残り5日 ー 朝~五時間目前 ー

 つもった、といえるか微妙なラインだ。

 道路の上にうすーく、白い膜をはっているような状態。ところどころ、泥で汚れた雪が固まりになっている。

 こんな光景、冬ならば不自然じゃない。

 今は夏。7月16日。


(吹雪になるまで、あとどれくらい猶予ゆうよがあるんだ……?)


 とうとう氷河期がくるぞとテレビやネットはパニックの一歩手前。いいえ何百年かに一度はこういう異常気象もあるんですよ、みたいに氷河期を否定する意見も日に日にへっている。

 歩きながら空を見上げる。

 雪が、まるでマリンスノーのように、ときどき上に浮きあがったりもしながらふわふわ落ちてくる。

 誰も想像できないだろう。

 この地球をすくおうとしているのが、学ラン姿で寒そうに登校している男子高校生だとは。傘もささずに。


「お? ソンタ……さては、あんま寝てねえな?」

「おまえこそ」


 ぼくたちは同時にあくびした。

 朝の教室。

 大友おおともの寝不足の理由はだいたいわかる。例の〈99の方法〉を考えていたんだろう。

 逆に、こいつには、ぼくが夜おそくまで寝られなかった理由はわからないはずだ。

 知ったら「なっ⁉」と目を丸くするだろう。


(読み返すのがおそろしい……。テンションにまかせた勢いだけの――)


 ラブレター。

 どこで目にしたのか――あらゆるラブレターは滑稽こっけいで、滑稽でなければラブレターではない――という文句。

 ぼくは胸をはって言える。

 これはラブレターだと。すなわちコッケイだと。


――内容はさておき、心をこめて丁寧な字で書くことです。短すぎず長すぎずで。


 と、そんなメッセージが昨夜、姉が部屋を出ていったあとで届いた。

 曳舟ひきふねさんからだった。

 ぼくはなるほどなー、と思いつつ、


(古風すぎないか?)


 とも、正直思った。

 よく考えたらあの子がしたことは〈同じ本をとろうとして手がふれあう〉とか〈ゼロ距離で下から見上げる〉とかで、最新のアイディアが〈ラブレター〉。

 もしかして、ただ恋愛あるあるに詳しいだけなんじゃないか?

 が、今のぼくには大事な存在だ。

 ちゃんと書いてきたよ、と彼女に送信した。


「あれ? ソンタが朝からスマホさわるのなんて、めずらしーよなー。雪でもふるんじゃね?」

「ふってるよ」


 くすっ、と近くの女子が笑った。

 さすがは、わがクラスのボケ担当。ぼくもツッコんだ甲斐かいがある。


「……ちょっとケイちゃん、笑っちゃダメだから……」

「……あ、うん……ごめん……」


 ささやき合う声が、しっかり聞こえてしまった。

 独裁的生徒会長、および泣く子もだまる風紀委員の連中に敵視されているぼくらは、いまやクラスの〈はれもの〉だ。


「へっ、笑うって体にいーんだぜ~? 遠慮なく笑いやがれってんだ!」


 なあソンタ、と丸刈り頭で強がるこいつに、たっぷりをとって、


「……そうだな」


 いやーんクールぅ、といつものリアクションの「い」を発音したタイミングで教室の引き戸が乱暴にひかれた。


「全員そのまま! 動くんじゃないよっ‼」


 鬼のツノ、ではない、あれはソフトモヒカン。

 セーラー服姿の岩男いわおさんだ。

 すっ、とうしろに学ランでリーゼントの早乙女さおとめさんもつづく。

 教室がどよめいた。

 風紀委員のツートップがそろって教室にあらわれるなんて、はじめてのことだ。そもそもあの二人が行動をともにしているところなんて、見たことがない。


(……)


 無言で、何人かがぼくを見ている。

 おまえのせいだぞ、という目線。


「持ち物検査だよ。検査は私たち風紀委員のほうでやる。おまえたちはじっとして、一ミリだって動かないことさ。いいね?」


 腕章をつけた委員の人が教室に入ってきて、テキパキとチェックをすすめる。

 しかし、あからさまに〈手抜き〉。仕事がはやすぎる。

 ぼくはやっと彼らの意図がわかった。


(あくまでも狙いはぼくと大友――そのほかは、検査のフリだけでいいってことか)


 ちら、と大友の目をうかがう。

 小さく首をふった。余裕の表情で。つまり、何もやましいものは持っていないということだろう。

 ぼくのほうは……


(ヤバい所持品といえば、ラブレターぐらいか。読まれたら恥をかくことにはなるけど、べつに大したことじゃないな)


