残り6日 ー 放課後の食堂 ー

 毒もつかいようによっては薬になる。

 出会ったそばから〈毒〉だというのも彼女に気の毒な気もするが。

 とにかく、強い力を感じた。現状を打破できるヒントがあると思ったんだ。


「え、えーと……?」

「ぼくが食べようと思って買ったんですが、よかったらどうぞ」


 ずい、とパンケーキプレートを彼女の前にさしだす。


「ほんとに、よかったらですけど」

「この湯気、焼き立てのホカホカ具合……バターの香り」


 男嫌いの女子に告白して成功させなければいけない。さもなければ人類が絶滅。

 したがって今のぼくは、なんだってやる。

 買収だッ!

 パンケーキを食べてもらって、この子を味方につけるんだ!


「ほんとに。これもぼく用なんですが」

「ホットココアまで」


 つーっとお皿にのったカップを前にすべらせる。

 じろり、とアヤしい人をみる視線がぼくに。


「タダより高いものはありませんよね……何をたくらんでるんですか?」


 ほんの一瞬、クマミの顔がこの子に重なって見えた。あいつも同じようなことを言っていたからな。

 食堂の窓から外をみる。

 緑の葉をつけたイチョウの枝が、風にゆれている。


「あの、白石さん?」


 男子を「さん」づけで呼ぶなんてめずらしいなと思ったが、そうじゃなくて――


「もしかして、一年生?」

「そうです……けど」


 かすかに栗色をした髪は鎖骨ぐらいまでの長さ。毛先は内側に、半円をえがくように強めにカールしている。

 ぼくはさらに質問した。


「どうして、あんなマネをしようと思ったんですか?」

「あんなマネ?」

「同じ本をとろうとしてわざと手を当ててきたり、つまずいたフリをして、ぼくにしがみついたり……」


 はて、という表情で小首をかしげる。

 おそらくこれも、徹底的に計算された角度。この子がもっともキュートにうつる角度にちがいない。

 ぼくは〈心見こころみ〉した。


(そんなもん決まっとるやろ。ただの興味本位や。恋愛はゲームやで)


「なるほど」

「……なにが『なるほど』なんですか?」

「ゲームの相手に、ぼくを選んだのは?」


(はっ! オノレが生徒会長のケツを追い回しとるからや。そんなヤツをモノにできたら、ワシのほうが〈上〉っちゅうことになるやん? 女としての魅力が、あの極上のラス美はんよりももっと上になるっちゅー寸法すんぽうやで! くくっ)


