残り13日 ー 昼休み~放課後 ー

 とんでもないことになってきた。

 グラデーションのように、刻一刻、じわじわと危険度が増している。

 とりあえず、このピンチをなんとかしないと。

 じゃー、ととなりで水を流す音。

 ここはトイレの個室。

 ヤバいことに、〈女子トイレの〉個室だ。


(なんでぼくが女子に……小御門こみかどさんに変身してるんだよ!)


 このまま教室にもどるわけにはいかないし、校内をうろうろすれば〈本人〉とバッティングしてしまう可能性があるので、ここに逃げこんだのはやむをえない決断だった。けっして下心からではない。

 いったん落ちつこう。

 スマホの画面に反射した自分を確認。

 二重まぶたに、長いまつ毛に、ほほ笑みがよく似合う口元。

 ゆるーくウェーブした髪が耳、肩、鎖骨などにふれていて、少しくすぐったい。髪が長いとこういう感覚なのか。まてよ……髪はもっと下のほうまで……体の正面にある、もっともふくらんでいる部分まで……


(いやいやいや)


 そんな展開してる場合じゃないよ。

 さいわい、誰の視線もない個室とはいえ。

 と、そこから目をそらすと、こんどはスカートから露出した足が目にはいる。

 どうすりゃいいんだ。

 立ち上がった。

 そこで違和感。

 スカートが、思ったような動きをしなかった。こう……風にひらめく感じがなくて、体にベタっとひっついてたような。


(もしかして)


 ぼくは思いきってふとももにさわった。だがこの感触は、


はだじゃない、ズボンだ。制服のズボン)


 次は顔にさわる。手の感触が、実際の顔の凹凸おうとつと微妙にズレている。次は胸。やはり、ぺったんこだ。


(〈ぼく〉の体の上から〈小御門さん〉の絵をかぶせてるみたいだ)


 目をつむる。

 そして例のフォルダをひらいた。

 やっぱりこれはちから。“みっしょん”をクリアするために与えられた力だ。

映身うつしみ〉というらしい。

 えーと、じゃあ、これを解除する方法は、っと。ん? こんな簡単な方法でいいのか。


「白石存太!」


 しゅっ、と一瞬でもとの姿に。

 こうなると、ここにいるのは女子トイレに侵入している男子で、一層ヤバい状況になった。


(誰かに変身するときは――心の中で名前のあとに「チェンジ!」か。とりあえず)


 白石存花そんか

 双子の姉の姿になった。


「ふう……」


 まったく、ヘンな汗をかいたよ。やっとトイレから出られたぞ。

 五時間目のチャイムが鳴った。

 急いで教室に――いや、


(のんびり授業を受けてる場合じゃない。地球の滅亡がかかってるんだからな)


 見た目が姉ちゃんのまま、ぼくの足は教室と逆方向に向いた。


 ◆


 この学校独自のシステムだと思う。

 三年生は受験に専念するため、教室を一年と二年からはなれたところに配置しているという。

 すなわち、ぼくたちとは校舎がべつだ。

 同時に千人が食事できる巨大な食堂を横切り、広い中庭の向こうにある灰色の建物を見上げる。


円堂えんどう先輩って何組だろう)


 それすらわかってないからな。誰も教えてくれないから。

 ササッと移動し、建物の手前にある植え込みに身をかくす。

 どうする?

