第37話 前門の虎 後門の狼

 いっしょに下校よりも、いっしょに登校のほうがハードルがはるかに高い。

 登校時はみんなに目撃されることも多いし、なにより二人で肩をならべて教室に入ることになる。これって「つきあってます」って堂々とアピールしてるようなもんだ。


(どうなるんだよ、これ……)


 電車で偶然出会った女子の級長の末松すえまつさん。

 プラス、深森ふかもりさんまでいる。

 そして、おれ。

 この三人編成で教室のドアをくぐるのか?

 そんなことを考えてモンモンとしていると、


「あ。友だちがいたので」


 人の流れを泳ぐようにして、サーっと行ってしまった。


「賢明」


 と、末松さんのそんな様子を見てつぶやいた深森さん。サングラス……じゃなく、黒い偏光レンズのメガネの横をさわる敬礼みたいなポーズ。これで髪型がベリショ。通りすがりに彼女をちらちらと見ていく人は多い。 

 駅のホームには、おれと彼女が残った。

 屋根のすきまから見える空は灰色で、天気は大雨。


「まさか、この雨がやむのを待ってるの?」


 いらついたような口調で言う。腕を組み、右手の人差し指でとんとんと小さくタップしている。


「はやく行きなさい」


 いて。

 傘の先で、おれのつま先をつっついてきた。

 反射的に、


「いっしょに登校するんじゃないの?」


 と言ってしまった。

 てっきり、そうするものだと思っていたからだ。

 反応はない。

 やや下にうつむき、うごかなくなった。


「深森さん?」

「……」

 何か言ったが、ちいさくて聞き取れない。

「いっしょに行かない?」

「……」

 ダメだ。雨音のほうが勝って、聞こえん。

 どうする。

 おれとしても、ここはカンタンにひきさがれないところだ。

 おれは、もっと彼女と親密になりたい。彼女のことを知りたい。

 押せ! と直感が告げていた。


「行こう」


 手をとった――と思ったら、ばっ、と高速でかわされた。

 深森さんの黒いメガネが、ちょっと下にずり落ちている。そのまま上目づかいで、


「いや。恥ずかしいから、いや……」


 言い終わって、くるりと背中を向ける。

 かわいい。

 ハートが鷲掴わしづかみされた。

 おれには絶対にできないテクニック――これがツンデレなのか? そもそもデレてくれてるのか? たんにウワサになるのがいやなだけ?

 もう押すな、と直感。

 一人で登校だ。しかたない。

 雨の中を歩いて、学校まで移動する。

 一度うしろをふりかえったら、ずーっと向こうに深森さんの姿があった。そんなに露骨ろこつに距離をとらなくても……とすこしヘコむ。

 教室。

 椅子に座ると同時に、


「ぬれたー!」


 どたどたとおれのほうへ接近してくる足音と、黒磯くろいその声。

 おい……おとといもそんなこと言ってたぞ。

 また水たまりに足をつっこんだか? だったら、もういっそ長靴でもはいて――とそっちに目を向けると、


「うわっ」


 思わず声が出るほどおどろいた。

 ずぶ濡れだ。

 足もそうだが、上半身、とくに頭。びっちょびちょだぞ。


「おまえ、まさか……傘ささずにきたのか?」

「冗談やめろよシラケン」へへっ、と少年のように鼻の下をこする。「さしててこれだぞ」


 話を聞くと、どうやら大型トラックに水をひっかけられたらしい。納得。こいつの反射神経ではよけるのはむずかしいだろう。

 気になるのは、肩にかけられているピンクのタオル。

 誰か、女子にかけてもらったんだな。

 こういうところで、黒磯がいかにモテるかがわかる。


「あー」


 と、そのタオルで頭をわしゃわしゃする。


「くっそー、やられたぜ。かなりデカかったからなー。しかも三台連続できてさー」


 水浴び三連発だったのかよ。


「それじゃ風邪ひくぞ。体操服に着替えてこいよ」

「うん。それがいいですね」


 ぬるっとおれたちの会話に入ってきた。


「女子のでよければ貸しますよ」


 末松さんだ。両手をうしろに回し、おれの机の横に立っている。いいにおい。


「や。それはわるいよアキちゃん」


 アキちゃん?

