第36話 呉越同舟
ぐいぐい、こない。
いっしょに下校しようとさそってきたのは彼女なんだが、帰り道はふつうの日常会話に終始した。
身構えていたおれは、なんだか肩すかしをくらった気分。
いや……あれだけ〈好き〉をアピールしておきながら、スマホの連絡先も聞いてこなければ、おれに「好きな子がいるのかどうか」というズバリな質問もしてこないなんて、あるか?
押しながら引いているかのような、絶妙のアプローチ。
なるほど――あの
おでことメガネがトレードマークの
一年間まるまる完走した、〈一回目〉の高三も〈二回目〉の高三のときも、彼女とは会話らしい会話をした記憶がない。
それだけ疎遠だったってことだ。
それが、ここまで変わるもんか?
見向きもしなかった男子に、積極的に話しかけてくるなんて……。
(どうする)
頭をかかえ……る必要はない。なかったんだ。あの日までは。
誰かに告白されると卒業できません
この新ルールのせいで、今、末松さんに言い寄られているこの状況がとてもマズい。
スマホがふるえた。
朝、通学の電車の中。
つり
どういうことだよ!
目をぐるぐる回した絵文字を五つもつけたメッセージ。
美女木だ。なにが? と返事を打ち込むヒマもなく、
明輝が根掘り葉掘り聞いてきたぞ、おまえのことを
次のが届いた。
さらにもう一つ、
あの明輝に目をつけられるなんてよ~、なかなかレアなことだぞ
文末にキラキラした光の絵文字。
なんだこれ……あきてる? 人の名前か?
誰?
文面からは、どっかの男子がおれを狙ってる、と読めるが。
おいおい……もうこれ以上のトラブルはごめんだぞ。
もしかしたら、誰かとまちがえて送ってるのかもな。
とにかくこのまま放置しておけない。
むっ、むっ、となれないフリック入力で格闘していると、駅に停車した。
ザーという雨音が静かな車内にひびく。
今日も大雨だ。そういえば、たしかテレビでは梅雨入りしたって言っていた。
「白川君?」
入ってくる人の流れの中に、彼女がいた。
「お、おはよう」上目づかいに言う末松さん。「……偶然ですね」
そうですね、とこたえつつ、本当にそうだろうかと疑問。
このタイミングのいい登場といい、ピンポイントでまっすぐ向かってきた感じといい。
彼女ぐらい頭のいい子が本気になれば、おれが毎朝どの車両に乗っているかぐらい、簡単に調べられるはずだ。いやもっと単純に、動体視力でどこに乗っているのかを見つけだした可能性もある。
だがここは言葉どおり、偶然だと信じたい。
「きゃっ、ごめんなさい」
電車が動いた。そのはずみで、おれの胸元に彼女の顔があたる。
けっこう混んでるから、こうなるのもしょうがないよな……と、ここまでおれが思うところまで――
(計算ずみか)
きっと、そうだ。
はあ……何回も高校三年生をやるもんじゃないな。これが一回目だったら、おれは何も考えずにただドキドキできてたはずなのに。
「大丈夫?」と、肩に手をそえて、そっと体をひきはなした。
「あ、はい……やっぱり白川君って、なんかオトナです、よね……? 余裕があって、すごく落ちついてて」
はは、と愛想笑い。
おい、これ以上、この子の好感度をあげてどうするんだよ、おれ。
とり返しのつかないことになるぞ。
話題――というか、雰囲気をかえよう。
「末松さんは、いつもこの時間?」
「ううん、朝練があったりするから、バラバラなんです。朝が弱いこともあって――朝が弱いといえば」
じつにスムーズな会話の流れ。
最新の目覚まし時計の話から、スマホのアプリの話、よくみる動画の話にうつる。
こんなおれたちを外から見たら、会話がはずんでいるように見えるだろう。ほほえましい学生カップルに見えるかもしれない。
おしゃべりしながらも、おれは分析していた。
(「はい」か「いいえ」ではこたえられないような質問とか、退屈しない話題えらびとか……すごいな)
ほんとに感心する。
そして、おれがあごのあたりに手をもっていくと、末松さんも何気なく同じ動きをした。
そっくりな動作をする相手に親近感をもちやすいという――ミラー効果。
まったくもってスキがない。もしかして、すべての恋愛テクニックを実践してるんじゃないか?
