残り1日

 こんなに悲しくなさそうな泣き顔が、あるのか。

 すずしい表情のまま、目から目薬が流れ出ただけのような。

 この涙で思い出す。

 引っ越し当日の、ハツ美……いや、幼いころのラス美さんのことを。

 おとなしい性格の彼女が、ぼくもおどろくような大声で「いや!」といった、あの日。


「おわかれしたくないよ!」


 ぼくの服をひっつかみ、下から、垂直に見上げてきたその両目から、涙があふれていた。

 そして時は流れ、ぼくの初恋の女の子は高校生になって、同じように泣いている。


(おわかれしたくないよ!)


 なぜかカンペキに一致した。

 わかぎわさけんだ声と、今のラス美さんの心の声が。

 どういうことだ?

 それって、言ってることと正反対じゃないか。

心見こころみ〉を解除して、質問しようとすると、


「聞いてのとおりだ、早乙女さおとめ

「ええ。けっこうでしょう」


 少し視線を横にずらして、ぼくではなく、ぼくのうしろに話しかけている。

 早乙女?

 ふりかえると、長身でリーゼントの風紀委員長がそこにいた。

 ラプチャーローズの影響を考えてか、けっこうはなれている。


「念を押しますが――今後、白石存太からの告白は絶対に受け入れない、ということでよろしいですね?」

「くどい。それよりも」


 急に言葉をとめて、ぼくのほうをチラッとみた。

 五秒の沈黙。

 しびれを切らしたように、彼が口をひらく。


「……それよりも?」

「次は貴様が約束をまもる番だ」


 ラス美さんが背中を向けた。あっというまに、ずっと遠くにいってしまう。

 早乙女さんもいなくなっていた。

 一人、とり残された。

 迷わずにラス美さんを追いかけるべきだったか……


「いーーーってぇ‼」


 階段の下で大友の声。


「邪魔邪魔。こんなところで寝てちゃ、迷惑です」

「おまえなぁ……」

「また『おまえ』って!」


 まーまー、と右足がキックの予備動作にはいった彼女をなだめる。


曳舟ひきふねさん。そいつはわるくないんだ。さっきまで、ラス美さんが近くにいたから」


 あー例の〈結界〉ですね、と話がはやい。


「ちゃんとアタックしました?」

「いや……泣かれたよ」

「はぁ?」


 なんだったんだろう、あのやりとり。

 聞いてのとおりだとか、約束をまもる番だとか。

 終業式の間もずっと気になっていた。

 推測したのは、なんらかの取り引きをしたらしいということだ。

 なにか強いネタがあって、ラス美さんに〈告白を受けるな〉と指示した……。


(そうする理由はある。ぼくに“みっしょん”を達成させたくない何者かが、風紀委員を利用しているって真壁まかべ先輩――の体をかりた異星人――が言ってたからな)


 では、そのネタとは何か?

 ラス美さんを動かすほどの、どんな材料があるっていうんだ?

 ぼくか彼女を退学にする……とかか?

