第39話 以心伝心

 おわった。

 女子にこくられた。

 もう明日はこない。また高校三年生の一学期の最初からやりなおしだ。


「そ、それって……告白? おれに?」

「はい」末松すえまつさんの顔は真剣だ。「好きなんです、白川君のことが」


 ちからが抜ける。ひざから落ちた。ひざが地面の水たまりにあたって、飛沫しぶきがあがった。

 おれは……おれなりにずっと前向きにがんばってきた。

 なるべく弱音も吐かないようにした。

 クサってもいいことなんか一つもないからだ。

 ましてやこの状況。

 あきらめたら試合終了――なんかじゃなくて、ずっと試合が終わらない。

 考えたら、これってけっこうキツい。キツいんだよ。ほんとに……


「だ、大丈夫です?」


 心配そうな末松さんの声。

 おれは今ひざで立っているから、目線の高さは彼女の胸あたり。すこし上に角度をあげると、


「なんか……ごめんなさい。ショック……でしたか? いきなりの告白で」


 目が合った。見下ろす彼女ごしに赤い傘と、その骨組み。


「いや、おれのほうこそ、心配させてごめん」ぐっ、とエネルギーをふりしぼって立ち上がる。「もう大丈夫だから」


 大丈夫じゃないけどな。

 サイアクの展開だ。

 もしかして、あの〈女の人〉はこうなることを見越して、新しいルールを追加したのか?

 でもなんのために?

 おれを〈高校三年生の一年間〉にとじこめることに、いったいどんな意味があるんだよ。

 そもそも告白に成功しないと卒業できません、って何?

 くそ……こんなふざけたゲームに、負けてたまるか。

 胸の真ん中あたりが熱くなってくるのを感じる。

 もうちょっと、がんばってみるか。


(あれ?)


 様子がおかしい。

 一回目のソア――のときはよくわからなかったけど、二回目、三回目の告白に失敗したときみたいにならない。卒業式の日まで、飛ばない。


「あの……そんなに長く見つめ……ます?」


 いつくるいつくる、と身がまえていたおれは彼女の顔を見たまま、かたまっていたようだ。

 視線を斜め下に落として彼女は言う。


「えーとですね、返事はまた……明日とかでいいので」


 ぺこっ、と頭をさげると、末松さんは雨の中を走っていった。学校のほうへ。

 おれは家にかえる。

 帰り道でずっと考えていた。


(どうして前のときみたいにならない?)


 末松さんは「つきあって」と言ったし「好き」とも言った。

 これ以上はっきりした愛の告白はないだろう。

 誰かに告白された――すなわち、卒業できないとみなされるはずなのに。

 夕食のあとも、部屋でずっと考えている。


(時間がジャンプしてないだけで、卒業式のあとにまた始業式からやりなおしになるのか? いや、だったらどうして今まではジャンプしてたんだよ……)


 よく考えろ。彼女なら――深森ふかもりさんなら、きっとここはスルーしない。

 必ず理由はある。

 真っ黒なスマホの画面が、ぱっ、と光った。

 椅子に座ったまま手をのばして、机の上のそれをとる。

 電話だ。


「女子から告白されて、うれしすぎてひざが抜けたか?」


 おい。

 なんで知ってるんだよ、そのことを。

 だが正直、今はべつのことで頭がいそがしい。


「抜けたよ」と、おれは適当に相槌をうった。「なんの用だ、美女木びじょぎ

「ごあいさつだな~」

 バラバラバラ、と声といっしょにきこえる雑音。雨の音か? なんで外からかけてるんだよ。

「白川よぉ……おまえってやっぱり、なんかオトナな感じがするぜ。さっきのだって、キレてもおかしくないトコだからな。なんでそれ知ってんだよーっ⁉ ってさ」

「末松さんから聞いたのか」

 だ! とあいつは一音のみで応答。おうちゃくなヤツ。

「イトコだしな、まあ、こんなのは日常会話の範囲よ」

「ああ」

「でも、アキがおまえに告白したってのは正直おどろいたぜ。まじで」 

 ああ、とつづけて生返事するおれ。

 電話魔……とかじゃなかったはずだけどな、こいつは。

 彼女と情報交換したのはわかった。ちょっと口が軽いなとは思うけど、どうでもいいことだ。おれは気にしない。

「わるい、美女木。宿題があるんだ」

 もう切っていいか、とにおわせる。

 バラバラ、と大雨の音だけになった。だからなんで外なんだよ。家か、せめて建物の中に入れよ。


「おれは」


 気持ち、美女木の声がかわった。


「アキを裏切るようなことはしたくねー。と言って、おまえも裏切りたくねー。おまえとはさ……うまく言えねーけど、すげーながくつきあってるような気がするんだ」

 たしかにな……と、ひそかに同意。

「あー、あの、な……アキのことじゃねーぞ? そう思ってきいてくれ。最近、とある女子のグループでさ、告白のタイムアタックみたいなのが流行ってるみてーでな」

 室内が真っ白にフラッシュ。

 三秒後、カミナリが落ちた。

「それはほんとに感情抜きの、ただのゲームなんだ。本気じゃねー。ただ、告られた――ああ、これもおまえのことじゃないぞ?」

「わかってる」

「告られたほうは本気になる。そりゃ、当たり前だ。だからストーカーっぽくならねーような、おとなしめの男子だけをターゲットにしてるとかなんとか……」

 美女木の言葉の最後のほうは聞き取れない感じでフェードアウトしてしまい、通話は向こうから切った。

 ……なるほどな。


 ◆


「なるほどね」


 と、腕を組んだ深森さん。サングラスのような黒いレンズのメガネを敬礼の手つきでさわる。


「私が把握している彼女の性格とも一致する。たぶん、それは事実」


 ゾクっときた。

 把握って……ほかのクラスメイトからは、クラスをまとめる真面目な女子の級長にしか見えてないと思うけど。

 どこまで〈見えて〉るんだ?


