から脇に入り、五分ほど歩いた場所に貴生のアパートはあった。南向きの三階建てで各階に四部屋ずつある。貴生の部屋は最上階の一番西側にあった。貴生が部屋に案内すると志乃歩は軽く感嘆する。1Kロフト付きの室内はライトブルーとホワイトを基調にした清潔感のあるものになっている。ラック棚やチェストなどの家具はコンパクトに配置されており、部屋の中には十分な空間が確保されている。
「綺麗に片付けられていて偉いね。それにインテリアのセンスもいいよ。落ち着いて住める、私の好きなタイプの部屋ね」
貴生が出したグラス入りの麦茶を一口飲むと志乃歩はそう称賛した。それから面白がるような表情で「これならいつガールフレンドが来ても恥ずかしくないね」と茶化してくる。バス内とのギャップに戸惑いつつも「恋人はいないです」と貴生が答えると、志乃歩はさらにからかうような顔をする。
「オシャレにも気を使っているし、女の子の受け、いいと思うけどね」
部屋の片隅にある姿見を指してそんなことを言ったかと思うと「今の子は奥手なのか」と勝手に納得する。
そんな会話をひとしきり続けたあと、部屋の南西に置かれたベッドを眺めて志乃歩は本題に入った。
「ちょうど今ごろの時間だよね、君が見たのは」
肯定してから訊いてみる。
「その……やっぱりいるんですか?」
やや間が空いてから返答が来る。
「いるといえば、ずっといるんだけどね」
そして志乃歩は小野不動産でしたように貴生を見つめる。その目を見て、貴生は不意に高校のときの担任を思い出した。その教師は――以前はプロテスタントの学校にいて、牧師の役割も兼ねていたそうだが――生徒達からよく相談を受けていた。真摯に話を聞く教師の目は、生徒を優しく受け入れているようにも、教育者として厳格に指導しているようにもみえた。同じ眼差しで志乃歩が訊いてくる。
「そもそも君はどうしたいの」
「君は今、恐怖していない。初めは怖かったのかもしれないけれど、今はそうじゃない。ただ君は――困惑している」
諭すようにさらに続ける。
「だから君がどうしたいのか知りたい」
志乃歩は変わらず貴生の目を見続けている。まるでそこから心の中を覗きこんでいるように。いや、もしかしたらそれは比喩ではないのかもしれな
い。
志乃歩に見つめられながら、貴生は少女のことを考える。一瞬だけ見えた思い悩んだ表情。なぜ見ず知らずの自分の前に現れて、そんな顔をする
のか。
そして答える。
「多分僕は――彼女のことを知りたいんだと思います」
夕日が差し込む部屋の中、二人はしばらくの間、黙っていた。貴生の位置からは逆光で志乃歩の表情は見えにくい。それでも貴生は志乃歩の言葉を待ち続けた。やがて志乃歩は静かに発した。
「君が見た幽霊ってさ、あの子で合ってる?」
言われて指された方向を見ると、姿見の中に少女が映っていた。鏡の中から黙ってこちらを見ている。その面差しは前と変わっていない。
貴生が声を掛けようとしたとき、少女はまた消えてしまった。
◇
そのあとも貴生は鏡を眺め続けていたが、少女が再び現れることはなかった。諦めて志乃歩のほうへと向き直ると「落ち着いた?」と心配してくる。
「まだ少し混乱していますけど大丈夫です。あとさっきの質問ですけど前に見たのも彼女です」
貴生が答えると志乃歩は安堵したようであった。
部屋の中はすっかり暗くなっていた。貴生が照明を点けると「そろそろ帰るから、その前に少しだけ」と前置きをして志乃歩は告げてきた。
「こういうことは落とし所が大事なの。それを決めるためには時間がかかる。だから君はそのときが来るのをじっと待たなければならない。でも待っている間は普段どおりに過ごしていればいい」
貴生がうなずくのを見てまた告げた。
「何かあったらいつでも相談しに来て。明日は定休日だからいないけど、他の日はたいてい店にいるから。あと場合によっては、こちらから連絡するかもしれない」
またうなずくと最後に付け加えた。
「幽霊とはいえ女の子がいるんだから、気を使いなさいよ」
そう言い残すと貴生の見送りを断って志乃歩は帰っていった。
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