 文面はともかく、物としてはただの筆記帳だ。

 没収とかにはならないはず。

 ひと安心だな。


「没収だよっ!」


 なんだと⁉ とぼくより早く大友が岩男さんに詰め寄る。


「ふん。紙のほうはともかく、この〈封筒〉は学業に必要ない。没収だ」 

「そんなの、おかしいだろ……っ!」


 大友のそでを強くひいた。

 やめろ、と目で合図をおくる。


「しかもシールで封をしてあるね。やむをえない。中身の紙ごともっていくよ。返してほしけりゃ、放課後に生徒指導室まできな」


 風紀委員の根城ねじろ――生徒指導室。

 なぞの悲鳴が中からきこえるというウワサがたつぐらい、ヤバい場所だ。

 くそっ。残念だが、あのラブレターはもう、あきらめたほうがいいな……。


「つくづくインケンだぜ! あんにゃろうたちはよぉ」


 しめられた引き戸を見ながら、聞こえよがしに言う大友。


「ま、あんなの気にせず、今日もおれたちはおれたちでがんばろーぜ!」


 ぐっ、と親指をたてて見せ、あいつは自分の席へ移動。

 そうだな。精神的なダメージを与えるのが彼らの意図だろうから、ヘコんでたら思うつぼだ。

 ひっぱりだされた机の中身が、あたりの床に散乱している。

 それをもどしていると――


(ん?)


 机の中の上側。手の甲があたった部分で、感触がちがうところがある。

 何か貼られている。

 四方、つるっとした部分はたぶんセロテープで、中心部分が紙。


(はは……どうせ机の説明書きとかだろ?)


 サイズとかを明記した、そんなやつ。

 カリッと爪でテープをはがし、一応確認した。


「えっ」


 思わず声をあげてしまった。が、幸い教室の喧騒けんそうにかき消されて誰にも気づかれてない……たぶん。

 写真だ。

 これはカラーコピーなのか?

 昨日の放課後、図書室の前で曳舟さんに〈ゼスイミ〉という不可解な技を仕掛けられたときだ。

 中心あたりにぼくの背中。すこしだけ横からのぞく曳舟さん。

 いやそれより……この手前にたつ人物。柱に背中をつけ、片手を口元にあてている女子は――


円堂えんどう羅須美らすみだッ!)


 あのとき、こんなに近くにいたのか。

 おどろいた。写真でも黒髪にきらめく七つの光点はしっかり写ってる。じゃなくて、


(表情。いつもポーカーフェイスのあの人が……こう、どことなく悲しそうな感じだな)


 まさか合成か?

 でもなんのために?

 ぺらっ、と裏返してみた。



  この表情をよく見よ

  おそらく嫉妬に近い感情が 彼女にあらわれているのだ


  ラスボスに一矢むくいたと いってもいいだろう

  君の努力は けっしてムダではなかった


  これからも 陰ながら応援している

  告白の成功を祈る   ――ラス美マニアより



 豆粒のような文字で、そう書かれていた。

 なんだこれ、このメッセージ。

 一時間目のチャイムが鳴った。

 がらり、とメガネをかけた女性の数学教師が入ってくる。いつだったか、あの先生ってクマミの十年後みたいだな、とふざけてあいつに言ったことがあった。


「えー……では……」


 と、いつもの細い声。聞こえません、って言いづらい繊細せんさいな先生なので、みんなこの授業のときはすごく静かになる。

 いてっ。なんかホコリが目に、


(白石ちゃん、もうアレ見たかな~?)


「えっ」


 静まり返った教室に、ぼくの素っ頓狂な声がひびいた。


「えっ」

「えっ」


 と、ぼくと先生で声のラリー。

 まさかこんなに早く、


(ど、ど、どうしたのっ、白石ちゃん! 連日の戦いでおつかれ? 大丈夫よ……大丈夫)  


 ひみつの写真をセットした人の、


(ラス美マニアは、あなたの味方ですからっ‼)


 正体がわかるなんて。


 ◆


 五時間目の前の休み時間。

 すでに体操服に着替え終わって、体育の授業がはじまるまで時間をつぶしている。

 体育館の中の用具室。

 とび箱の一番上にすわる大友。高さは八段。

 おしゃべりの内容は、もちろんラス美さん関係だ。


「ああいうのやってみろよソンタ。走れメロスみたいなヤツ」

「いやそれ……恋愛小説じゃないぞ」パパパッと高速で連想して、一歩あとずさってしまった。「おまえ、メロスと親友を恋仲だと思ってないだろうな?」

「いやいや、そうじゃなくてよぉ……告白の前に〈走る〉んだよ! 全力で! なんかグッとこねー?」

「そんなの意味ないだろ」


 がっしゃーん、と両開きの扉が左右いっせいにひらいた。


「んだよ、ずいぶんウルセーけかたしやが」


 大友がフリーズした。

 ひざのあたりをひじで小突こづいて、ぼくは声をかける。


「おい」

「ソンタ、あれ」大友が指をさす。


 そこには背筋を伸ばしたまま肩で息をしている、大急ぎで走ってここまで来た、という雰囲気の――


「貴様に用がある」


 円堂羅須美がいた。

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