第13話:公爵令嬢の帰宅

 七日目の朝、最終日の今日も五時に目を覚ました。

 静かに着替えて部屋を出ると、その直ぐ後に扉を開ける音が聞こえる。

 何事かと振り替えったところ、音の主がそこに立っていた。


「エアリースさん、最後くらい私も一緒に連れて行ってください。一人でこっそり訓練してたなんて、ずるいですよ」


「あら、ミスティアさんでしたか。

 お早う御座います、起こすのもおかしな話だと思って、一人で行っていただけの事ですよ。では、一緒に参りましょうか」


 やってきたのはミスティアちゃんだった。


 ずるいとかいわれてもなぁ、そもそも"自主"訓練だしな。

 自主練習を強要する風習があったような記憶が残ってるが、あの良く分からない文化にはずっと反対だったように思う。

 そんな遠い記憶は心の奥に留めつつ、ミスティアちゃんと共にメイン広場へと向かう。


 まだ日の出前だというのに、今日のメイン広場はやけに賑やかだった。


「あ、エアリース様、お早う御座います!

 本当にこの時間に訓練なぞしていたのですね!

 半信半疑でした、疑って申し訳ありません!」


 口々に挨拶の口上を述べるのは、正騎士の皆さんだった。

 何でこんなに居るんだ? 何か有ったのか?


「お早う御座います…、どうされたのですか? こんなに大勢で、こんなに朝早くから…」


「昨日総隊長と話し合いまして、来たい者は勝手に参加しろとのお達しを頂いたのです!

 ですから、皆無理の無い範囲で各自朝の自主訓練を"外で"することに致しました! もちろん、総隊長と同じメニューをこなしても、各自自分に課したメニューをこなしても何をしても良いですが、基本的に外で行う事になりました」


「それは素晴らしい事ですね。

 元々一人で背負えるものでも、背負う必要のあるものでもありませんでしたものね。

 皆さんの溝と呼ばれるものが埋まったようで良かったです」


 ゴーギャンの独りよがりもやっと終わったようで、俺は安堵の笑顔でもって答える。

 奥の方から

「やめとけ」

 とか

「あれは総隊長の…」

 だとかぼそぼそ聞こえるが、良く分からないので一々反応するのはやめておく。


 この話題の渦中のゴーギャンはこの場には居ないようだが、聞くに既に砂場の方で走りこみをしているようだ。

 一部の正騎士の人たちもそちらで一緒に同メニューをこなしているらしい。


 では今気さくに話している方々は一体何をしていたのか気になるところだが、肩の辺りから湯気が立っているのを見れば、それなりに厳しい訓練を課していたのだと想像できる。

 その上でこれほど何事も無かったかのように話をできるのだから、やはり正騎士ともなると、すごい身体能力なんだなぁ…。


 何はともあれ、俺は俺に課したメニューをこなして行くだけだ。

 ヨガレッチの後は歩法の復習、締めはメイン広場を数周ジョギングして息を整える。


 ミスティアちゃんは初日と言う事で、俺と一緒のメニューをこなしている。


「ふぅ…、これは、もう少し動きたい所ですが、非常に合理的なメニューですね、素晴らしいです。

 特にこの…ヨガレッチ…ですか?

 これを最初にすると後がとても動きやすいです。

 早朝だと言う事を忘れてしまうくらい体のキレが良かったですね、これはリースさんが考えたものなんですか?」


 そんなに褒めても何も出ないぞ。

 ちなみに、せっかくお近づきになれたのだからと言う事で訓練中に俺のことはリースと呼んでくれと言ってある。

 同時にミスティアちゃんの事もティアちゃんと呼ぶ事になっている。


「うふふ、有り難う御座います、ティアちゃん。

 これはですね、私の敬愛しているお母様が教えてくださった体操なんですよ。

 ただ、今回もそうしていましたが、最初に筋を伸ばす動きをしていたと思いますが、あれは一度の時間を短くしてくださいね。

 準備運動という言葉は聞いた事がありますか?

 本格的な訓練や運動の前にするための運動の事なのですが、体を温める事が目的になります。

 ヨガレッチの最初の方にやっていたものは主に目的が美容のためですので、運動前の動きには適しておりません。

 やりすぎてしまうと、逆に体が動かしづらいと感じてしまう事もありますので、もしかしたら整理体操に組み込んだ方が良いかもしれませんね」


「うーん、聞いた事のない言葉ばかりですね…。

 リースさんはとても頭が良いんですね!

 私は体を動かすくらいしかやってこなかったのであれこれと考えるのはちょっと苦手で…。

 なんでもやれるリースさんがうらやましいです…」


「ティアちゃん?

