残り5日 ー 五時間目前~放課後 ー

 木曜日の五時間目は体育。

 その前の休み時間に、体育用具室に友だちとあつまって、おしゃべりするのがルーティンだったんだ。

 あいつが今みたいにとび箱の上に座り、みんなの司会をする。自由自在に話をフって。


「とんでもねーのが来たな……」


 まったくだ。

 これは彼女の奇襲か?

 しかし、わざわざぼくのもとに来ることになんのメリットがある?

 逃げこそすれ、追ってくるなんて……


「ふん。いろめき立つな。たいした用事ではない」


 足音を立てない不思議な歩き方で、堂々と接近してくる。

 ふわ、と彼女のいいにおいが届く距離まで、きた。


「唐突だが――わたしの主治医はこれを〈恍惚のバララプチャーローズ〉と呼んでいる。ふざけた名前だが、まあまあ気に入っていてな」

「え?」

「影響のおよぶ範囲は、約五メートル」


 なんの話ですか? と声に出そうとしたとき、


「……」

「おい! 大友おおとも!」


 親友のデカい体が、とび箱の上から前のめりに倒れた。あわてて下にもぐりこみ、両腕を回して抱きとめる。


「いって!」


 支えきれない。

 ぼくは大友の下敷きになる格好で、床に倒れた。


「すーっ……すーっ……」


 こいつ、寝てる?

 しかもこのニヤニヤした表情。寝入って、はやくも夢をみてるのか?


「な……ぁ? いいだろーぉ? すぅ……おれの妹のほーが……ラス美なんかより……すぴー」


 だいたいどんな夢なのかがわかるつぶやきだ。

 ちょうどそばにあったマットの上に寝かせる。


「わかったか? これがラプチャーローズだ」


 うわっ、とおどろくほどそばに彼女の顔。

 ぼくより背は低いはずなのに、奇妙な遠近感で、逆にこっちが向こうを見上げている。

 紺のセーラー服にグレーのスカーフ。

 もう息切れはしていないようだ。まばたき一つしないひとみが、至近距離でしっかりぼくをとらえている。圧倒的なプレッシャー。


(こ、こらえろッ!)


 ここでうしろにさがっちゃいけない。

 近寄りたいのは、ぼくのほうだったんだぞ? 願ってもないチャンスじゃないか。


「無理をするな」

「はい?」

ねむたければ、それにあらがうなと言っている」

「確かに食事のあとで眠くなる時間帯ですけど……」ぼくは首をふった。「ばっちりえてます」


 さて、どうすればいい?

 ここから、どういう行動をとるのがベストなんだ?


「えーと、あの」


 とりあえずアドリブでいくしかないか。


「聞いてくれました? きのうの校内放送……ですけど」

「……スピーカーのスイッチが手元にあれば、切っていたがな」

「〈特別教室〉にいたんですか?」


 言う必要はない――って返すんでしょ? と、ぼくはやりとりの先回りをしたが、


「そうだ」


 認めた……。予想外の返答。

 表情も、かぎりなく気のせいレベルではあるが、なんとなくやわらかい。

 笑ってないけど笑ってるような、友だちを前にしたときの顔――か?

 と、いきなりラス美さんの目が細められて、


「次は退学だ。容赦はしない」 


 冷たく言われてしまった。

 そうだよな。

 この人はラスボスのラス美だ。

 そんなにカンタンなわけがない。

 細められた目が、もとにもどる。


「体調はどうだ?」

「わるくはないですけど」

「そうではない。こう……睡魔に襲われている感じはないのかと尋ねている」

「意識は、はっきりしてますね」

「はっきりだと……。まさか性別をいつわっているのではないだろうな? その制服の下は、じつは女の体とか……」

「男です」

「バカな。ならば、どうして効かぬ。感覚が鈍いのか? こうすれば――」


 ただでさえ息がかかるほど近いのに、さらに寄ってきた。平然とした顔つきで。ぼくのほうが照れて恥ずかしくなってしまう。

 顔をそむけよう、とした刹那せつな


「いや~~~! 今日はいい日だ! これで晴れて、ソンタときょうだいだぜ! ほら、もっと飲んでくれよっ‼」


 がし、とあいつの手か足かどっちかが、ぼくのひざのうらにヒット。

 がくん、と斜め前にかたむくぼくの体。


「あ」


 それがふれ合った瞬間にお互い体を引き、先にそれをひらいたのはぼく。

 次に円堂先輩が、


「邪魔をしたな」


 平然とした様子でそう言って、クルリと回って用具室から出ていく。

 錯覚? まぼろし? 想像?

