第8話:(半閑話)公爵家の親心
私のかわいいリースが久々に自ら会いに来てくれました。
最近避けられているのかと思うほどに、同じ家なのに会うことが無く、食事時くらいしか顔を合わせていなかったのです。
そろそろリース成分を補給しなければ他貴族様方との交流にも支障をきたしますわ。
部屋に来たリースは、何事か重大な悩みがある様子でした。
何!? 何だというの? 私のリースをこれほどまでに悩ませる者がいるとするならば、見つけて天誅を下してやらねば!
重い口を開いて聞かせてくれた悩みは、とんでもないものでした。
「最近私、太ってきたと思いませんか?」
「ふとっ……!?」
私は耳を疑いました。
それはそうでしょう、この愛らしい子のどこが太っていると言うのか。
その意見には他の皆も同じだったようで、一様に目を見開いて愛し子を見つめます。
一体この子は何を目指していると言うのでしょうか。
「リ、リース? 何を言い出すのです。貴方が太ったなどと…気のせいですよ。
そんな事を言われたら私だって……」
皆が言い出せなくなっているようなので、代わりに皆の思いを言ってあげます。
あれで太ってきたなどと言われたらこの国の女性ほぼ全員を敵に回す事になってしまいますわ。
かわいい娘が槍玉に挙げられるだなんて、私には耐えられません。
それでなくても、貴族の常識だとか言って政略結婚だとかスレスレな発言が多い子なのです、十二分に気をつけさせて、下手に立場を危うくさせないよう守らなければ。
私がそうやって今後の事を憂いでいると、今度は細かな部分で以前よりも肉付きが良くなったのではないか、などと言ってきました。
それはそうでしょう、今は成長期なのですし、そこにお肉が付かなくては女性の象徴であるお胸にも栄養が行渡りません。
「…えっ? あ、あぁ、確かに、その辺りは若干肉付きが良くなりましたが…ですが、以前の貴方が痩せ過ぎていただけで…───」
痩せすぎていただけでより魅力的な女性になっただけの事だと説明致しましたが、後半をリースは聞いていなかったようです。
したり顔で前半部分について詰問した後、分かっていたのなら何故言ってくれないのか、などと言うのです。
良い事なのに何故指摘する必要があるのかしら?
私達が疑問符を頭に浮かべていると、仲間外れにしただのと言い、食べてしまいたい唇をかわいく尖らせて俯くのです!
ああああ、もう!
あの子はわざとやっているのかしら!?
あれを狙ってやっているのだとしたら私はリースの将来が心配でなりません、いつか刺されるんじゃないかしら…。
周りの者達もあれをされたら敵いません、皆先々に駆け寄りリースを慰めます。
それでも愛し子は納得いってない様子です。…この反応を見るに、本当に本心からそういうことを思ってやっているのでしょうね。
だとするならば、将来がやはり心配でなりません。
あの顔を見せられて落ちない殿方はいるのでしょうか…。いつか攫われそうで怖くて仕方がありません。
あの子が攫われたら私、全戦力を投入する自信がありますわ。
と、そんなことを憂いでいると愛し子の口からまさかの言葉が。
「───…、お母様はいつも変わらずお美しくて…──」
この世で一番美しいであろう彼女から美しくて若くて細くてスタイルが良いだなんて…!
…え? 何か多いと…?
お黙りなさい。
たとえお世辞だとしてもリースから言われると意味が変わってきます。
急激に女としての自信が体の奥底からあふれ出してきました。
良いですよリース、そんな私に答えられる事なら何でも聞きなさい。何だって叶えて差し上げますわ。
そしてリースの口から放たれたのは、私のスタイル維持の秘訣。
確かに、私ももう四十を越えておりますので、摂理に逆らい今を保つために様々な事をしております。
子を作る気はありませんが、女を捨てないため夫とも週に一度は夜を共に致します。
椰子という木の実から精製した油を体に塗って頂いたり、秘伝の美容体操もしております。
ですが、それは全て、この齢に合わせたもの。
若いあの子がやったところで、何かの足しになる事ではないのです。
本心からのその返答を、愛し子は不服だったようで、それでもそのどれか一つはと粘ってきます。
必要の無いモノを無理にやらせる訳にはいきませんので、心を鬼にして断り続けたのですが、縋り付かれ、上目遣いにお願いなんてされたら鬼の角も砂の様に消し飛ぶというものです。
角の消え去った私は、美容体操を教えて差し上げる事にしました。
簡単に動きを教えていきますが、それにしても飲み込みが早い。
見た目だけでなく頭のデキも凄まじいようです。
わが子ながら嫉妬をしてしまいそうになります。…子の成長は速いと良く言われますが、それにしてもリースは本当に早熟です。
…前屈に苦戦しているようですね。それだけ実っていればさぞ邪魔でしょう、若いうちから苦労を掛けさせて御免なさい、きっと遺伝だわ。
それにしても、顔を上気させ、一生懸命になって体操をしている様は、本当に愛らしい。
もう、いいでしょうか。
いえ、むしろ私がもらうべきですよね、必死にお腹を痛めて生んだわが子ですもの、私が誰よりも先に食べてしまいましょう。
