第10話:公爵令嬢の裏話

 翌朝目を覚ますと、未だ外は薄暗かった。

 掛け時計の時間は五時半となっている。

 幸いな事に体の不調は無さそうだ。


 節々はそりゃ痛いが、動けなくてヤバイって事にはなら無そうで良かった。

 昨日総隊長のゴーギャンに言われたアイシング紛いの事と、この若い体のおかげだろう。

 お母様くらいの年齢の人だったら二日ほど起き上がってこないだろうな…。


 …明日から痛いとかは流石に無いよな…? いや、勘弁してくれよ、この齢で筋肉痛翌々日繰越とか…。


 一人静かに本日の服に着替え、他の皆を起こさないように部屋を出る。

 朝食は七時から、集合は七時半だから、結構な時間がある。

 だが、つい昨日まで惰眠をむさぼっていた俺が二度寝したら確実に遅刻する予感がしたし、ベッドが硬くて腰が悪くなりそうだったので、ゴロゴロするのもやめて出ることにした。


 宮中との門というか大きな扉は当然閉まってるから、特別行く場所なぞあるはずも無く、行き着く場所は当然、昨日のトラウマ運動場である。

 未だ日の出前で薄暗く、少し肌寒い。

 昨日はそれ所では無かった為、施設確認が出来なかったので、ブラブラ確認をして行く。


 昨日使ったのは、メインの広場と、そこに隣接するアスレチックだな。


 だが、広場の周りには他にも広めの砂場とか、別のアスレチックとか腰丈もありそうな草が茂った広場とか雑木林なんかもあるようだ。

 改めて回ると、相当広いな此処…。


 メイン広場に戻ってきて、する事も無いのでお母様直伝のヨガレッチをして行く事にした。


 一人だと前屈で躓くため、中々一人ではできずいつもアセーラに頼ってしまっているが、これもこの体験入隊中に克服するのを目標にしている。

 できないのは、柔軟性と筋力が足らないのが原因だろうからな、此処でしっかりとそれを強制的に行えば、自ずとできる様になるだろう。

 普段は寝る前の簡単な運動としてやる事が多かったが、しばらくそれはできそうに無い為、朝起きてやることにしよう。


 日課としたのなら、続けないとな。


 しばらくウンウン良いながら必死にこなしていると、後ろから声を掛けられた。


「こんなに朝早くから精が出ますな、エアリース様。

 昨日はあれほどお体を酷使されていたのに、今日もこんなに朝早くからとは…、急激にやった所で、急激に肉体は進化しませんぞ。

 無理をせず、しっかりと地に足を付けて訓練をしませんと」


 ビックリしてちょっと変な声が出たわ。

 こんな時間に誰か居るなんて思わないし、完全に油断してたわ。


 声の方を見やると、暗い茶色の毛を適当に肩辺りで切り揃えた濃い顔のイケメンが居た。

 顔には細かな傷が浮かんでいて毎日厳しい訓練をしているのだと予想できる。

 体はそんな訓練に耐え抜くためしっかりと鍛え抜かれた引き締まった体をしており、垣間見える二の腕からだけでもその肉の密度の濃さが伺えた。


 男の俺から見ても見事な肉体美であり、少し惚けてしまった。


「し、失礼致しました、総隊長様。まさかこの時間に人が居るとは思ってもみなくて…。

 昨晩は泥の様に眠ってしまったせいか、早くに目が覚めすぎてしまったのでちょっと外の空気を吸いに来ただけですわ。

 総隊長様こそ、この様な時間にどうされたのですか? まだ朝食には早すぎますよね」


 声を掛けてきたのはゴーギャンだった。

 昨日のロボットが嘘のように複雑な苦笑を浮かべている上に、甲冑を着けていないものだから、脳内の同一人物のイメージと食い違い過ぎて一瞬誰か判断出来なかった。


「そうでしたか。

 しかし先ほども申しましたが、ご無理は為されぬように。

 今日から訓練内容も少しずつ正騎士と同じものになって行きます。

 休めるときに休むのは重要な事ですよ。

 私は毎朝必ず少し体を動かすようにしているのですよ。

 もうこんな年ですからな、準備運動を怠ると他の若い衆に着いて行けなくなってしまうのですよ、ハッハッハ。

 …エアリース様も、頃合を見て部屋に戻られるのが宜しいかと思いますよ。

 もう少ししたら起きてくる連中も居るでしょう、女性部屋で起きていなかったら起こして差し上げるのも良いかもしれませんな?