ある意味ラスボスか?
おれ、ひょっとして落とされるんじゃないか?
いかん!
「どうかしたんです?」
心配そうに下からのぞきこんでくる末松さん。いつのまにか、体の密着も当たり前になっていた。しかし〈ぎゅうぎゅう〉というほどの混み具合でもない。あきらかにこれは、彼女の作戦だった。
考えろ。
どんなピンチにもチャンスはあるんだ。今の状況をピンチとかいうと彼女にわるい気もするが。
とにかく末松さんが言い寄ってきてくれることを、どうにかして活かす方法はないか。
ムシがいいのはわかっているけど……。
電車が駅にとまった。
外からの、はげしい雨音が聞こえる。
ん?
いきなりモーゼのあれのように、乗客が〈ばっ〉と割れた。
その道をゆうゆうと歩いてきたのは……
「朝から仲がいいのね」
一瞬、ピリッとした空気が二人の間に流れたが、すぐに
「あー、おはよう。偶然だね」
いつもの明るい声でいう末松さん。同時に、さささっとおれから体をはなす。やっぱり、くっつけなくても大丈夫だったんじゃないか。
つり革ももたず、おれたちの前に腕を組んで立つ。
電車がはしりだした。
しばらく無言の
たしか、この二人は友だちのはず。
なら、ケンアクになんかなるわけないよな……。
「どろぼう猫」
ケンアクぅ!
おれの背筋に冷たいものが走った。
それ、顔を合わせて二言目で言うセリフか?
ケンカを売りつけたようなパワーワード。
冗談だろ。
「えーと……」さすがの末松さんもとまどっている。「なんの話……かな?」
「中吊り広告」と指をさす。
そこにはたしかに〈どろぼう猫〉と書かれていた。近くに〈修羅場〉の文字もある。
「逆に、なんだと思ったの?」
するどい切り返し。
カウンターアタックだ。
これに、いったいなんて返すんだ?
「白川君って片っちと仲がいいみたいだから、あ、それと深森さんとも仲がよさそうだったから、そういう意味かな~……って」
素直。
いい判断だと思った。
「なるほど」
と、深くうなずくと、彼女の目元の黒いレンズが車内の光を反射。
「たしかに私たちは仲がいいけど。ね、
おれを名前で呼んだ?
なんのつもりだ?
「ね」
腕を組んで仁王立ちの彼女の背後に、ごおっ、と黒いオーラが見えた。
このプレッシャー。
おれに何をさせたいんだよ……名前なんか呼んだりして……名前、名前、
「あー、もうそんなに仲がいいんです? おたがいにファーストネームなんて」
「そうよ。彼も、私をそっちで呼んでいるから」
「ほんと? 白川君?」
イエス、のかわりのようにおれは
「ケイ」
とこたえた。
リラックスしきって、くつろいだ部屋で呼びかけたみたいな「ケイ」が出た。
あの日の放課後の練習の成果だ。
うっ、と短い時間、末松さんが動揺したみたいだった。この二人――もうこんなに親しいのか、っておどろいたかのごとく。
とても信じられないが、まさか彼女はこうなることを予知していたのか?
不可能な先読み……でもないぞ、
誰かが〈白川浩〉に言い寄る → 深森さんが恋人のフリをして、言い寄らせない
と、考えれば。
彼女は、あくまでもおれは〈
ほんとに、そのルートしかないのかな……。
ひとつだけ、邪道がある。
(告白される前に、おれのほうから先に告白すれば――)
じっと目を向けるが、末松さんは窓の外を見ていた。
あっ。
電車に急ブレーキがかかって、バランスがくずれる。
しゅるっ、とおれの体に巻きつく両腕。また、恋愛のベテランのあざといやり口だなと思っていたら、
「ご、ごめんなさい……」
深森さんのほうだった。
これは予想外。
ずっと腕を組んで直立だったから、軸がしっかりしてると思ったのに。
軸がブレた。
ブレてるのは、おれだ。
おれはこの世界で、どの女子に告白すればいいんだ?
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