心残り

 さわやかな風がふいている。

 気持ちいい。

 だらだら汗が流れる夏の炎天下から、エアコンがいた場所に入ったときのような。

 黒いカーテンの向こうに、きれいな青空。


 吹雪は、去った。


 じゃなくて、はげしい吹雪の世界から、ぼくがいなくなったというべきだろう。

 意外と痛みはなかった。

 それどころか、すごく安らかな気分だ。

 頭の下にも、まるで枕をしいたように、やわらかい感触があって――


「目がさめたか」

「……ラス美さん」


 ん?

 彼女がぼくを、やさしいまなざしで見下ろしている。

 ぼくたち、助かったのか?

 これ、もしかして膝枕?


「みろ」


 ラス美さんが顔を斜め上に向けた。その動きで長い髪が流れ、ぼくの耳のあたりをくすぐる。


「いったい、誰があんなものを書いたのか……」


 空の青を背景に、飛行機雲のような白いライン。

 とほうもなく大きく、あまり上手ではないひらがなで、


 みっしょん こんぷりーと!


 と書かれている。


「半信半疑だったが、やはり“みっしょん”というのは本当だったんだな」

「あの落ちついた態度で、半分は疑ってたんですか?」


 ふっ、とラス美さんはみじかく微笑する。


「あんな荒唐無稽な話、信じられるか。むしろ半分は貴様を信じたことを……」

「信じたことを?」


 強引に、彼女は話題をかえた。

 かすかに動揺のみられるしゃべりかたで、


「あ、あのときもそうだったのか……? その……〈特別教室〉でわたしや小御門こみかどに変装したアレも」

「はい。“みっしょん”を達成するためにもらったちからです」 


 話しながら、ふいに、わかった気がした。

心見こころみ〉でラス美さんの心を知ったときの違和感。

 あれは……ずーっと奥のほうの、心の声だったんじゃないか?

 無意識とか、深層心理とか、なんかそういうやつ。


「他人に化ける能力の他には?」

「心が読める――」ちら、とラス美さんの顔をうかがう。とくに驚いている様子はない。「そんな力もありました」


 そうか、となんでもないように彼女は言った。

 やっぱり想像のとおりかもしれない。

 これは、心の声とのギャップに本人も気がついていない証拠だ。

 ラス美さんの鼓動を、ふとももを通じて後頭部にしっかりと感じる。


「もう使えないですけどね」


 よっ、と立ち上がった。

 ちょっと体がよろけた。


「ムリをするな。まだ休んでいろ」


 お言葉に……甘えたくなる。

 ものすごく魅力的な誘惑じゃないか。

 と、ぼくが身をかがめようとしたとき、急にラス美さんが立ち上がった。


「どうしたんですか?」

「忘れていた」


 そのまま待っていると、彼女のほうが口をひらいた。


「退学届けだ。取り返して、はやく撤回しなければ」

「あの……」

「理由を知りたそうな顔だな」


 冷たいそよ風が、ラス美さんの髪とスカーフをゆらす。


「ラプチャーローズだ。あれが、とうとう男以外にも影響するようになった。それでは勉学に差し支えると思って、退学するしかないと思ったが――」ぼくをみて、微笑む。「気がかわった。目の前に、とんでもないことをやり遂げた男がいるんだからな。わたしもいどんでみたい」


 自分の体質に、と、胸に片手をあてて言った。

 いいですね、とぼくが言うと、なぜか彼女が不安そうに視線を斜め下に落とす。


「白石。あらためて聞くが、本当に……わたしでかまわないのか? わたしは、ふつうの女ではない。この先も、ラプチャーローズはさらに生きることを困難にするだろう。つきあえば、想像以上に苦労することに――」

