残り3日 ー 12:00~21:00 ー

 大人の階段は、階段ではなくエレベーターだった。

 ぼくはラス美さんといっしょに、最上階まで一気に、あがってしまう。

 遠回しにべつのことを表現したわけじゃない。たんなる事実だ。


「……高そうですね」


 ぼくは正直に不安をうちあけた。


「それほどではない」


 ラス美さんは、ここがはじめてではないらしく、いくらぐらいなのかも知っているみたいだ。

 二人で入ったホテル――の最上階にあるレストラン。

 ガラスばりで全面展望になっていて、上品に食事をしている彼女の背後にはミニチュアの街が広がっている。白い雪をかぶって。


(すごく大人な空間だ)


 赤いじゅうたんに、豪華なシャンデリア。

 暖色系のしっとりした照明と、おちついたクラシックのBGM。

 ナイフとフォークをもった手がとまり、彼女の目がぼくに向けられた。


「どうしてここに? という顔だな」


 はい、そういう顔です、と心の中でこたえる。


「みろ」


 小さなあごをくいっと動かした。けど、どこを見たらいいのかわからない。


「このテーブルの間隔だ。わたしがゆっくり気を休めるには、この程度はいていなければならない」

「ラプチャーローズですか?」

「そうだ」


 たしかに、一般的な飲食店……たとえばファストフード店やファミレスよりかは、席と席の間がゆったりしている。


「しかし」食事が一段落し、口元をナプキンでふくラス美さん。「やはり不可思議だな。どうして貴様には〈これ〉が効かないのか」


 周囲の人間、とくに男だけを強制的に眠らせる、彼女の特異体質。

 それがぼくには無効。

 理由はわからない。じつはぼくが女の子っていうオチでもない。

 とにかく、効かなくてよかったよ。

 じゃなきゃ、こうしてラス美さんと一対一になれないからな。

 デザートのアイスがはこばれてきたタイミングで、ぼくはたずねた。


「そろそろ教えてもらえませんか。あなたが言った、『正しいことが一つだけある』っていうのは……」

「なんと言った?」

「え? だから、正しいことが――」

「そこじゃない! その前!」

「はい?」

「あなたと言っただろう! あなたと!」


 えっ、という感じで何人かがこっちを見た。

 しかし、すぐに安心したような表情で、顔の向きがもとにもどってゆく。微笑んで、ぼくたちにやさしい視線をくれたおじさんもいた。

 その理由は、彼女に怒っている様子がないからだ。

 大声ではあったが、マイナスの感情からそうなったわけじゃない。

 シンプルにいえば、ただ照れているだけ。


「言いました。失礼……でしたか?」

「当たり前だ」と、ご機嫌ななめに言いながら、アイスをのせたスプーンをぱくっとくわえる。「そんなふうに呼びかけていいのは、親しい間柄だけだぞ。まったく……しかも、わたしは貴様よりも年が――いや年齢でいえば同じだったか」


 気になる言い方。

 年が同じ?

 まあ、ぼくが17才で、もしラス美さんの誕生日がまだ来ていないのなら、そうなるのか。

 すこし判断にまよったが、ここは掘り下げずにスルーしよう。

 恋愛系のマニュアル本にも〈女性に年齢の話題は地雷〉と書いていた気がするし。


「ところで」


 と、ぼくは会話をすすめる。


「いい名前ですよね。円堂えんどう先輩は」


 これぞ切り札。

 曳舟ひきふねさんからメールで教えてもらった、デート時の会話のコツ。

 名前。

 それは相手の領域に自然と入っていける、万能の話題らしい。


「わたしは好きではない」


 あは……と、愛想笑いもひきつってしまった。

 おいおい。

 どうしたらいいんだよ、これ。


「もっと、ありふれた名前でよかった」

「たとえば、どういうのですか?」


 食器をおいて、腕を組んだ。

 数秒間、ぼくたちはピアノのソロパートを聴きながらみつめあう。


「名前で思い出したが――」すっ、とミネラルウォーターが入ったグラスをとる。表面にシャンデリアの光が反射している。「たしかに、わたしの以前の名前は『ながもり』だが、どこで調べた?」

 ぼくもグラスをとる。

 わけもなく、一気飲みした。


(これは……思った以上に核心に近づけていないか?)


 ドキドキする。

 つまり、ラス美さんは『ながもり はつみ』ではないが、かつて『ながもり』だった。


「調べたわけではなくて、なんていうか……センをたどっていったらたどりついたみたいな」

「あの写真のことも聞きたい。あれはどこで入手した?」

「小さいころのラス美さんが写っている写真ですか?」


 ぴくっ、と、ポーカーフェイスの片方の眉毛だけ、ミリ単位でうごいた。

 そういえば面と向かって「ラス美さん」って、今まで言ってなかったっけ。


「ラス美さん?」


 と、あえてもう一度名前を呼ぶ。

 はっきり言って、これぐらい図太くなければ、地球はすくえない。告白をつけれない。


「貴様……」

「名前で呼ぶの、ダメですか?」


 眉間に細い指をあて、目をとじ、ゆっくり首をふった。


「勝手にしろ。こんな小さなことで言い争うのも疲れる。確かに、わたしは――」


 その一コマ。

 ぼくにはなぜか、スローで見えた。

 ほのかに赤いくちびるが、チュッ、とつきだされる動作。その両端がやや上がったアヒルぐち


「あっ、ちょ、ちょっともう一回」


 怪訝けげんそうな顔のラス美さん。


「もう一回だと」

「なんて言いました、今」

「わたしは羅須美らすみという名前だ、と言ったんだ」


 まただ。

 またキュートなアヒル口――じゃなくて、その発音。

 らすみ、とちゃんと言ってたけど、〈す〉の部分にかすかな違和感があった。

 かくし味のように、奥の奥のほうに〈t〉の音を感じたんだ。


(なんだろう……これって大事なことなのか)


