第16話:公爵令嬢は思考から逃げる

 夜の下町を気配を殺しつつ走る女。顔は深々とフードをかぶっているため窺い知れないが、その軽快な走りは、普段鍛えているであろう事を伺わせる。

 やがて女は、一軒の酒場の前で止まる。辺りを見回し、誰も追っ手のいないことを確認すると、開き戸を軋ませ、中へと入っていった。


 彼女の名はエアリース。


 …まぁ俺なんですけどね。


 俺がやってきたのは、以前イントという子に出会った酒の美味しい下町の酒場だ。

 今回も前回と同じ手法で、枕を並べて出てきたわけだが…。

 ただ酒が飲みたくなったとかじゃないぞ。

 これには海よりも深い理由があるのだよ。


 アセーラのアドバイス通り、お父様とお母様に、朝食の席で悩みをぶつけてみた。

 アセーラにしたように説明をし、自分はそれほど意識をした事は無いが、それほどの好意を寄せられる事が有り難く、断りづらい事。

 その事を考えていると相手方の顔が毎度浮かんできてまるで恋している気分になり、此れが続けば実際に恋愛感情に発展するのではないか?

 という事を伝えたわけだ。


「ぼ…僕の宝物を誑かそうとしただと…? 一代貴族が調子付きおって…。

 そんな不埒な輩は僕が王宮に居られなくしてやろう! サルーン! サルーンを呼べ!」


「あらあら、あなた、お待ちになって。我が家は恋愛結婚が必須でしょう? そこに身分の差など関係ありませんよ。

 あなたがその機会を奪ってどうするのですか。

 それに、あなただって私に最初身分を偽って結婚の申し込みをしてきたでしょう?

 私たちが出来るのはお相手の…ゴーギャン様でしたっけ。その方の身辺調査をしっかりして、悪い虫が着いてるのかチェックといれば駆除するだけですわ」


 お母様…! やっぱり、いざと言う時に強いのは女だよ。頼れるねぇ!


「リース、しっかり考えなさい。

 でも、人の人生なんてどうなるか分からないものね。急にお相手がいなくなる事だって無きにしも非ずですわよね。そうなったら、考える必要なんて無くなっちゃうわねぇ」


「お母様…」


 なんだよそのドス黒い笑顔は。

 俺の最初の感動を返してくれ。


 とまぁ、両親そろって相談にもならなかった。夕食の席でご一緒できたお兄様にも家族だし一応ってことで相談してみたのだが。


「ゴーギャン? …あぁ、あの剣と鍛錬だけが友達さとか言いそうな根暗野郎だね。

 あんな奴と一緒になったら不幸になるのは目に見えてる! 答えるまでも無いさ。

 さぁ、そんなくだらない話はやめて、リースの好きな読み物の新シリーズについてでも話そうか」


 お兄様…。そんな顔がパンのヒーローみたいな語呂で表さなくても…。伝わりづらいよ。


 とまぁ、お兄様もこんな具合で、家族で話が通じたのが、アセーラだけという、さんさんたる結果に終わったのだ。

 そこで結局、一人で悩まないといけないハメになり、夜も寝つきが悪くてしょうがないため、久々に酒場へ繰り出す事にしたのだ。

 体験入隊でお小遣いも貰えたしね。


 さて、そんなこんなで酒場に入ったわけだが、相変わらず人が少ない。

 まだ二回しか来てないが、ここは普段からこんなもんなのだろうか? 良いお酒出してくれるし、マスターの気前もいいのにな。

 ひとまず、誰も座っていないカウンターに腰掛け、むさ苦しいフードを取る。

 すると、先ほどまで怪訝そうな目で見ていたマスターがびっくりしたように目を開き、次に笑顔になり俺の前にやってきた。


「おや、いつかの別嬪さんだね。御贔屓にしてくれてどーも!

 今日も一人かい? 何にする? お姉さん、中々強いからね、最初から樽行くかい?」


「私、一期一会を大切にしておりますの。

 そうですね、でも、今日はゆっくり楽しみたいので、やっぱりエールから頂けますか?」


「あいよぉ!そんじゃ、これはサービスだ!