「なるほどなるほど」

「いや白川さん……誰と会話してるんです? それに突然目をつむったりして」

「おかまいなく。ときどき片目だけ乾燥する体質なんですよ」

「はあ……それで、先ほどおっしゃっていたことは、なんなんですか? 先生になってくれ、っていうのは」

「言葉のとおりです」


 両目で、しっかりと彼女を見つめる。


「どうしても円堂えんどう先輩とつきあいたいんです。力をかして下さい」


 テーブルに鼻先がつくほど、ぼくは頭を下げた。

 あの人なにしてんの、と聞こえてくる。少し周囲がざわつきはじめたようだ。放課後の食堂は、カフェがわりに使用する生徒がわりと多い。


「ちょ、ちょっと! こまりますって!」


 彼女が立ち上がったのが、音の感じでわかる。


「パンケーキ」

「えっ」

「……食べて下さい。成功のあかつきには、もっといい、最高のデザートをおごりますから」


 あんまり目立てば、当然、ラス美さんたちに気づかれてしまう。

 是が非でも彼女を味方にひき入れたいが、どうしてもイヤだというのなら、あきらめるしかない。


「お願いします」


 これでまだ迷うそぶりを見せるようなら、撤退だ。

 しつこくしたら、この子に迷惑が――――


「おいしい!」


 パッ、と頭上から光がさした気がした。

 顔をあげると、ほほをほのかにピンクにした彼女が、パクリとフォークの先をくわえている。


「卑怯です……。お昼ごはんと晩ごはんの間の、絶妙におなかがいてるタイミングなのに」

「君っ」

「キミとかやめてくださいよぉ。私は」


 曳舟ひきふね静美しずみって言うんです、と胸に片手をあててフルネームをげた。


「い、いい名前ですね」 

「顔がひきつってますよ、先輩。ムリしなくていいです。エンギがわるいでしょ?」


 ぱくぱく、と、もうためらう様子もなく食べている。


「呼び方はお好きなように。あと、周囲に変な目で見られるので、下級生に敬語はやめてください」

「わかった」

「パンケーキよりおいしい最高のデザートも、ちゃんっっとおごってもらいますよ~? お店やメニューは私が選びますからねっ」

「約束するよ」

「それで、私は何をすればいいんですか?」

「恋愛のテクニックを教えてほしい。それも小手先の、じゃなく」ぼくは校舎の屋上の〈特別教室〉がある方角を見つめた。「星をも落とせる、一撃必殺の技を」


 ◆


 夕食のあと、すすす、と姉が部屋までついてきた。


「バカ」


 と、いきなり罵倒される。

 まあ座ってよ、とクッションをさしだすぼく。


「一年の子と放課後に食堂でツーショット。内巻きカールの妹系。すでに情報は耳に入ってるぞ」

「ちゃんと理由があるんだよ」


 どんなー? と言葉もなく腕を組み合わせるアクションだけで伝えてくる。

 これは、下手な答え方をしたら、ダメな空気だな。


「ぼくはラス美さんに告白して、オッケーをもらいたい」

「ふんふん」

「でも……ぼくはこんな感じだろ?」


 と、親指を自分に向ける。

 そんなことないよ、とか言ってなぐさめもせず、ここで深くうなずく存花そんかねえ

 正直なきょうだいを持って、ぼくは幸せだ。


「恋愛心理学みたいな知識もないと、とてもじゃないけど……」

「とてもじゃないね」

「だけど、ぼくには本を読んでそういうのを学んでいるゆとりがないんだ」

「え~⁉ あの人が卒業するまで、まだ半年はあるじゃんよ」


 それまでに吹雪になる――と、ここで口にしても仕方がない。

 そろそろ吹雪になりそう――という緊張感も、きっと姉ちゃんにはないんだから。

 横目でカレンダーを確認。本日は水曜日。うちの学校は週休二日制だから、明日と明後日をのがすと二日もラス美さんに会えなくなる。部活とかで学校に出てきてくれれば、チャンスもあるんだけど。


「とにかく時間がない。本を読むより、人から教わったほうが早いと思ったんだ」

「あの一年の女の子に?」


 なぜか頬杖ほおづえをついて、不機嫌そうだ。


「なんで私じゃないのよ」ぷぅ、とほっぺがふくらんだ。

「いや……姉ちゃん、今まで彼氏ができたことないよね?」


 言ったなー! と襲いかかってくる。

 やわらかい腕が首にかかって、ヘッドロックの体勢。


「あのねー! こう見えても私モッテモテなのよ? ソンちゃんがさみしーーーい思いをしないように、ジチョウしてるだけなんだからねっ!」

「はい……」

「三年で一番かっこいい、真壁まかべっていう先輩が私に興味があるみたいってウワサだってあるの!」

「はい……」

「コクられたらつきあうよ? ソンちゃんをおいて遠いところに行っちゃうよ? それでもいいの?」


 姉ちゃんが誰かの恋人になる。

 それは、いつか必ずあることだ。

 必ず、って断言できる。弟からの評価っていうのを差し引いても、とっても魅力が――


「もう」


 ロックがはずれた。

 姉がホルスタインがらの部屋着の乱れをととのえて、座り直す。


「じゃあ先生の件は許してあげるとして……コロッといかないようにしなさいよ?」

「コロッ?」

「その一年の子にホれちゃわないように、ってこと。いーい?」


 前かがみになって、胸の谷間がみえた。

 そのままぼくの頭を上からおさえつけて、よっ、と立ち上がる。


「ソンちゃん、ほんま気ぃつけてや」

「なんで関西弁?」

「あ」


 口元にひらいたパーの手をあてる。

 カーテンの隙間からちょっとだけのぞく窓の外。

 雪がふっていた。

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