 ティアちゃんは女性騎士初の総隊長になるのが夢なのでしたよね。

 その夢を叶える為には、戦術も覚えないといけないでしょうし、近衛騎士隊全三千名をいざと言う時どう動かすのかを咄嗟に考え出さなければならないのですよ?

 考えるのを放棄してしまってはダメです、ゆっくりと色々な知識も身につけて行って下さいね」


「ぅ…、そうですよね…嫌いだとか苦手で逃げてちゃダメですよね…。

 が、がんばってみます…」


 そんな事を話しつつ、俺達は朝食へ向かった。

 朝食後、メイン広場にて本日の訓練内容が言い渡される。


 最終日の今日は午前に全体訓練をして、昼食で打ち上げを行った後、各自日当を渡して解散という流れになるらしい。

 なんと、昼食の打ち上げは酒宴になるようだ。

 量は騎士隊に本来置いてないため少量になるとの事だったが、公式に酒が飲めるとは!


 走行訓練の内容はもう変わっていなかった。

 だが最終日だけあって、他の参加者のやる気が違いすぎる。

 皆めちゃめちゃ声張り上げてるし、ペースも速い。

 昨日はビリ脱出できたのに今日は酷く遅れる事は無いが、結局ビリに逆戻りだった。

 くそう…。


 走行訓練後は素振りを何時も通りやり、模擬戦はなしとの事だった。

 危ねぇ…。昨日逃してたらアウトだったのかよ…。


 そしてついに、お待ちかねの昼食タイムがやってきた。

 昼食メニュー自体もいつもよりも豪華だ。

 酒は少量と言っていたが、一斗樽ほどの大きさのものが三つ重ねられている。

 リットル計算で五十四リットル以上だ。

 一人頭で割ればそれほどの量ではないかもしれないが、正直予想以上だ。


 グラス一杯が関の山だと思っていたが、これならもう少し頂けそうだな。


 全員席に着いたのを確認すると、総隊長のゴーギャンが立ち上がり、乾杯の音頭をとる。


「皆の衆、今日だけは済まないが付き合って欲しい。

 …一週間よく着いて来てくれた。

 体験入隊は今日で終わりだが、これから近衛騎士に興味を持ってくれて、騎士を目指そうという者は是非詰め所に足を運んでもらいたい。

 しかしながら、この場はよくぞ最後まで食いついてきたと自分を褒め、大いに語り、飲み、食べ、楽しんで欲しいと思う!

 私は挨拶というのが苦手なので、以上だ。

 では、皆各自のコップを持ってくれ。…乾杯!」


 〈乾杯~!〉


 皆一斉に唱和し、コップを天に掲げた後、それぞれしたいことを一斉にしだし、一気に騒がしくなる。

 ちょっと豪勢な食事にがっつく者、目の前の酒を一気に呷る者、隣同士で肩を叩き合って労い合う者など、様々だ。


 俺はとりあえず久々の酒に舌鼓を打ちつつ、隣のスプモーニと歓談していく。

 ふと斜め向いに座っているティアちゃんを見やると、酒の入ったコップの中身を見つめ、スンスンと匂いを嗅いでいる。

 しばしそうしていたかと思うと、何かを決意したかのようにコクッと頷き、一気にそれを呷った。

 あぁ、十二歳という事で今まで飲んだ事が無かったのだろうに、ハウスワインのような軽い口当たりとは言え度数はそんなに低くないぞ。


 そんな一気に呷ると…あぁ…、やっぱりそうなる。

 周りの予想通り、飲み終えた途端に顔を真っ赤にしてフラフラし始めた。

 急性ではなさそうだが、これ以上はダメだな。

 俺はスプモーニに一言断り、ティアちゃんの所へ向かう。


「初めてのお酒でしたか? あんな無茶な飲み方をしてはいけませんよ。

 お酒を楽しむコツは無理をしない事です。

 強くても弱くても、ホロ酔い辺りが一番気持ちが良いので、その量をちゃんと見極めるのから始めましょうね」


「だ、だいじょうぶです…。

 わらしは、まだ、やれまふ。

 リースさん、に、つく悪い、虫は、みぃんなわらしが、かりとってやるです、がおー」


 何この子かわいい!

 思わず釣り上がっていく口角を止めようともせず、ギュッと抱きしめる。

 ティアちゃんは

「うぎゅー…」

 とか言ってそのまま寝てしまった。

 コップ一杯でこれか、相当弱いか下戸の部類だな。


 俺は周りに断わってから、ティアちゃんを一旦宿舎のベッドへ寝かせ、食堂へ戻った。

 戻ると、序盤の喧騒も落ち着いてきたようで、皆歓談に勤しんでいるようだ。

 俺も席に戻り、誰かと話そうと思ったが、他の女性陣は皆意中の男性達の所へ席を移してしまっているようで、気心の知れた仲間は誰一人席に残っては居なかった。

 一人寂しくお代わりしてきた酒と共にパンをちぎっていると、ゴーギャンがやってきた。

 流石は総隊長だ! 目ざとく孤独を味わっている参加者を見つけてフォローに来てくれたんだな!