 いや。いくらなんでも、そこまでの権力は風紀委員にはないだろう。


「――で、これからどうすんだ? ソンタ」


 放課後の教室。

 あとは下校するだけという状況だが、そう簡単には帰れない。

 これからのぼくの行動に、地球の命がかかっている。


「うわ。外、やべー」


 大友の視線を追って、ぼくも窓の外をみた。

 たくさんの雪が、ななめに流れている。びゅうびゅうと音もすごい。


「めっちゃ吹雪じゃん」


 まったくだな……って、同意しちゃマズい。

 吹雪それになったら、すべてが終わるんだよ。

 残り時間は少ない。

 地面につもってる雪が全部、猛烈な風で舞い上がったら――


「ソンタ。スマホ、ふるえてね?」

「おまえも」


 ぼくたちに、同時に着信があった。

 すぐに数学準備室にきて! と、これは狩野かのう先生からだ。


「しょ、衝撃の事件です!」


 曳舟さんも到着したところで、先生はドアにカギをかけた。室内には、ぼくら四人しかいない。

 ストーブの上にのったヤカンのふたが、ずっと高速でカタカタ鳴っている。


「こんなものが」


 ぼくたちにスマホの画面をみせる。


「わーぉ」


 と、一番最初に声をあげたのは後輩女子。


「中々やりますねー。一回目のデートでホテルですかー」


 大友は、しばらく硬直していたが、


「ソンタが……おれをおいて大人の階段を……くっ! だが、ここは笑顔で祝福すんのが、ほんとのダチってもんだぜ!」


 と、盛大に誤解している。

 先生は冷静。


「顔にボカシは入ってますけど、やっぱり白石君とラス美ちゃんですよね……この二人」


 いつ撮ったんだ?

 おとといのデートで、高級ホテルに入る直前。

 何枚もある。顔にズームしたのまである。


「やばいことに、爆速ばくそくで職員の間に回ってます。顔出ししてないのが救いですが……」


 写真自体は、ちっともやばくない。

 なぜなら、やましいことは何もしていないからだ。ちゃんと説明も弁解もできる。

 問題は、誰がどんな目的で、これを撮ったかだ。


「かっこわるいですよ先輩。どうせ食事で入ったんだろうに、パパラッチされちゃうなんて」

「あ。わかってたんだ」

「当然です。どれどれ、もっとよく写真をみせてください」


 曳舟さんがスマホを受け取って、写真を拡大して確認している。


「なんだろ……これ。この黒いの。ほら、画面の上に、ほんのちょっとだけ」

「ゴミじゃねーの?」

「ちーがーいまーす。きっと髪ですよ髪」


 髪?


「くっだらねえ」大友が顔の前で手をパッパッとふる。「あるわけねーだろ。こーやって」と、顔の前でスマホをかまえる仕草。「写真とるときに写りこむほど前につきでた髪型なんか。あるとしたらマンガだよマンガ。なんとかのジョーみたいなキャラいなかったか? それか、ヤンキーの」


 大友の言葉にひっぱられたのか、ぼくにもあるワードが頭に浮かぶ。

 それを声にだすと、二人できれいにハモった。


「リーゼント!」


 ◆


 黒いドア。

 ラス美さんのいる生徒会室――ではなく、生徒指導室の前にいる。

 本当なら、こんなところに来ている場合ではない。

 しかし、あの写真の問題をクリアしないと“みっしょん”にさしつかえる以上、来ざるをえなかった。


「おい、一年」


 大友がうしろをふりかえって言う。


「おまえは帰れ。で、あとで何か聞かれても、おれらとは関係ねーってやぁいいから」

「なんです、それ。また『おまえ』って言ったし。カッコつけてるんですか?」

「女は足手まといになんだよ」

「ふるい考え方ですねー。どうしようと私の自由じゃないですか」


 曳舟さんはぷいっと横を向いてしまった。

 ぼくは彼女の意志を尊重したい。

 あぶなくなったら、守ろう。


(いくぞ)


 ドアのレバーに手をかける。

 くか――?


「来ると思ってましたよ」


 奥の椅子に座っているのは、早乙女さんだ。


「ふん。わざわざそっちから来るとはね」


 四角く配置した長テーブルの一つに足を組んで座っているのは、風紀副委員長の岩男いわおさん。

 リーゼント男子とソフトモヒカン女子。

 広い部屋には、この二人しかいない。


「聞きたまえ」


 早乙女さんはひじ掛けに両ひじをついて、椅子にゆったり座った姿勢で言う。


「校則、第九章【生徒心得】第一条【異性との交際については、健全かつ社会の誤解を招くことがないようにしなければならない】。あれ・・は、おおいに誤解を招きうる画像だといえましょう」

「それがなんだよっ!」

「……私は白石君と話しているのだが」

 

 目で岩男さんにサインを送ったように見えた。

 その直後、


「がっ!」


 大友が頭をおさえる。

 なおも間髪をいれず、ハラをなぐってくる。

 ラッシュ。

 あまりの猛攻に、大友は体を丸めてガードするしかできなくなった。


「やめろ!」

「いいよ、いい……ソンタ……おれがやられんのは、全然いい。気にすんな……それより、さっさとそいつとケジメを」


 床に倒れた。〈く〉の字に、横になって。

 

