第38話 猪突猛進

 放課後も大雨。朝から、というか数日前からずっとふりつづいている気がする。

 また明日な、と言って黒磯くろいそが教室を出ていく。そのとなりには幼なじみのソア。今日は、文芸部のほうに顔を出すつもりらしい。おれと目が合うと、


(じゃあコクちゃんも気をつけて帰ってね)


 という表情をつくった。

 おれ以外には、クラスの集合写真のときみたいな顔にしか見えないだろう。

 なかなか器用な顔芸といえる。

 すっ、とあいつは廊下の向こうに姿を消した。

 ん?

 そもそも、なんでこんなことがわかるんだ?

 なんでこんなキャッチボールができる?

 つきあいが長いからか……つまり、ずっといっしょだったから……


「あなたは、女を見る目がない」


 ないないない……と、頭の中で語尾にエコーがかかる。

 油断していたところに、いきなり異性に言われたくないセリフの上位を浴びせられた。

 クラっときたぜ。

 冗談だろ。


「え?」おれは体をひねって、うしろの席に向いた。「おれのこと?」

「ほかに誰がいるの」

 深森ふかもりさんは、どこか不機嫌だ。

「そろそろ、あの人に鼻の下を伸ばすのはやめなさい。本来、あなたの人生だから口を出すことじゃないけど、あなたのループは私にも影響してるんだから」


 だまってられないのよ、と組み合わせた手にあごをのせて言う。

 まるでボス……ボスだ……この風格。そして圧力。

 あの人、っていうのは末松すえまつさんのことだろう。

 彼女の言いぶんの、うしろ半分はもっともだ。

 この世界で唯一、おれのこの異常な状況を知っているのは深森さん。

 あくまでも一部分だけだが、ループする前に実際に起こったワンシーンが〈見える〉らしい。

 それは、


・カミナリにおどろいておれに抱きついたシーン

・苦手な犬に追いかけまわされたシーン

・渡り廊下でおれと――


 無意識に、彼女のくちびるに注目していた。雨で湿度が高いせいか、しっとりとしている。

「あほ」

 丸めたプリントで頭をたたかれた。ぽふ、というやさしい音が鳴る。

「でも白川君にとってラッキーなのは事実ね」

「卒業できるから?」

「そう、それ」深くうなずく。「告白してオーケーをとるだけなら、もうそんなにむずかしくないはず。でも問題はそのあと。たぶん、そのルートにすすむと誰も幸せにならない」


 言い切ると、つつつ、と深森さんが顔の角度をかえた。

 ちょんちょん、と自分のメガネを指さす。

 そこに映っているのは……


末松すえまつさんだ。座ったままふりかえって、こっちをしっかり見てる)


 顔の角度をもどすと、


「これから教室をでたら、あの人はあなたに声をかける。そこにまちがいが〈三つ〉あるの。こんなのは自力で見抜けないとダメ。私にこういうヒントをもらっている時点で、かなり情けないんだと自覚して」


 ぱしーん、とさっきのプリントがいつのまにかハリセンになっていた。ひたいにヒットする。

「ほら、もう行って」

「あ、ああ……」

 急かされて、おれは席を立った。

 そこで、うしろの黒板が目に入った。近々おこなわれる、クラス対抗の球技大会についての説明が書かれている。種目とルールとメンバーの一覧。

 ルール? そういえば……

「深森さん」

「何」と、こっちを見ずに返事だけ。 

「言い忘れてたんだけど、この前、ひとつルールが追加されたんだ」

「何……」と、ゆっくり黒いメガネがこっちに向く。

「誰かに告白されても卒業できなくて、また高三をやりなおすことになるみたいなんだ」

 聞こえたとは思うが、反応はない。

 ?