 あのやわらかい感触は。やけにリアルだったけど。


「ソンタぁ~、妹にしたんなら~、おれにもしてくれ~」


 いや、どんなシーンを夢見てるんだよおまえは。たのむからさっさと起きろ。

 大友をほっといてラス美さんをみる。

 遠ざかる後ろ姿。

 均整のとれた体形に、心をうばわれるほどきれいな、長い黒髪に浮かぶ七つの光る星。


「チュー‼」


 びくぅぅぅっ、と、彼女の背中が、あきらかにその言葉に反応した。


「……してくれよぅ、ムニャムニャ」


 まわりにひびくほどうるさい、いびきを立てはじめる大友。

 動かないラス美さんの背中。

 同じく、微動だにできないぼく。

 体育の先生が呼びにくるまで、ぼくたちの時間は止まっていた。

 授業開始のチャイムがいつ鳴ったのかさえ、わからなかった。


 ◆


「とりかえすべきですっ!」


 ぷんすか、という感じで両手をグーにしてふっている。


「そもそも、魂をこめたラブレターをもっていかれるなんて、こんなバカな話はないですよ!」

「いや風紀委員がね……」

「いやもカカシもありません!」


 放課後。

 食堂の、昨日と同じ席に座っている。ただし今日はパンケーキはナシ。

 ちなみに、大友はまだ眠りこけている。保健室のベッドを占領して。


(あのラプチャーローズっていうのが、みんながウワサしているラス美さんの〈結界〉の正体だったんだな)


 ひとつ、なぞが解けた。

 っていうか、大丈夫だろうな大友のヤツ。保健室の先生は「熟睡してるようにしか見えない」から安心しろとは言ってたけど。

 なぞが……いや微妙に解けていない。

 ぼくが生徒会室に突撃したときも、あの〈結界〉にやられている。

 なんで今日は――いや、〈特別教室〉で面と向かったときも、平気なんだ?

 メンエキができたのか?

 しかも、生徒会室のときは眠くなるとかいうより、一瞬でパッとブラックアウトしたような――


「聞いてます?」

「もちろん」

「じゃ、待っててくださいね」

「え、どこかに行くの?」


 ほら聞いてない、と後輩の一年女子の曳舟ひきふねさんは不満顔。

 立ち上がって、人差し指をつきつけながら言う。


「新しいのを書くんです。ラブレター。私の机にレターセットがあるので」

「ぼくも行くよ」と、立つ。

「いいですよ。すぐにもどって来ますから」うちに巻いた髪の毛先を指に巻きつけて、くるくる回している。「ほんとに」

「一人にしておけないんだ」


 生徒会や風紀委員に彼女が狙われるかもしれない。


「誤解しちゃいそうな甘々なセリフですね。でも先輩、女子とならんで歩くのって、よくないでしょ?」


 秒で説得された。

 確かに、そのとおりだ。

 ウワサっていうのは伝わるうちにどう変化へんげするかわからないし。

 それを考えたら、ここで二人でしゃべるっていうのも、あまりよくないのか。

 食堂に一人で残って、考える。

 もっと人目につかないところ――


「し、白石君!」


 知っている声。

 顔をあげると、長細い紙で顔をかくした女子。


「いや白石存太! 相変わらず、教養のなさそうな顔をして……」


 はは……と愛想笑いを返す。

 なんで小御門こみかどさんが。

 騎士ナイトはだいたい、放課後はラス美さんのそばをはなれないって聞くけど。

 剣道の〈面〉のように、顔の前の紙をぼくにふりおろす。

 座ったまま手をのばして、その紙を受け取った。


「たまにはそういう高尚なものでも鑑賞して、自分をみがかれてみては? もう、あまりにもあなたがアレだから、む……無視しておけません」


 はあ、と紙を確認する。

 チケット。クラシックのコンサートのチケットだ。上演は明後日あさっての土曜日。 


「私は飽きるほど堪能たんのうしておりますから、それは捨てるつもりです。もともと捨てるものを、差し上げようというのです。遠慮はいりません」

「いいんですか?」

「ええ。もし足を運ぶのなら、私がとなりで演奏内容をガイドしてあげても……いい……けど」


 ちら、とぼくのほうを見て、目が合うと背中を向けて小走りで行ってしまった。

 そこから秒針が一回りもしないうちに、


「おー!」

柏矢倉かしやぐらさん」

 肩をばしんとたたかれた。「カッシーって呼べっていったでしょ~? こりゃワンペナだね」学ランの胸ポケットに、丸めた紙を強引にねじこまれる。

「あの、これ……」

「私と超つまんねー映画をみにいくの刑。よろねー」


 と、黒髪ショートのギャルは手をひらひらふって消える。

 イヤな予感がした。

 そーっとポケットから抜いた紙をたしかめると、


(土曜日! しかも時間まで同じだッ!)


 二枚の紙をテーブルにならべる。

 こんなことってあるのか?


(これは雪がふるな――って、ふってるよ)


 非モテで、デート経験すらゼロのぼくからすれば、雪どころか猛吹雪の出来事。

 こっちは何ひとつしてないのに、あっというまにデートの二重約束ダブル・ブッキングになった。

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