「します。よろこんでしますよ、その苦労」


 フライングぎみにぼくが返事したことにおどろいたのか、ラス美さんが目を丸くしている。

 はじめてみる表情だと思う。

 もっと、いろんな表情をみてみたい。


「……」

「またデートしましょう」

「ああ。次もホテルにいくぞ」


 一秒後、


「ごごごご誤解するなよ⁉ あくまで、食事だからな? レストランだぞ? い、いっしょに泊まるんじゃないんだから、な……?」


 真っ赤になってラス美さんが説明した。

 わかってますよ、となだめて、ぼくたちはいっしょに屋上の出口のほうへ歩いていく。

 立ち止まった。


「どうした、白石」

「あの……もうちょっと、風にあたっていてもいいですか?」


 何かを察したのか、とくに反対もせず、ラス美さんは無言でうなずいた。

 ぼくだけ、その場に残る。


 一人に、なりたかったから。


 なんだろう。

 モヤモヤした感じ。

 スカッとしない。

 スポーツだったら、ここはガッツポーズするところなのに。


(みっしょん こんぷりーと、か……)


 空を見上げる。

 これを、姉ちゃんに見せたかった。

 地球をすくったよ、と誇らしげに言いたかった。

 彼女もできたんだ、と伝えたかった。


(……)


 こみあげてくるものがあって、ぼくは思いっきり歯を食いしばった。

 泣きたくないから。

 なさけない弟だって、がっかりされたくないからな。


「がまんは」スーッと、屋上のフェンスの向こう側から〈何か〉があがってくる。「よくない」

「キミは……」


 パッ、とぼくの目の前に瞬間移動した。

 あの子。

 ぼくからポテトをカツアゲした女の子。


「どうして、かなしんでる? アンタはじ・あーすをすくったゆうしゃ、ね?」


 白黒半々のワンピース。つながってハートにみえる、頭のてっぺんにつくった二つのお団子。


「よし!」


 ぱん、と女の子が手をうった。


「じゃあ“みっしょん”のくりあほーしゅーのはなししよう、ね?」

「クリア……報酬……?」

「なーーーんでも、ねがいをかなえるんよ」


 ぴっ、とぼくを人差し指でさす。

 願い?

 なんでも?

 ぼくは確認した。ほんとになんでもなのか、って。


「もじどおり、なんでも。な~んでもな~んでも」

「時間旅行とかも?」

「うぃ」女の子は、首にくっつくぐらいあごをひいてうなずく。

「不老不死とか」

「うぃうぃ」

「人を生き返らせたり――――ッ!」


 息が、まった。

 自分で自分の考えに、衝撃を受けてしまった。

 ある一つのことが、願いの候補にあがる。

 生き返らせたいと心の底から願う、大事な人のことが。


「うぃ、ね?」

「そうなんだ……」

「ただし、いっこだけなんよ。おきまり?」

「え、えっと」


 今のぼくの一番の願いといえば、あれしかない。

 うん。

 たぶん姉ちゃんも、納得してくれるだろう。



「ラス美さんのラプチャーローズを、消して下さい」



 女の子がニコッと笑って、片手をあげた。


「アンタ、さいこうにいいおとこ! “みっしょん”のちゃれんじゃーにアンタをえらんでよかったんよ。おしあわせにな。ばいばい」


 フラッシュ。

 白い光でまぶたをとじた一瞬のあと、もうそこには誰もいなかった。

 あーあ、って小さくつぶやいてみる。

 どうして「白石存花そんかを――」って、お願いしなかったんだろうな。

 それに、ラプチャーローズを消すっていうことは、ぼく以外の男でも彼女に言い寄れるようになるってことだぞ?

 バカだな、ぼくは。

 でもこれでいいんだ。


(あっつ)


 雪が解けた影響か、風はひんやりしてるんだけど、気温はすっかり夏のものにもどってる。

 さすがに冬服の学ランじゃ、あつい。

 第二ボタンまではずしたとき―――


(ん)


 内ポケットに、何か入ってる。

 手紙?

 折りたたんだ便せんだ。何枚かある。


(拝啓……ずっ友より?)


 ずっ友っていうと、三年の超イケメンの真壁まかべ先輩の体をのっとっていた異星人か。

 たびたび、ぼくに協力してくれた人だ。

 以下、こんな文で書き出していた。



 ――白石君。気づいているかどうか知らないが、告白させてくれ。

 いつか「オレはキミの味方だ」って言ったことがあるだろ?


 あれ、ウソなんだ。

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