 はは……あなたが告白されるとかありえない、とか思われてるのかもな。


「じゃあ、また明日」


 と言ってもやはり反応ナシ。

 教室のすみにある傘立てから自分のを取って、下校だ。

 予想は的中。


「ちょっと待って! 白川君!」


 玄関ホールで声をかけられた。

 床は全面大理石で天井は高い。高級感がある空間だ。


「今日部活が休みで……よかったら、いっしょに帰りません?」


 ちょっと前かがみになって、はーはー、と肩で息をしながら言う。片手で胸をおさえて。

 たぶん深森さんはこの誘いを予想し、おれにことわってほしかったんだと思う。 

 だが実際問題、「いっしょに帰ろう」と言ってきた女子に対して「ことわる」って言うのは、よっぽどハートが強くないとできない。


「いいですよ」

「やった」


 小さくガッツポーズした末松さん。髪は一糸みだれずピンでまとめられていて、もちろんおでこも出している。

 そこで気になった。

 手に、スクールバッグしか持っていないことに。


「助かりましたー。これで、ぬれずにすみます」


 どうやら傘を誰かに持っていかれてしまったらしい。

 ひどいな。そんなどろぼうみたいなことするヤツが、あのクラスにいたのか?

 じゃあおれの傘に入って……

 まてよ。まてまて……

 ということは――


相合あいあい傘!)


 キタコレ、じゃない。

 急接近――しすぎじゃないか?

 なんなら、そのまま帰り道で彼女が告白って可能性もある。ゼロじゃない。


「いきましょうか」


 手をとられた。傘を持たないほうの、左手を。

 もう完全に彼女のペースだ。

 と、


「待って」


 小さい「っ」がぎりぎり聞き取れる早口。ほとんど命令形の言葉。この声は。

 一階と二階をつなぐ幅の広いカーブした階段。その手すりに手をかけて、じろりとこっちを見る彼女。


「大目に見ようかと思ってたんだけど、ほんと……いつからこんな世話焼きになったのかしら」カツ、カツ、と足音を立ててゆっくりとおりてくる。おれたちのほかにも生徒はあたりにたくさんいて、かなりの視線を集めている。「今からでも部活には間に合うはずよ」

 部活?

 休みって言ってたけど……

「あらら」と末松さんがおでこに手をやっている。「バレたんです? よくごぞんじですね、じょバスの活動日なんかを」

「あとこれ」さっ、と背中から前に回したのは、傘。赤い色で、おそらく女物だ。「お忘れ」

 あー、と近寄っていく末松さん。計画をあきらめたのか、おれから手をはなした。

「できれば私の見えないところでやってほしいんだけど。あなたのお遊び・・・は」

 あはは、と弱々しい微笑。あきらかに彼女が劣勢。

 これだったのか。

 さっき深森さんが言っていた〈三つのまちがい〉っていうのは。

「まいりましたねー」照れたように言う末松さん。「じゃあ部活してこっかなー」

 散った。

 確実に火花が散った。おれには見えたぞ。

 傘を受け取る一瞬、見つめ合った二人の中間地点にバチっとしたものが。


「無視するつもりだったんだけど、新しいルールっていうのが気になったから」


 小声で言いながらおれの横を通り抜けて、そのまま歩いて行ってしまった。

 見守っていたギャラリーも、四方八方に散ってゆく。

 おれだけが取り残された。

 外の天気は相変わらず大雨。


(三つ……)


 傘をさす。

 ん? どう考えても、ひとつ足りない。

 部活がないっていうウソと、傘がないっていうウソ。あといっこはなんなんだ?

 もしかして深森さんの読みがミスってた?

 まー、明日、ちょっと聞いてみるか。明日だ。教えてくれるかどうか、わからないけど――


「ご、ごめんなさい!」


 背中に衝撃。

 何か、かためのものがぶつかった。痛くはない。コケるほどでもない。

 ふりかえると、


「あはは……」


 おでこをおさえた、末松さんがいた。右手に赤い傘をさしている。


「夢中で走ってたら、背中にあたっちゃった。私って、昔からそそっかしいところがあって……」


 自分で自分をナデナデしながら話す彼女。

 自己開示の返報性だ。

 心の冷静な部分、おれの中にいる小さな〈美女木びじょぎ〉が行動を分析していた。自己開示っていうのは、ようするにダメな部分をあえてさらすこと。恋愛のテクニック。

 なんだ?

 どうしてここに?

 追いかけてきて、なにをしようとしてるんだ?

 おれは明日、深森さんに質問を――いや明日も明後日あさっても、彼女やソアに会わないといけないのに。

 傘をたたく雨音が、やけにデカく聞こえた。


「白川君」まっすぐにおれの目を見つめる。「私と……、つきあって、くれませんか?」

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