 シャックって珍しい鶏が入ったからね、その肉の黒焼きだよ。塩とコショウで下味つけてあるけど、添え物のパペダの果汁を搾ってもらったらもっと香りよくなるよ!」


 やはり気前が良いな、シャックは貴族ならばそれなりに食べられているが、下町だと確かに珍しい食材だろう。

 これ結構高いらしいしね…。良い人だなぁ。

 その後、すぐさま出てきたエールを一口、二口。

 やっぱりうまい! 酒も久々だなぁ! 五臓六腑に染み渡るね!


「あ、そういえば、前回えらく盛り上がってた奢りの兄ちゃん、今日も来てるよ。

 最近かなりの頻度で来てくれてるんだよね。

 お姉さんに惚れちゃって探してたのかもよ? なぁんて、はははっ」


 冗談を軽くスルーし、顎で示された方向を見ると、…おぉ! 確かにイント君じゃないか。

 マスターが近くに歩いて行き、イント君に声を掛ける。

 すると、チビチビと相変わらず悲しい酒を飲んでいたイント君が顔を跳ね上げ、此方を向いた。

 とりあえず、久しぶりの意味も込めて、笑顔で手を振っておく。


「あ、アリーシャさん! お久しぶりです! あれから偶に酒場に寄っていたんですが、今日は偶然再会できたようで、うれしいです。あれからどうされてたんですか?」


 嬉しそうに此方に近づいてきて、そんな事を問うて来るイント君。

 犬みたいだな、後ろに扇風機のように振り回してる尻尾が見えるようだよ。

 …ところで、アリーシャって誰だろう?

 もしかして、イント君めちゃめちゃ酔っ払って俺が違う人に見えてる?


「お久しぶりです。もう一月ほど来ていませんでしたものね、本当に素晴らしい偶然ですこと。

 ところで、アリーシャ…とは、私の事でしょうか?

 もしかして人違いなされているとか…は無いですか?」


「ぇえ!? 忘れるはずありませんよ。

 僕が悩みに悩んで思考のド壷に嵌っている時に声を掛けてくれたのが貴方じゃありませんか。

 酒場キラーのアリーシャ、愛と自由の使者、フーテンのアリーシャとは私の事ですわ。って言ってたじゃないですか。覚えていませんか?」


 なんてこったい。当時の失笑が目に浮かぶよ…。

 そう言えば、酒に酔ってそんな適当な事を口走った気もする…。

 そしてアリーシャ…思い出したよ。本名を名乗ると公爵家だと調べられたらやっかいだと偽名を名乗ったんだったな。


「思い出しましたわ…。

 …イント君御免なさい! 私、嘘を申しておりました。

 それは偽名で、私の本当の名前はエアリースと申します。

 初対面で後ろ盾等を探られるのはまずい立場にいるため、咄嗟に偽名を名乗ってしまいました…。

 今まで騙していて本当に御免なさい・・・」


 あぁ、せっかく仲良くなれた友人を一人失くすのか…と、自然と目尻に溜まる涙を流さぬように堪えつつイント君を見やると、若干頬を赤らめて「い、いや…。」と俯いてしまう。


「ち、違うんだ。いや、違わないけど…、違う、そうじゃなくて。…そういう事情があったのならしょうがない事じゃないか。

 こうやって本当の事を打ち明けてくれただけで僕は満足しているよ。

 だから元気を出して、前みたいに楽しい話を聞かせてくれよ」


「ぐす…、有り難う御座います。

 …もう大丈夫です。では、乾杯致しましょう。二人の再会と、新たな門出を祝って」


「あぁ! 飲もう、飲もう! 乾杯!」


 あぁ、やさしいなぁ、イント君は。まさに忠犬イントだわ。


 それから、最近恋愛小説に嵌っただとか、イント君の近況だとかを語り合った。

 小説に関しては、王立図書館の司書を務めているだけあって、殊更良く食いついてきた。

 イント君はジャンル問わず色々読んでいる様で、ヨーソロ船長の旅行記に恋愛島なんて呼ばれてる場所が登場するよとか、他分野から俺の興味を引きそうな情報を色々と教えてくれた。


 そんな話も一段落ついた頃、俺は現在抱えている悩みを打ち明ける事にした。


「イント君、実は私一つ大きな問題を抱えてしまいまして、お知恵をお借りできないでしょうか」


「何だい? またお金を忘れたとか? はははっ。

 …ごめん、結構重要な案件みたいだね。僕に話しても良いのかな?