「ちっ……女に手を、だすわけにゃいかねーからな……」


 容赦なく、ソフトモヒカンの女子は足を大きくうしろにひいて、つま先で――


(だめだ)


 蹴っ――てない。

 大友も、大友との間に入ったぼくも、ノーダメージ。


(うそだろッ⁉)


 つかんでいる。

 曳舟さんが、乱暴な風紀委員の女子の足首を。片手で。

 そのままそれをひっぱる。

 あわててバランスをとろうとするが、


「おそいねん」


 体勢を崩したところに、電光石火、火花が散るような頭突きが入った。

 今度は彼女が、〈く〉の字に倒れた。

 起き上がる気配はない。完全にのびている。

 曳舟さんがうつむいて首をふった。


「は~~~、せっかく遠いトコに引っ越して、ふつうに恋愛を楽しもおもとったのに。やってもーたな~」

「おまえ……」大友が上半身を起こした。「まじか?」

「さっき足手まといにならんてうたやろ? 中学んとき、バリバリのヤンキーやったから……あーあ、正体がバレてもうた。こらアカンわ」

「アカンくないだろ。おまえって――」


 大友の声は、たぶんぼくにしか聞こえていない。

 あいつは「最高の女だぜ」とつぶやいた。

 この二人がつきあう日も、そう遠くないな。

 さて、


「もう意味ないですよ」


 ぼくが言うと、早乙女さんの片方の眉があがった。


「今、先生に動いてもらってます。ホテルの人とかの証言をとってますから、写真をさらされても問題がなくなります」

「……」

「ラス美さんを、おどしたんですね?」

「それは言葉がわるい」


 立ち上がって、威圧するようにぼくを見下ろしてくる。


「私は、ただデータを送っただけです。たまたま知っていた会長のアドレスに」


 送った? 直接、彼女に?

 まさか、おとといのデートの最中さいちゅうか……?

 それなら、説明がつく。

 水族館で急に人が変わったように、ぼくに「つきあえない」と言った理由わけが。


「ソンタ! かまわねえ、やれっ! やっちまえ!」


 親友の大友は、いつもぼくを「クール」だってからかう。

 実際、そうかもしれない。

 何事にもめてるのかもしれない。

 とはいえ、好きな女の子が、この人のせいで泣いている。

 自覚がないまま、クールなまんま、ぼくは彼の胸倉をつかんでいた。


「どうぞ。私を蹴るなり殴るなり、お好きなように」


 早乙女さんの、声の調子が変わった。機械のような感じに。


「私の役目はすでに終わった。みよ。もはや吹雪はとめられない。ゲームセットだ!」

「おまえがな」


 大友のフルスイング。

 しっかり腰が入った右のフック。

 リーゼントを時計の針にたとえると、6時から12時まで一瞬でグルンと回った。 


「背中にすわっておれに停学をくれやがった借り、しっかりノシをつけて返してやったぜ」

「あーあ、やりすぎです。完全にノックダウンしてるじゃないですか」

「バカいえ。やりすぎは、おまえだろ」


 生徒指導室を出る。

 ちょうど先生から連絡もきて、正式にあのツーショットの写真は無効となった。

 それを伝えようと、生徒会室に移動する。

 風紀委員の二人のことは曳舟さんにまかせた。今、誰か助けを呼びにいっている。倒れた理由をきかれても、彼女ならうまくごまかせるだろう。


(生徒会室には最強の護衛、騎士ナイトがいるな……)


 そう考えると、大友がいてくれるのは頼もしい。

 ところで、すっかり忘れていたが、ぼくは騎士ナイトとのデートを二つともすっぽかしていた。

 ビンタとかですめばいいけど……。


「あれっ? 誰もいねーじゃん」


 がらんとした部屋。

 このドアの幅でどうやって運び入れたのか謎な、豪華な長方形のテーブルがあるだけ。

 その上に、


「ソ、ソンタ! これをみろよ!」


 円堂えんどう羅須美らすみの退学届けがあった。

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