 よくわからない。

 思い出したのは、ハツ美のことだ。あいつも名前を言うときにアヒル口になったからな。


「でるぞ」


 と、入店したときと同じように、ぼくを先導するように店をでる。

 会計は、なかった。

 このお店の経営者がラス美さんのお母さんの知り合いらしい。知り合いぐらいでタダになるもんか? とも思ったが、ここはふかく考えないことにした。


「わたしがおごったわけではない。おごったのは、わたしの母親だ。わたしに礼は言うな」

「でも、ありがとうございます。ごちそうさまでした」


 その、だいたい30分後、


「白石。わるいが、わたしは貴様とはつきあえない」


 ふられた。

 

 ◆


 つきあえない、がずっと脳内で再生されつづける。

 映像も、込みで。

 あれは水族館。まっすぐ立ったラス美さんのうしろには、七色に光るクラゲがふわふわと浮いていた。


「白石」


 そこを出たあと、二人で駅まで歩いた。

 ぼくは電車に乗ったが、彼女がどうやって帰宅したのかはわからない。

 そのとき、何をしゃべったのかも思い出せないから。

 何度も何度も、


「わるいが――」


 ふられたときの言葉が、ループする。


(あれ)


 と、ベッドに寝っ転がったまま目をこする。

 泣いてない。

 泣いてないことを確かめるために、目をこすってみたんだ。

 うん。泣いてない。

 だけど、このさみしい気持ちは、なんだ。

 じゃなくて、どうしてさみしくなってる?

 前は、もっとキツく言われた。はっきり「ことわる」って言われてるじゃないか。

 むしろ、この告白はふられてからが勝負だろ?


(“みっしょん”とハツ美のことばっかりで、ぼくは彼女を見ていなかった)


 きっと、どこかでゲームみたいに思っていたんだ。

 ラスボスを倒すことだけを考えるプレーヤーのように。


(認めるのが、こわいのか?)


 自分に問いかける。


(いつのまにか、ぼくはラス美さんを…………)


 ばん、と乱暴に部屋のドアがあけられた。


「こら! ごはん、さっさと片づけなよ。さもないと、私が食べちゃうよ?」


 双子の姉の存花そんかだ。

 今日もいつものように部屋着はホルスタインのがらで、いつものようにノックもしない。

 ベッドで上半身を起こす。


「……今日はいいよ」

「えっ?」

「いいから。出てってよ、姉ちゃん」


 しまった、と思ったがもう遅い。

 姉は昔からあま邪鬼じゃく。ぼくが言った言葉と、逆の行動をとりたがる。


「なに。なんかあった? ほらほら、お姉ちゃんに話してごらん」


 と、ベッドに座る姉。片手をついて、ぼくに体を近づけてくる。


「今日デートだったんじゃないの?」

「姉ちゃんもだろ」と、ぼくはそっけなく言い返す。

「そうだよ」


 ニコニコした顔を向けてくる。

 はやく、部屋から出てほしいのに。

 今のぼくは、姉ちゃんみたいにニコニコできない。


「すっっっごく、よかったなぁ。先輩、エスコートが上手でね」

「……うん」

「どこをとってもスマートなわけよ。わかる?」

「……」

「おまけに背が高くてかっこいいから、すれちがう女の子もチラチラ見てきちゃって」

「どうせぼくは、かっこよくないよ」

「そんなこと一言も言ってないじゃん。あー、でも楽しかったぁ。コクられたら、まじでやばかったね。ソンちゃんのほうはどうだった? うまくいったの? ねえねえ」と、存花ねえがぼくの肩をゆする。「3回目のデートで告白されるのがふつうっていうけどさぁ――」


「うるさいなッ‼」


 姉の手を、ふりはらう。

 大声の反動で、よけいに静かに感じる部屋の中。


「ソンちゃん……」


 はやく姉ちゃんにあやまれ、って心の声が言ってる。あやまったほうがラクになる。

 でも「ごめん」が意地をはって、ぼくの口から出ていこうとしない。

 姉がベッドから立ち上がった。

 仕返しにヘッドロックでもしてくれればよかったのに、そのまま部屋を出ていってしまう。


「バカ」


 ドアが閉まりきる寸前、あきれたように言ったのが聞こえた。


 ◆


 翌日の日曜日。

 足首まで雪に埋まるほど足場のわるい中、ぼくは外に出かけた。

 どんよりくもっているけど、今は雪はふっていない。


(このへんだったと思うけど)


 静かな住宅街。

 ぼくは記憶をたよりに、ハツ美の家をさがしていた。

 本当は、家でじっとしてる予定だった。

 でも気まずかったんだ。昨日の姉ちゃんのことがあって。


(一回ぐらいしか行ったことないからな……)


 家に招かれて、イチゴののったショートケーキを出してくれたことをおぼえている。

 が、当時小学三年生。場所の記憶はあいまいだ。


(誰かに聞いてみるか)


 そばにある家のインターホンを押すかちゅうちょしていると、雪をふみしめる音。

 誰かが歩いてくる。

 白いコートを着た女の人。スーパーの袋をさげている。


「あ、すみません」


 立ち止まってくれた。


「このあたりに『ながもり』っていう人の家があるか、以前あったとか、ご存じないですか?」

「キミ……」


 みられてる。

 めっちゃ、みられてる。

 近い近い。

 もう息がかかる距離だぞ。

 きれいな人だ。おばさんかと思ったけど、全然若い。黒髪のショートで。


「シラケンくんじゃない!」


 昨日の失恋のダメージが、ちょっとだけえた。

 美人のお姉さんに、胸をぎゅーっと押しつけられる熱烈なハグをされたから。

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