 良ければ聞かせてよ、リースさんの悩みがそれで和らぐなら、是非協力したい」


 俺は

「有り難う御座います」

 と一呼吸置き、体験入隊したというのをそれとなくボカしながら、その時にある騎士に告白されたのだと告げた。

 そして、その想いにどう応えたら良いのか分からない、自分がどう思っているのか判断がつかない旨を説明した。

 イント君は、終始真剣な顔で聞いてくれて、話し終わった後、両肘をついて手に顔を乗せて何処を見るでもなくなにやら難しい顔で黄昏て居る。

 俺は真剣そうな顔を崩さないように、儚げなイケメンの物憂げな表情を、絵になるなぁとどうでも良い事を考えつつ見ていた。


「リースさんは、現状その騎士様の事をどう思っているの?

 あぁ、その出来事を考えると頭の中に騎士様が出てきちゃうって言うのはとりあえず考えないようにして。

 印象が強すぎると頭の中をそれ一つが支配しちゃうのはしょうがない事だから、極力その事は考えないようにして、且つ、その騎士様の事はどう感じてる?」


 姿勢は変えずに、ゆっくりと口を開いたかと思えば、随分と難しい事を言って来るな。


「そうですね…。どう感じているか、と問われたら現状頼れるお兄さんという印象が強いでしょうか」


「ふぅん、なるほど。じゃあ、その頼れるお兄さんの騎士様と結婚すると言われて現実味はある?」


「うーん、無い…かなぁ…。いえ、ですが、あれほどの好意を真っ直ぐに向けてくれる方はそう居ないというか…。

 お兄さんが高じて恋愛対象になっていったっていう作品もあるといいますか…」


「いや、現状の話だからね。現状そうだと言うなら下手なキープみたいな事は止めた方が良いと思うよ。

 はっきりと今の気持ちを伝えて、それでも尚食い下がってきた時に改めて考えるようにする方が精神衛生上良いと思うよ。

 それに、婚約してしまったら、法に縛られるし、やっぱり合いませんでした、じゃあ済まない事になるしね」


 そ、そうだったのか…。そんな法律があったなんて…。

 それじゃあ、迂闊に婚約なんて結べないな。

 あぁ、だからお兄様も婚約者が中々できないのか。お見合いみたいな事は何回もしてるのにね。


「それに、さ。好意を真っ直ぐに伝えるなんて、僕にだってできるよ。

 リースさん、僕は初めて貴方に会って、話をした時から、貴方の朗らかな人柄に惚れました。

 貴方が好きです。騎士様みたいに強くは無いけれど、貴方を不幸になんかさせません。

 僕と結婚を前提にお付き合いしてください」


「えっ、えぇぇえ!? ちょ、ちょっと待ってくださいイント君、どうしちゃったんですか?」


 いきなり俺の手を握ってきたと思ったら真正面から真顔でこんな事を言ってきた。

 おいおいおいおい、どうしろと?


「ね? いきなり言われたらそうなっちゃうよね。そんなもんなんだって」


「っ…。もうっ! ビックリしましたよ。

 でも本当にそうですね、一瞬何も考えられませんでした」


「ふふふっ、そんな感じに見えたよ。

 …、でも、僕の気持ちは本当だから。本当に貴方を愛してますから。考えてくれると嬉しいな」


「っ…! か…考え…考えさせてください…」


 あぁ、また"逃げ"に走ってしまった…。

 でも、いきなりそんな事言われたって頭が回転しないから考えられ無えよ!


「マスター、これで足りますか? 今日は二人分お願いします」


「あ、あぁ。ちょっと待ってね、…はいよ、お釣りだよ」


 回らない頭で会計を済ませると、爽やかな笑顔で見つめて来るイント君から逃げるように酒場を後にした。


 家に着くと、直ぐにベッドへとダイブし、声にならない叫びを上げながら、ベッドを転げまわった。

 一頻り暴れると、酒のおかげか、睡魔に襲われ、その感覚に感謝しつつ、まどろみに身を預け、やがて深い闇に沈んでいった。 

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