「まとめましょう。告白に失敗したら――」


 人差し指の先をおれに向ける。


「卒業式の日まで飛ぶんだ。で、校門を出たところで体が逆向きになって、始業式の日になる」

「よろしい」ふたたび腕を組む。「告白に失敗したけど、そうならなかったときは?」

「はっきりとした理由はわからないけど……」

 おれはありのままを伝えた。文芸部二年のリンちゃんに告白(を冗談で)したこと。そして――


「わ、私にも、し、したのっ!」


 思わぬヒット。

 めちゃめちゃ動揺している。

 早歩きで、右、左とみじかい距離を何回も往復。

 彼女の体がぬれないように、おれは傘を持つ手をのばす。

 ごつん、と彼女の傘とぶつかった。

 今日も大雨だ。

 昼休み。

 おれたちは運動場のはしっこに立っていた。二人とも傘をさして、適度な距離をとって。

 教室とかだと目立つから、という理由でこんな場所なんだが、これはこれで目立つ気もする。

 にぎりこぶしを口元でつくって、こほん、と一回。ようやく気を取り直したらしい。


「それで――もちろんことわったんでしょうね。その世界の私は」

「ことわったよ」


 レンズの向こうの目は読めない。

 でも、なんか少しうつむいて……がっかりっていう表情のような。


「グッジョブ」


 全然がっかりじゃなかった。顔をあげ、力強く立てられた親指。

 ていうか、どっちに言ってるんだよ。おれか? それとも過去の自分?


「つまり〈心がこもってない〉っていう点がキーなのね。そう考えれば、昨日の放課後、彼女から告白されたあなたがまだこの世界にいる理由の説明がつく」

「そうだね」

「あほ。白川君はあほ。すくいようのないあほ」

 

 三連さんれん

 なかなか、こんなコンボは味わえないぞ。


「ガードがゆるゆるだからそんなことになるの。ちゃんと警告もしてあげたのに」また腕を組む。傘のを、胸の間に抱きこむようにして。「でも、今回は知識に助けられたようね」

「知識?」

「恋愛を有利にすすめるテクニックみたいなことよ。誰かに、そういうのを教えてもらったんでしょ? 白川君はそういうテクニックを前もって知っていたから、ある意味それが防御の役目を果たしたってわけ」


 そうか。

 それで……おれは末松さんを好きになりすぎなかったのか。

 昨日の電話ともども、美女木にはほんと感謝しかないな。


「言うまでもないけど、まちがえても告白はオーケーしないこと。いい?」 

「そうだよな……」

「『もしかしたら』とか考えない」おれのひざに蹴りが入った。地面の水鏡みずかがみに深森さんのふとももが反射する。「『もしか』しないから。ウソの告白なんか、いくらだってできる。女子の世界はね、見えている部分がすべてじゃないの。もっと奥が深くて複雑で……」

「ねえ……二人でなんの話?」


「わっ!」


 同時に口にして同時に傘を落とした。おれも深森さんも。

 目の前に、ベージュの傘をさしたソア。そのうしろにはバカみたいに広い無人の運動場。

 とっさにアイコンタクト。

 ごまかせ、という意見で一致。


「白川君とは」さささ、とおれと距離をとる。「おしゃべりしてただけ」

「こんなとこで? 教室でよくない?」

「雨の音が……落ちつくから……」

 しっとりと詩人のように言った深森さん。いや、そんな理由でごまかせる?

「告白っていうのは何? 誰のこと?」

 うおっ。

 おれたちの話を聞かれてるみたいだぞ。どうする?

「ウワサをたしかめようと思って」

 おれに指をさす。

「白川君に告白すれば、いかなる恋愛も成就するっていうウワサ」

 いくらなんでも無理があるだろ。深森さん――ごまかす気があるのか? それとも、たんにウソが下手なのか?

 へー、とまじまじとおれを見るソア。


「ほんとかなー?」


 そんなワケないだろ。


「じゃあ……ひとつ、わたしもためしてみるとしますか」


 ん?

 妙な雲行きになったな。

 ソアがおれに告白?

 まあ、もちろんシャレだろうけど……。


「好き。ずっと好きだったよ。わたしと、つきあってくださいっ!」


 両手を胸にあてて、不自然なセリフ口調。へたな演技のような。

 でも不思議とクリアに聞こえたな。

 会話を邪魔するほどの大雨なのに。

 どしゃぶりだったのに。


(冗談――じゃないのか? これは!)


 おれは傘を捨てて、空を見上げた。

 雨のつぶが全部、空中で静止していた。

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