第20話:公爵令嬢の慌しい準備期間
それからの五日間は、いつかに行われた王宮舞踏会並みか、それを凌駕する騒々しさだった。
翌日から、お母様のご機嫌度が最高潮に達しており、朝見かけた時から鼻歌を歌っている。
朝食の席でもそれはもうルンルンで、今日の午後には懇意にしている仕立て屋さんが来るらしい。
「お、お母様…。とてもご機嫌で御座いますね…。どうされたのですか?」
「あらぁ、分かってしまうかしら、リース。自分でも抑えている積りだったのだけれどね、ふふふっ」
嘘こけや…お父様と一緒になってはしゃぎやがって…。
お兄様と俺は完全に蚊帳の外じゃねえか。
「だって、下町に行くのなんて久しぶりなんだもの。
しかも、その下町の酒場に入るなんて、生まれて初めてだもの、楽しみじゃないなんて、言えないわ」
俺たちの怪訝な顔を察したのか、そんな言い訳をしてくる。
お父様と二人して顔を向き合って
「ねー」
とかやってる。惚気るのも大概にしろ!
しかし、そうなのだ。王城へ登城する際には、下町を通らないと行けない様になっているのだが、貴族がその下町へ降り立つ事はまずもって無い。
別に行こうと思えば行けるが、下町で買える物は、貴族街でもほぼ全て揃う。
さらに、各家それぞれ出入りの業者が居り、下町で流行っている物等の情報はその人達から齎される為、自ら足を運んで市場調査も必要が無い。
他国の珍しい食材や、アンティークなんかを流れの行商が下町の輸入商店に卸して行ったりする事もある為、そういう物が好きな貴族が偶に行ったりするが、それ以外の店に入る事は無い。
何故か? 貴族と平民との、住み分けの為だ。
昔は、貴族街と下町なんて分け隔ては無く、何となく済んでいる地域で民層が分かれているという程度だったらしい。
その当時、勘違いした貴族が下町側で自らの権威を振りかざして横暴な働きをする事が間々あったせいで、平民からお貴族様と揶揄されて嫌われていた。
それを良しとしなかった三大公爵家が、各々の私財を出し合い、王都に二つの街を造った。それが今の形らしい。
その時に取り決めが為され、貴族街に住む者は、下町では現在持っている爵位の効力を発揮できないとされた。
この取り決めで、護衛無しでは安易に下町へ降りる事も出来なくなり、その護衛にも下町では裏切られる可能性が出て来た事で、下町へ好き好んで降り立つ貴族は居なくなったそうな。
まぁ、今ではそんなルール無いのだが、暗黙の了解で下手に平民を縮こまらせてもいけないから、安易に下町へは通わないという文化が出来上がっている。
平民の人達は、別に気兼ね無く貴族街に来る事は出来るが、入る為にはかなり厳しい門前審査を通らねばならず、通行章という物も作れるのだが、半年更新で手数料も安くはあるが掛かる為、好き好んで近付く人は居ない。
というわけで、特にルールが定められているわけでは無いのだが、完全に住み分けが出来てしまっている為、同じ国・城壁内でありながら、別の文化が出来上がっているという不思議な体系となっている。
まぁ、お陰で治安はすこぶる良いので今更之をどうにかする積りも皆無いのだが。
という余談だったが、そういうわけでお母様達も例に漏れず、下町なんて場所は未知の世界であり、久しく行っていない旅行気分なのだろう。
「はぁ、五日間あれば、とりあえず何とか準備は出来そうねぇ。泊りというわけでも無いし、服と、あと付き添いを何人にするかと…。
後は下町グルメとかかしら。路地裏店なんていう場所も在るらしいわよ。行ってみたいわ」
『ねー』
四十越えた良い大人が何時までやってんの…。俺の長々とした説明の間中やってたろそれ…。
お兄様は、引きつり笑顔で俺の袖を引き、もう外に出ようと小声で言って来る。
いや、ほうっておいて大丈夫なのこれ? 使用人達じゃ止められないんじゃないの。
「いや、それでも腐っても公爵家だ。十時頃には約束があったはずだからそれまでにはいい加減終わらせると思うよ」
「そ、そうですか…。逆に言えばあと一時間くらいこれを繰り返すのですね…。はぁ…、では、お先に失礼させて頂きましょう」
俺の戸惑い顔を察してか、お兄様が助言を施してくれたので、もう二人の事は諦めて放置する事にした。
中庭に出ると、今日は朝からアセーラまでも忙しそうだ。
護衛隊の皆も簡易応接間で見取り図と睨めっこをしているらしい。
「こんなに慌しいのは久々ですね。アセーラ、それに皆さんどうされたのですか?」
「どうしたもこうしたも御座いますか。五日後には公爵家全員が揃ってお出かけになるのです。
その間の屋敷の警備をどうするかだとか、来客対応をどうするかなど、事前に取り決めをしておかなくては!
奥様が突然の思いつきを仰るものですから、私共も大変ですよ」
「あぁ…そういう事でしたか。それは皆さんに多大なご迷惑をお掛けしてしまい、母に代わってお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。
私にもあの母を止める事は適いませんので、皆さんの出来る範囲で何とかその一日だけ取り繕ってくださいまし。
それで、使用人様方や私兵の方々は分かるのですが、アセーラ達は此処で何をしているのですか?