…いえ、だめよだめ。気をつけないと、こんな事ばかり考えてそんな目で見ていたらまた避けられてしまうわ。
とにかく抑えるのですよ、私!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今朝方、僕の執務室に娘のリースが訪ねて来た。彼女から会いに来てくれるだなんて、珍しい事もあるものだ。
ここの所領地での不作が続き、税収が芳しくなかったり、不作のために子を売る親が出たりなどの問題が多かったため、中々話をする機会も無かったが、息子のクローズにも領地と此方を行き来してもらって、漸く目処がついてきた。
以前の僕では中々こういう問題に対処できなかっただろう。
しかしある時、腰を痛め弱音を吐いている僕のところへ、態々リースが出向いてくれた。
その時に僕の背中を自らが支えるなどと言う健気な発言に加え、なんとキ、キ、キスをしてくれたのだ。
わが娘相手なのに頬あたりから香る甘美な香りと何が起こったと横を見ると、はにかみ苦笑する天使の顔を見たら、年甲斐も無くドキドキとしてしまった。
こんなにも心優しい愛し子を悲しませるわけには行かない、いつまでも楽しそうにのびのび育ってもらう為、その時から僕の内から言いようの無い力が溢れ出てくるのだ。
それからは、精力的に領地改革へ着手し、領地の環境改善、インフラ整備、雇用確保と見えてきた数多くの壁を一つ一つ崩していった。
それに比例するように家族とのコミュニケーションの機会も減っていってしまっていたのだが、中々話せなくなっていた僕にも、彼女は相変わらず優しく微笑み、励ましてくれた。
そんな日が続いていた中でのリースからの訪問は、とても珍しいと共に大層嬉しいものだった。
「お父様、本日はお願いがあって参りました。
下町で買い物をしてくれている使用人の方が、こちらのお触書を持ち帰ってくれました。まずはご覧になってください」
ふむ…何々、近衛騎士の体験入隊とな?
あぁ、王宮のな。王宮直轄の騎士団は雑務が多いからな、人気が無いんだよな。
まぁ、こうやって募集でもしないと待っているだけで人が集まることなど皆無だろうな。離職率も相当に高かったはずだ。
「王宮騎士隊の隊員募集だね、最近多いみたいだね。
これがどうかしたかい? あ、サクリファス家の私兵は十分に数が確保されているから、こういう心配はしなくていいよ」
リースは言い辛そうに
「それでですね…」
と呟いた後、十分に間を置いてから、愛くるしい目でしっかりと僕を射抜き、両手を胸の前で組み合せ、すがる様な祈るような上目遣いで件のお願いとやらを言ってきた。
「お父様、その体験入隊に私も参加させてください!」
「へっ?」
間抜けな声を出してしまった…。
一体何を言い出すんだ愛し子は。
近衛騎士隊は、昨今平民を多く入隊させていることから、素行があまり宜しくないのだ。
平民から準貴族へと一気に昇進するために、何か特別な地位を得たと勘違いしてしまう者が多い。
下町や我が領地でも素行の悪さが目立つという話題は良く聞く話だ。
そんなならず者の多い場所にリースを?
冗談じゃない。
「リ、リース、落ち着きなさい。
近衛騎士隊と言えば、素行の悪さの目立つ騎士隊だ。
そんなどんな獣が潜んでいるかも分からないところに、お前を預けるなんて私には出来ないよ」
「では、誰か付き添いがあれば良いのですか?
実はマシューがいざという時の護衛兼付き添いとして来てくれると言ってくれているのです。
それに、女性騎士も最近は数が増えてきたという事も伺っておりますわ」
「いや、しかしだな…」
何かうまい断りの理由は無いかと、言い淀む僕に、彼女はさらに捲くし立てる。
「それに私、夢で騎士隊に行く事を見ましたの。
そこで誰かに会って、それが我が家にとってとても良い助けになってくれる事も。
募集要項は老若男女と書いてあるだけなので、貴族が行く事を禁止しておりませんし、ダイエットにも良いと書いてありますわ!
だからお願いします、お父様!」
うっ…! その顔と仕草は止めてくれ。
この家の誰もが無理なように、僕もそれをされて断るなんて事はできないんだ。
「はぁ…、その顔はずるいよリース…。
分かったよ。但し、マシューから極力離れない事。
マシューがまずいと判断したら一週間を待たずにすぐに帰宅指示に従う事。
此れだけは必ず守ってもらうからね」
「わぁ! 有難う御座いますお父様! 頑張ってきますね!」
はじける様な笑顔でそう言うと、僕の首筋に飛び込んできた。
ドキドキが止まらないよ。
領主としての自制心をフル稼働させて、何とか震える手で両肩を持ち身を離れさせることが出来た。
一体いつまでこの心が持つのやら…。
最近マルシャも怪しいし…、いつか夫婦そろって娘を襲うなんて…って! 何を考えているんだ僕は!
嬉しそうに貴族礼をしつつ部屋を出て行った彼女のいたその場を見やり、領地運営でもついた事の無い深い溜息をつくのだった。
娘の扱いは領地よりも難しい…か。
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