「エアリース様、ご機嫌は如何かな?

 他の女性陣や女性騎士らも他のテーブルへ行ってしまったようで、話す相手が居られないようにお見受け致しましたので、馳せ参じさせて頂きました。

 今日は一人、紹介したい人物が居りましてな。

 …ネグローニ千人隊長です。私の最初の直属の上司であり、師匠であり、年の離れた兄貴のような人です」


「あら、ネグローニ様が上司だったのですね。

 実はネグローニ様とは体験入隊二日目で話す機会が御座いまして、既知の間柄ですのよ」


「ほう、そうだったのですか。では、紹介など特に必要もありませんでしたな…」


 うん? 突然どうしたんだ?

 いきなりネグローニを紹介なんて言うよく分からない事をしたと思ったら、今度はこの妙な間…。


 言い知れない違和感に首をかしげていると、その紹介に挙がったネグローニがゴーギャンを小突きつつ、小声で

「俺を出しに使えとは言ったが、その後は自分で何とかしろよ」

 とか言ってる。


 あぁ、フォローに来たとは言え、特に話題が無いからネグローニの紹介から話題を広げられないかと考えてたのかな?

 気の使える奴アピールのため、ネグローニに関して何か返してやろうと口を開きかけた時、突然ゴーギャンが立ち上がった。


「エアリース嬢! 此れまで数々の無礼な態度、口について謝罪をしたい。

 申し訳ありませんでした」


「…え? あぁ、いえ、そんな事はお気になさらず結構ですよ。

 照れ隠しのようなものだったと聞いておりますしね、ふふふ」


「む、あ、いえ…。

 感謝致します。つきましては、無礼次いでにお願いを申し上げたい。

 私は今年で三十になります、数え十四のエアリース嬢とは倍も離れて居り、大変言いづらい事ではありますが、言わせて頂きたい。

 エアリース嬢!

 私ゴーギャンは、貴方の心根、物事に対する直向きさに惚れました!

 宜しければ、婚約者となって頂きたい!

 不肖ゴーギャン、貴方を生涯命を懸けて守ると誓う!」


 言っている事を理解するまでに、一時の間を要した。

 理解した後、自分の顔がありえないほど赤くなっているのが自分でも分かる。

 ふと周りをみやると、皆目を見開き此方のスペースを凝視していた。

 マシューがいつの間にか俺の隣に来ており、臨戦態勢を整えている。


 しばしの沈黙の後、歓声のようなどよめきが食堂を埋め尽くした。

 他の正騎士は

「総隊長ついに言ったよ!」

「流石は総隊長だ! よっ、切り込み隊長!」

 とか言ってるし、ネグローニも満足そうに腕を組み頷いている。


 何を余裕ぶってやがるこの親父が…!


「あ、有り難う…御座います…。そ、そんな事を言われたのは、わ、わた、私初めてで…、どうしたら良いのか分かりません…。

 考えるお時間を頂戴頂けますか? 落ち着いて考えたいと思いますので…」


 正直、覚えてる記憶の中にも告白した事はあれど、告白された事など無かったので、嬉しかった。

 一瞬、酒の席の性質の悪い冗談かとも思ったが、ゴーギャンの顔を見ると酒を鑑みても余りに真剣な顔をしているため、冗談で返す気も起きなかった。

 今は自分にも酒が入っていてしっかりと考えられないため、時間をくれという返事をかろうじてする事はできた。


「分かりました…。

 では、お屋敷に戻り二日後辺りにお返事を頂けたらと存じます」


 ゴーギャンも俺のかもし出す空気を察してくれたようだ。


 その後、会場は告白大会の流れとなり、カルーアとノアノアは、無事告白され、晴れて婚約者を獲得する事が出来た。

 これで来年も参加する必要は無くなりそうだな、めでたしめでたし、かな?


 昼食という名の酒宴もお開きになり、各自日当を最初の受付でもらい、解散となった。

 俺はあれ以降ゴーギャンとまともに顔を合わせられず、逃げるようにマシューが手配してくれた馬車に乗り込んだ。


 家に着いた後、家族たちの出迎えもほどほどに、すぐに私室のベッドへ飛び込み。


 今日の所はひとまず考えないようにしようと決意し、黙々と夕食を食べた。

 さて、お父様やお母様への報告はすべきか否か…。

 考えないようにしても脳内で何度も勝手に再生され、どうしたら良いかも分からぬまま、その内に寝てしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る