残り7日 ー 幼なじみの家 ー
全力で走って、ころんだ。
地面にアゴをつけると、視界ってこんなに低くなるんだな……。急に思い出した。幼稚園のとき、かけっこで転倒したことを。あいつに手をひっぱって、助け起こしてもらったことを。
(クマミ)
幸運にも、大きなケガはない。足をちょっとすりむいただけだ。
全然問題ない。走れるぞ。まだ――
(間に合えッ!)
ちょうど進行方向に赤い
幼なじみに、会うために。
荷物はぜんぶ学校に置いたままだ。あいつが転校って聞いてすぐに猛ダッシュで学校を出たから、そんなことを気にする余裕はなかった。
(……)
ここだ。
あたりは静かな住宅街で、ぼくの乱れた呼吸の音だけしか聞こえない。白い息が顔にまとわりつく。
くっ。
なんだよこれ……なんで不動産会社の紙が、入り口の柵や、玄関のドアに貼ってあるんだよ。
「ほーら、やっぱり」
「クマミ!」
声のした方向をみると、ブロック塀の一番上に座って足をぶらーんとさせていた。
冬服の制服の上に、白いダッフルコートを着ている。
「たーちゃんだったら、来てくれると思ったよ」
「いやそこ、人の家だぞ。おりろって」
たん、と着地して「そこももう、私のおうちじゃないしね」と、貼り紙のついた家を指さした。
すたすたと歩いてくる。にこにこと笑いながら。
「あの……」
かける言葉がみつからない。
「元気でな」っていうのも、なんか他人行儀じゃないか。
「どうして、だまってたんだよ」って問いつめるのも、ちがう。クマミにはクマミの事情があったんだろう。
いつものような、おしゃべりができればいい。
「おっ、ダッフルコート出したんだな」
一瞬、表現しようのない複雑な表情をクマミが浮かべた。
それはほんとに一瞬だけ。
そしていつものニコッとした顔にもどって、
「うん。寒くなったから」
「ぼくが言ったとおりだろ? 日に日に寒くなってる。ウソでもなんでもなく、本当に吹雪になるんだ」
「ああ、そういう設定だっけ」
「設定とかいうなよ」
クマミが勝手知ったるという感じで柵をあけ、ぼくたちは玄関前のステップに腰をおろした。
今の言葉の意味に、おくれて気がつく。
「あのな、ラス美さんに告白したいから吹雪がどうこうとか言ったんじゃないんだぞ?」
「わーかってますってー」
ちょいちょい、と手先をおじぎのように動かす。
夕陽が雲にかくれた。
会話が途切れてしまった。……このタイミングで「ラス美さん」の名前は出すべきじゃなかったな。デリカシーのないぼくだ。
クマミはうつむいて、コートのボタンをさわっている。
「わるかったな」
「えっ」
「ちぎっちゃったことあっただろ、そのボタン。中学のとき」
「おぼえてるんだ」
「ぼくの服にひっかかかって、とれたんだよな」
「どうしてそうなったのか、わかる?」
「卒業式の前日とかで……」
「あ、やっぱりいいよ、思い出さなくても」
「クマミが体のバランスをくずして、ぼくにしがみついてきて――」
「あー! いいって言ってるのにっ!」
ワイパーのようにいそがしく右手をふっている。
じゃあ、この話題はやめよう。
べつの話を、と思っていたら、
「これ」
唐突に何かをさし出された。
写真だ。
ちょうど夕陽が雲間からでて、手元が照らされる。
えっ!
これは……まさか……一枚も存在しないと思ってたのに。
「うそだろ。写ってるこの女の子は――」
「ハツ美ちゃんなのです」と言って、にーっ、と口角をあげる満面の笑み。かと思うと「ご、ごめん。もう限界みたい。たーちゃん……そっち、向いてくれる?」
写真を手にもったまま、ぼくはおしりをあげて体の角度をかえた。クマミに背中を向けるようにして。
幼なじみだからわかっていた。
こいつにしたら、がんばったほうだ。
さっきからずっとガマンしてたもんな。
ぐすっ、ぐすっ、と泣いている声。
途切れがちに、クマミが言う。
「むかし……えっと……小学三年生のとき……子ども用の携帯で撮ってたのを思い出して……プリントアウトしてきたよ」
「どうして」
「必要だと思ったから……なのです」
「必要?」
「確証はないけど、ほんっとーに、なんの証拠もないけど、ハツ美ちゃんはラス美さんだと思うのです」
びりりっ、と体にかるい電気が走った気がした。
ぼくの初恋の人が、あのラス美? そんなばかな。
男嫌いな性格はさておくとしても、学年がちがうじゃないか。ハツ美とは同学年だぞ。家は近いのに学校はちがったけど……彼女の家が学区の境い目のむこうだったとかで。
「応援してる。がんばってね」
立って、顔をぼくのほうに向けないまま、小走りで柵をこえて出ていく。
「待ってくれ!」
クマミの後ろ姿を呼び止めた。
夕陽が正面にあって、ぼくの足は彼女の長い影をふんでいる。
「言われたとおり、待つのです」
「こっちに向いてくれ」
「いや、それは上書きされちゃうので……」
?
「た……たーちゃんには、さっきの笑顔をセーブしといてほしいから」
「クマミ」
「……こんなクチャクチャなお顔では、ちょっと。鼻水だって出てますし」
「そんなの気にするかよ」
「じゃあ、まず、たーちゃんが後ろ向いて?」
ふりかえるとすぐ、地面のぼくの影に、たたた、とクマミの影がやってきてくっついた。
ささやくように、ぼくに言う。
「もし、吹雪になったら……それってたーちゃんのせい?」
「ああ」
「
「待ってる。そのときは、いっしょに氷
ぼくの左右にまわったクマミの細い腕に、気持ち、ぎゅっと力が入った。
背中のこの感触は、たぶんあいつのおでこ。
「バイバイ……たーちゃん」
ぼくは「バイバイ」を返せなかった。
ふと気がつくと、腕やおでこで触っている感じを残したまま、クマミの姿は消えていた。
ぼくは、ため息をつく。
まったく、最後の最後まで隠れるのがうまいヤツだ。
でも助かったよ。
もし今あらわれたら――
(……)
このブザマな泣き顔が、あいつに上書きされるからな。
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