羊皮紙など広げて…中庭で絵描きですか?
私の衣装等は以前着て行っているものがありますものね、午後の仕立て屋さんも私にはあまり関係ありませんし…。うーん…?」
「何を仰いますかお嬢様! 同じ物をこの短期間で何度もなんて、公爵家の名が泣きますわ!
お嬢様にはきっちり、私達が目的地に相応しい衣装を選別致しますわ」
アセーラが手をわきわきさせて、どす黒い笑顔でそう豪語する。
周りの使用人達も満面の笑みで大きく頷いている。
お前ら仲良いな。
「そ、そうですか…。ですが、それは午後一番に来られると先ほど聞きましたが…。今は一体…?」
「今は、ある意味で衣装よりも大事な事を決めようとしていたのですよ。
…すばり、お嬢様と誰が随伴するかです!」
まるで【ババーン!】という効果音が聞こえてきそうなドヤ顔で、アセーラが胸の前に拳を作り、力強く答える。
使用人達は今度はそれは真剣な目つきで大きく頷いている。
だから仲良いな君達。
「…まぁ、私はお嬢様お付の侍女ですので、当然着いていく事は決定しているのですが、もし仮に二人の随伴が決定されましたら、誰を連れて行くか決めなければいけませんしね」
「アセーラ様! アセーラ様は普段お付としてお嬢様と四六時中一緒に居られるのですから、今回は良いでしょう。
それよりも、私の方が貴族街から偶に下町へ食材の買出しをしに行って居りますので、下町で迷わずに済みます。今回の随伴一人目は私で間違いないと思いますが!」
ふぅむ、一理あるな…。とか、蚊帳の外の俺は絶賛他人事評論中です。
それから
「いいえ、私こそが!」
とか
「いやいや、貴方よりは私が!」
とか、先ほどの仲の良さそうな見事なコンビネーションが嘘のような罵り合いにまで発展してしまった。
暫くそんなリアルファイトに発展しそうな様相を呈していたが、一人が
「もう! 埒が明かないわ!」
と言ったのを皮切りにピタリと静かになった。
「それで、お嬢様は誰が良いとオモイマスカ?」
怖い顔で各々考え込んでいたと思ったら、アセーラがぐるりと此方を向き、そんな事を問うてくる。
デスヨネー。そりゃこの状況じゃこうなりますよね。
こんな状況で誰か選んだら、俺刺されるパターンじゃねえか!
こんなタイミングで振るなや!
「…はぁ…。皆様、熱くなりすぎですわ。此処で勝手に決めてしまったら、今此処に居ないメイド長等がそれはそれはお怒りになると思いますよ。
公平にくじ引き等で決めたら良いのではないですか?
それなら、辞退される方もしやすいですし、余計な話し合いがない分、すんなり決まると思うのですが…」
熱くなり過ぎていて、そんな単純な事にすら気が回っていなかったようだ。
皆一様に目を見開き
「なるほどぉ」
とか言ってる。おいおい、どんだけだよ貴方達。
その後、今度はそのクジの作り方でいちゃもんを付け始め、また剣呑な雰囲気になったので、いっそ俺が作ることにした。
「当たりを三つにしますね。お母様に、随伴者を三名にしてくれとお願いしておきますので、その三名の方は随伴決定という事にしましょう。それくらいならお願いも聞いていただけると思いますので…」
それから、その件をお母様にお願いしに行ったら、面白がられて護衛で一人以外を全部合わせて六人くじ引きで決める事になってしまった。
護衛からあぶれた人達もそのくじ引きには参加して良いという事になり、随伴希望者を募った所、使用人ほぼ全員からエントリーがあった。
結局、総数約七十個のクジを作る羽目になった。
皆、熱い思いで随伴希望してくれたため、何だか申し訳なくなり、外れクジに一言メッセージを入れて行くことにした。
おかげで、腱鞘炎になりかけ、製作時間は二日も掛かってしまった。
くじ引き大会という良く分からないイベントに発展してしまったが、無事六人が選ばれて、漸く騒動も収束した。
イベントが終了して、それまでの異様な熱気が嘘のように静まり、皆何かに取り憑かれていたのが祓われたように冷静さを取り戻した。
当たった人も外れた人も、口々に謝辞の口上を述べてくれ、俺は妙な達成感に包まれる事となった。
その六人の中に、きっちりアセーラとメイド長のベアトリスも食い込んできた。
こいつらはやっぱり持ってるなぁ。
…何か変な能力とか使ったんじゃないよな…?
せっかくのイベントだという事でそこからさらにお母様が暴走し、六人分の当日の衣装まで仕立て屋さんに発注をかけた。
納期二日でオーダーメイドという鬼畜の所業にも嫌な顔一つせず
「むしろ、従業員達の早縫いの研鑽にもなります、逆にお礼が言いたいくらいですよ」
なんて言ってくれた。
本当に、我が家の出入り業者さんは良いお店ばかりで助かるよ…。
そんな喧騒に包まれた我が家だが、期日が近付くにつれて、お兄様ですらどこかそわそわし出しているのに、俺はどんどんとテンションが落ちていくのだった。
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