 女性は下準備に時間が掛かるものだと聞いております故」


 そう言って、鋭い目つきをこちらへ向けた後、鉄剣と鉄の棒を持って砂場へ走っていってしまった。


 俺はしばらく、ゴーギャンの背中を見つめた後、ああ言われた事だし、そろそろ戻るかと立ち上がった所、少し離れた所に立っている第二村人ならぬ第二騎士隊員らしき人を見つけた。


 見た目の齢はお父様よりも少し上くらいだろうか。

 あちらも俺に気付き、やんわりとした王国式敬礼をしてくる。

 俺はやり方を知らないので、とりあえず会釈しておいた。


「全く、彼奴が失礼な事を言いまして、真に申し訳ない。

 全く持って素直じゃない…。

 いや失礼、私は近衛騎士隊千人隊長をしております、ネグローニと申します、名乗りが遅れ申し訳無い」


「いいえ、そんな事はお気になさらず。

 初めましてネグローニ様、私はエアリース=サクリファスと申します。

 ネグローニ様も朝の準備運動という名の鍛錬に?」


「存じております。

 …やはりお気づきになられましたか。

 まぁ、持っている獲物がどう見ても準備運動に使うような代物では御座いませんからな。

 彼奴はもう十五年もあれを続けております。日に日に苛烈になっていきましてな、今では四時から起きて只管自分の体を苛め抜いております。

 あれを見せられては私も負けては居られませんのでな。

 あぁ、私のは本当に準備運動ですぞ? こんな年寄りに今更二重の鍛錬は体が着いて行きませんからな」


「あら、それにしてはネグローニ様の持っているそれも…。

 フフッ、お互い素直じゃありませんのね。

 それにしても…、そうですか、もう十五年も…、素晴らしい努力の結晶だったのですね、あのお体は…」


 俺がそう言うと、自分の持っている獲物を一瞥し、なんとも言えない顔で頭をかきつつネグローニが答えた。


「あ、こりゃ…、ワハハッ、こりゃ一本取られましたな!

 …実は私めが彼奴を総隊長に推したのです、自分が推薦した若い者に負けている訳には行きませんからな。

 それに、私が之をやめてしまったら、下の連中との溝が益々深まってしまいます故…」


「え…? 溝…ですか?

 ですが昨日はその他の正騎士の方々に慕われているように見受けられましたが…」


「あぁ、慕われては居りますよ。

 才能・努力は誰もが認めるものを持っておりますし、下のものに対して真摯な態度で接しますからな。

 …ただ、彼奴自身が周りと距離を持ってしまっていて、それが溝になって居るんです。

 歴代最若の総隊長ですからな、奴自身も身の振り方が分からんという事もあるのでしょう。

 そんな事気にしなくても、気の良い連中ですからな、上を上と認め、いざという時は命を預けるくらいの覚悟は持って居るんですがね。

 本当は皆朝飯前に訓練で汗を流して良い飯を食いたいんですが、彼奴は人が来ると逃げてしまいますからな、皆気にして部屋で鍛錬をして居るんです。

 本当は彼奴自身も一緒に訓練したいのだろうに。本当に素直になれん奴です。

 …おっと、いやはや、立ち話が長くなってしまいましたな。

 エアリース殿の貴重な時間を申し訳ない。年寄りの戯言だと軽く流してください。

 そろそろ朝飯の時間です、皆を呼びに行ってあげてください」


 そこから話を続けるような雰囲気でも無かった為、俺は会釈しつつ部屋へ戻った。

 すると皆もう既に起きており、部屋に入るや否や抱きつかれた。

 曰く、起きたら俺が居なくなっており、初日参加者の中の男共の誰かが夜這いを仕掛けて連れ出したのではないかという結論に達し、男部屋複数に突撃をかましたらしい。

 ノアノアだけは俺が意中の正騎士へ夜這いをかけに行ったのではないかと疑い、やたらと何をしていたのかやらしい目で尋ねて来た。


 性根叩き直してやろうかこのビッチは…。


 食堂へ赴くと、何人かの男性参加者が顔を腫らしていた。

 自分の軽率な行動で不幸を見舞ったのは確かなので、彼らにとりあえず平謝りしておいた。


 本日の訓練も、前半は同じだったが、さらに砂場と草むらの行軍が追加された。

 さらに、素振り時間を少し削り、模擬戦のような事もし出した。

 一気に変わりすぎて頭と体が着いていけなくなりそうだ…。

 模擬戦では当然のように一勝も、まして一太刀も当てることが適わなかった。

 ライバル認定のミスティアちゃんにも当然ボコボコにされたが、俺が狙うそのミスティアちゃんはその後も全員ボコボコにしていた。


 あの子何なの…。


 たった一日でと思っていたが、慣れというものもあるようで、初日よりは遅れずに着いていけた。

 さらに、吐き気も無くなり、昼食を八割方食べきれた。食えないと動けないからな。

 たった一日でこの進歩は自分で自分を褒めてやりたいぜ。


 午後からは総隊長のゴーギャンとマンツーマンレッスンだ。


 とりあえずシャトルランもどきと瞑想訓練は行い、追加で今日一切攻撃が当たらず痛いし、悔しいですという旨を話していたところ、歩法のようなものを教えてくれる事になった。

 ジャッキー映画に出てきた足跡をなぞるような動きでそれを体に叩き込んでいった。


 ゴーギャンと模擬戦をし、その歩法を使った避け方を覚えた。使い方で攻撃にも転じる動きなんだって。

 こりゃ完璧に仕上げないとな!


 マンツーマンの間は昨日と変わらず鉄仮面の如きだったが、朝話を聞いておけたので変な勘繰りをせずに済んだ。

 だが、無表情でボコボコにされると肉体と精神にダブルダメージを食らう。


 今日もまた夕食はまともに胃に入らず、崩れ落ちるようベッドへダイブしたらしい。


 うん、またなんだ、済まない。

 記憶無いんだ。

 風呂場のキャッキャウフフも全く覚えていないんだ、皆済まない。

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