 ああ……それが末松さんの下の名前か。親しげに呼んだからびっくりしたけど、これがこいつのクラスメイトの女子の呼び方のデフォルトだ。名字に〈さん〉とかじゃないんだよな。たった一人だけ例外がいるけど……。

 着替えてくっかー、と教室を出ていく黒磯。

 前の席のソアを見る。姿勢は不動。さっき、おれが「風邪ひくぞ」と言ったときにふりかえろうとしたようにも見えたが。

 うしろの席で物音。どうやら深森さんも到着したようだ。

 あは、とやわらかい表情の末松さん。

 あたりさわりのないところで、


「アキっていう名前ですか」と質問する。

「そうです。明るく輝くで明輝あきです」


 それでなぞがとけた。

 あのとき美女木びじょぎが送ったメッセージは、彼女のことだったんだ。


「こういう名前のせいで幼稚園のとき、一度男子のほうに入れられちゃいました。先生も「あきてる君」って呼んで。半年間だまってたら、なんではやく言わないんだって先生におこられたんですよ」

 はは、とおれは笑った。

 愛想笑いではない。ヘンな言い方だが、ちゃんと話が面白いからだ。

 ひどい先生だな、とおれが口にすると、ですよね、と彼女が返す。

 でもよく半年もバレなかったな。

 小さいころは、けっこう男の子っぽかったのだろうか?

 今は――女の子らしい体になって――と、あやうく彼女の胸のあたりに視線をやりかけたとき、

 事件は起きた。


「白川君は、誰のことが好きなんです?」


 カンペキなふいうち。

 かたまってしまった。


「え」


 ぐーっとおれに顔を近づける。

 すっとぼけてもムダだぞ、と言わんばかりに同じ問いをくり返した。

 ささやくように。


「誰が好きなんです?」

「それ、知りたいんです?」彼女の口調をマネしてしまった。笑わせるつもりとか、ふざけたからではない。「えーと……」すさまじく動揺しているからだ。

 やばい。

 前にはソアがいて、うしろの席には深森さんがいる。

 どっちも、確実にこの会話を聴いている。〈聞く〉んじゃなくて〈聴いて〉いる。

 冗談――で切り抜けられそうな雰囲気はない。

「言いにくかったら、指をさしてこたえてもいいんですよ」

「え」

「そのほうがこたえやすい――です?」

 なぜ迷う、おれ。

 まず、前にいるソアにはもうフられてる。たとえ好きでも、どうにもならない。

 じゃ二択か?

 いや、末松さん、とこたえればいい。

 一気に好感度を上げられるぞ。向こうから先に告白さえされなければ、好感度が上がってマイナスになることはないんだから。

 本音は、深森さんなんだが……

 おれの右手は机の下にある。

 指は……


「やめよーぜ、アキちゃん。シラケン、こまってんじゃん」


 おっ。

 真横に体操服を着た黒磯。

 つか、はやすぎるだろ。かなりの早着替え。だが助かった。


「いえいえ、こまらせる気は……」


 つぶやいたところでチャイムが鳴った。

 かるい気持ちで聞いただけですから、と申し訳なさそうにいって末松さんが自分の席にもどる。窓際の一番前の席だ。見送って、小さく肩をすくめると、黒磯も自分の席へ。

 ふう。

 ま、これでよかったのかもな。

 そーっと右手を机の上にあげる。


「また、朝からBL?」


 ふりかえってソアが言う。カラっとした明るい声。


「どこにそんな要素があったんだよ」

「それはもちろん、親友のピンチを助ける熱い友情でしょ――」と、急に言葉を切って、自分の顔に指先を向け首をかしげる。「わ、わたし?」

 ぴーんと伸びて硬直した、おれの右手人差し指。

 ピストルの形。

 それはまっすぐ、ソアに向いていた。

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