第53話

 財政資料を突き付けられた時、本当に終わったんじゃないかと覚悟した。それ自体は出所不明なところを突けば言い逃れはできたかもしれないものの、それ以前にもしかしたら私たちの味方の中に、公爵に内通する裏切者がいるんじゃないかと感じたからだ。けれどその心配は、段々と消失していった。

 最初に違和感を感じたのは、公爵の質問の内容。それはある人物が以前に私たちに投げてきた質問と全く同じだった。そしてそれを感じたのはフォルツァも同じだったようで、二人とも思い出すのに必死でなにも言葉を発さなかった。

 次に違和感を感じたのは、公爵が告げたこの資料の出所だった。ここの財政資料を入手するのに、皇室を当たるのは不自然すぎる。うちに内通者がいるのなら、その者を経由して手に入れれば手っ取り早いはず。

 そして決定的なのが、この財政資料の作成日だ。この日付は、ある人物が私たちのもとを訪ねてきた日と一致している。私はその人物の顔を思い浮かべながら、思わず言葉をもらす。


「…ありがとうございます…」


 横目でフォルツァのほうを見れば、ついさっき公爵が投げてきた質問に、ひとつずつ丁寧に答えていっている。あの日はケーリさんの問いにたじたじだったフォルツァが、今日は堂々と論述している。


「一次支出の記載に不備はありません。見かけ上は値にずれが生じているように見えますが、それは補正前の数値と補正後の数値を比べているからです。他に不審だとご指摘のあった箇所に関しましても…」


「…そ、そんなはずは…」


 反論の余地のないほど的確に論述するフォルツァの前に、ますます余裕を失っていく公爵。


「…確かに、補正の後に検算をすればなんら不備はみられませんね。ゲルチア公爵、これらを根拠にシンシア様を追及されるのは無理と思われますが」


「っ!!」


 冷静なクロースさんの言葉に、何とも言えない表情を浮かべる公爵。


「こ、公爵様、これは一体どういう…」


 ようやく状況が理解できてきたのか、目に見えて焦り始めるマリアーナ。さすがの彼女の余裕も、ここにきて息切れしてしまったようだ。

 …しかしそんな時、部屋全体をある人物の低い笑い声が支配する。


「…ふふ。ふふふ」


 私の疑いの根拠となる資料をことごとく跳ね返された公爵は、不気味に笑い始める。私もフォルツァも、クロースさんやマリアーナまでもがその状況を理解できず、皆が口をつぐんで公爵を見守る。


「…わかりました。財政資料はすべての箇所において適切であったと。では…」


 続けて公爵が口にする資料の名前に、私たちは一瞬固まる。


「…連結資産表を見せていただきましょうかな」


 …私もフォルツァも、ここにいる皆がそれぞれ目を見合わせ、全員が困惑顔を浮かべる。…もう無茶苦茶だ。準備資料に連結資産表の記載はなかったはずだし、告発文書にもそんな資料の名前は全く出ていなかった。私たちはもとより、調査団員の人たちまでもが困惑している様子だ。皆を代表するかのように、フォルツァが半ば呆れながら公爵に言葉を発する。


「…ゲルチア公爵、そんなものはありません。…もう諦めになられ」「それは、」


 しかしそのフォルツァの言葉を、公爵が乱暴にさえぎる。


「それはおかしいですね、準備資料の一つとして調査通知書に記載しておりましたが?」


 …


 …い、今公爵は何と言ったの?じゅ、準備資料に記載していた、と言ったの…?


「そ、そんなまさか!?」


 公爵の言葉を聞いたレブルさんが、急ぎ通知書の内容を再確認する。フォルツァも私もすぐに席を立ち、レブルさんの背中ごしから通知書に視線を移す。…そしてある箇所を見て、皆の表情が凍り付く。


「お、おいおい…」


「こ、こんな小さな文字、気づけるわけ…」


 …資料一覧の欄外に、注釈付きの小さな文字で連結資産表の名前があった。文字の大きさからレイアウトまで、全く私たちに気づかせるつもりのない悪意に満ちた記載方法だ。 

 …焦りを募らせる私たちの表情がうれしくて仕方がないのか、公爵は先ほどまでとは打って変わって満点の笑みを浮かべる。


「さあさあ、早くご提出ください。…できないということは、やはり何か隠していることがあるということですなぁ。ぐふふふ」

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