 ここでマゴマゴしてても一歩もすすめない。

 知っている三年生に〈映身うつしみ〉して――


「キミ、サボり?」


 ふぁっ⁉ と一瞬パニックになった。

 植え込みの向こうからだ。

 枝と葉っぱごしに、誰かいる。


「三年……じゃないなぁ。オレはカワイイ子はみんなチェックしてるからね」

「は、はあ」

「たまには下級生もチェックしないとだな。キミみたいな子もいるんだから」


 話している感じ、どうやら先生ではないようだ。


「なにしてんの? こんなトコで。二年? 名前は?」


 まずい。

 変身を解除するにもタイミングを失った。

 もう、このまま姉ちゃんで行くしかない。


「白石です」声もちゃんと姉のものになっている。「えっと……ご存じかとは思いますが、ラス美さんに告白しようとした男子の姉なんです」

「ほう」

「それでですね、身内として気になったというか、とにかく一目、あの人を見たいと思いまして」

「授業を脱け出して?」

 授業を脱け出して、とうなずきながら彼の言葉をくり返した。

 そこで、


「そっちにいっていい?」


 と、ドキっとする一言。おい……このちからって、まさか心まで本人に〈寄る〉なんてこと、ないだろうな。どうして男子のぼくが、男子のセリフに緊張するんだよ。


「家族おもいなんだね。いい子だなぁ」


 にっ、と笑ったその顔は、完璧なイケメン。身長は175ぐらいのスラリとした長身。

 ぼくの横にあぐらをかいて座る。ぼくもあぐらだ。


「いいね。その座り方」


 なにがだよ、と心でツッコミ。


「男を前にしてもそれぐらいリラックスしてくれるのって、なんかうれしいよ」と、彼は夏の青空を見上げる。来週には雪さえ降りかねない、夏の空を。「じつはさ……オレも似たようなもんなんだよね」

「えっ」

「授業サボって、どういうヤツか見に行こうと思ってたんだ」

「白石そ……弟を?」


 あぶないッ!

 会話の中でも「白石存太」と口にしたら変身が解けてしまう。

 あと二文字。ギリだったな。


「キミにあえたのも何かのエンだよね。ライン教えてよ」


 手、早っ。

 この人はイケメンでコミュりょくもあって、そうとうなようキャなんだろうな。

 しゃっ、と前髪をかきあげて、顔の角度をきめて、きりっ、としたまなざしを向けてくる。

 ふつうの女子なら「はい!」とソッコーで教えるの、不可避だな。

 だが残念ながら、ぼくは男子だ。


「あ……大丈夫です」

「大丈夫?」

「スマホ禁止されてて、持ってないんで」

「メアドでもいいんだけど」

「それもないです」

「ほんとに? うーん」


 そうか残念だな、とあきらめてくれた。この引き際のよさも、きっとモテる男の条件の一つだ。


「し、失礼します」


 もはやここにいてもダメだと思い、退散をきめた。


「待って!」


 追いかけられた。

 そしてうしろから手をつかまれ、


(こいつ、何を――)


 反射的にふりほどこうとしたら、ぽいっ、と何かを手のひらの中に入れられた。

 丸められた紙。生徒手帳のページを破いたっぽい。


「そこにオレの連絡先を書いといたからさ、つごうのいいときに連絡してよ」


 なんと強引な。

 はたして信用して……


(!)


 簡単な方法があった。とても簡単で、こうやって片目をつむるだけ。

 そしたら、ぼくの顔をみた彼も、ウインクを返してきた。無邪気な笑顔とともに。

 これは……。

 もしかしたらぼくは、姉ちゃんにとんでもない〈火の粉〉を飛ばしてしまったかもしれない。

 灰色の建物をバックにさわやかな表情の男子。その斜め上に、


(かわいい……家族おもいなとこも、マイペースなとこも、初対面の男子にガードがかたいところもイイ……まじでオレ、一目ぼれしたかも)


 と、心の声がはっきり見えた。


 ◆


 放課後になった。

 授業終了のチャイムと同時に、ぼくは包囲される。


「話がある。我々についてこい」


 問答無用。

 その一言だけでこっちの意思なんか関係なく、教室を引き出され、無理やり歩かされた。


「いてっ!」


 床につき倒される。

 暗い部屋だ。中央に玉座のように、椅子がポツンとあって誰かが座っている。


「きたきた」


 うれしそうなトーンで言いながら足を組みかえた。


「白石存太だね……生徒会長に告白しようとした男。あれ? あのときはカッコよく見えたけど、よく見たらフツメンじゃん。がっかり~」

「……誰ですか」

「私? おぼえてないのぉ? あの場にいたじゃん」


 しゅっしゅっ、と両手をつきだす仕草をする。


「あの場……」

「そう」


 背もたれに深く腰掛けて、彼女はこう言った。


「ラス美さまの〈騎士ナイト〉やってるんだけどさ、面白そーだからアンタに協力してあげるっ」

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