第35話 百戦錬磨
今日も雨。
「おはよう」
椅子に座って一秒後、おれに挨拶したのは
「おはようございます」
「うん。それでね、白川君は――」
ここから、じつになめらかに日常会話に入った。
テレビドラマの話や、はやっているスイーツの話や、中間テストの話。
中でもまずかったのが、
「どうやら学年で一人だけだったようですよ? 日本史の最後の問題が正解だったのは」
この話題だった。
う……ループの利点を活かそうとしたのがまずかったかな。定期テストは今回で〈三回目〉だったから。
「なんか……百点をとらせないためにいれた問題みたいなんですけど、白川君、すごいですね」
そうだよ。
あの問題、〈一回目〉のときに生徒から大ブーイングだったんだよな。そんなのならってない、って。かなりマニアックな武将をこたえさせる問いだったんだけど。
まー、ほかでいろいろミスしているから百点じゃないし、総合点ではクラスで中の上くらい。
これなら目立たないだろ、と思っていたが、まさか先生が〈正解者発表〉とかするなんて……。拍手まで起こったし。
「はは……」愛想笑いのおれ。「じつは歴史マニアで……」
「歴史でもなんでも、一つのことに夢中になれるのはすごいです」と、キラキラした
(あれ?)
昨日までかけていた、メガネがない。
そのことを質問すると、
「コンタクトにしました」
と明快な返事。
気がつけば、教室の前のほうにいる女子のグループが、じーっとこっちを見守っていた。そのうちの一人は、両手でにぎりこぶしをつくって小さく上下にうごかす、
(がんばれっ!)
みたいなアクション。
応援か?
好きな男子に、がんばって話しかけている末松さんを?
じょ、冗談だろ。
そのグループのわきに立つ一人の男子。唯一の親友の
(おい! どういうことだ! シラケン!)
という表情。
そのまま視線をおれ、末松さん、前の席のソア、と順番にうつした。
「……」
おれからは、こいつの背中しか見えない。当然、何を考えているのかもわからない――と、言いたいところだが、そこは長年いっしょにすごした幼なじみ。
おれと末松さんの会話に意識を集中していることが、
「……」
この身動き一つしない姿勢でわかる。
ソアは、どちらかといえば落ちつきがないほうで、体が〈ぴたっ〉と止まっていることなんて、ほとんどないからな。
なおも、トークをつづける末松さん。
その構成も巧妙で、
「今日、いっしょに帰りません?」
「はい」
おれは、誘導されたようにあっさりそう返答した。
ちがう。ちがうんだ。
誘導されたよう、じゃなくて実際に誘導された。
フット・イン・ザ・ドア
お願いを段階的にする、ようするに大きなお願いをする前に小さなお願いをしておくというもの。
さっきの場合、「英語の予習のノートを見せて」というのが手前にあった。ことわる理由がないからおれは「いいよ」とこたえたんだ。そのあとに下校のおさそい。
あざやか。
あまりにも手ぎわがよくて、つい感心してしまった。
(いやダメだろ……追加ルールで、誰かに告白されても卒業できないんだぞ?)
彼女にコクられたらどーする?
また四月からやりなおしだぞ。
いや……そんなわけないか。こんなおれみたいな男子に告白って。ないよ、ないない。
――よく見ろ白川!
いきなり頭の中で美女木の声がした。
見ろ? なにをだ?
「……どうかしたんです?」
小首をかしげる彼女。
おれのほうに向いた体、まっすぐ目を合わせる視線、やや前かがみの姿勢。これって――
ブックエンド効果!
おもいだした。
たしかにそんなのがあったけど、かなりこまかいテクニックだ。いや、たんに好きな人に体を向け、目を合わせて、できるだけ顔を近づけるっていうだけだから、テクニックといえるほどのものでもない。
だが思えば、朝の「おはよう」も単純接触の原理ではある。
もしかして、なんか恋愛関係の本でも読んだのかな。
こんなことはセンサクしなくていい、おれはそう思った。
会話が一段落して末松さんが、
「今から放課後が待ち遠しいです」
と、はにかんだ顔で去っていったあと、うしろの席から、
「はあ~~~」
という、あからさまなため息が聞こえてきた。
◆
「あほ」
なんだか久しぶりにそう言われた気がする。
「いったいなんのつもり?」
とび箱を背にして腕を組む
それより、なんでココなんだよ。
昼休み。
手招きする彼女についていったら、体育倉庫にたどりついた。
いやたしかに……誰もいないし誰の目もないから、ないしょの会話をするにはうってつけだけど。
「この一年はあきらめて、片岡さんの片思いの相手をさがす、そのはずだったでしょ?」
「そう……だけど」
「なかなか口をわらないけど、彼女は白川君じゃない誰かのことが好き。その相手をまずは知ることよ」
「でも」
「でも何」きっ、ときつい視線――黒いレンズで見えないけど――が向く。「何が言いたいわけ?」
「それでもソアがことわる可能性は、あるだろ……?」
「いいえ。私が見たところ、片岡さんはあなたのこと〈も〉好き。これは確実。すると、告白をことわったのは、あなた〈よりも〉ほかに好きな人がいたからということになる。すなわちその人さえいなくなれば――」
無言で、顔の前にもってきた自分の右手を見つめている。
まるで暗殺者みたいな雰囲気だ。
「まさか、こ、ころ――」
「あほ」
メガネの
「そんなわけないでしょ。もっと人道的なやりかたよ。そう、たとえば……『あなたよりずっと片岡さんを好きな人がいる』とか『自主退学を考えている男子が最後に彼女に告白を』とかそんな感じで心にうったえるの。それで、その人が身をひいてくれたら、自然と恋愛候補はあなただけになるって寸法」
おわかり? そんな表情でおれを見る深森さん。
「深森さんのほうで、何か」
「ケイ。私はケイ。私を呼ぶときはケイ。二人っきりのときはケイ」
ラップみたいに名前を連発。
かなわないな……まったく。
「ケイはわかった? ソアの好きな人」
ノーリアクション。
つまり「まだわかってない」ってことか。
「それより忠告。あの子には手を出さないことね」
「末松さんのこと?」
「女の子に好意を寄せられて有頂天になるのはわかるけど、スルーしなさい。きっと、いいことにはならないから。たぶん、
「なんの話?」
グッド、とばかりに深森さんの親指が立つ。
おい、指で返答するなよ。
オトコよ、オ・ト・コ
言いながら、そのまま体育倉庫を出ていった。
ふう、と息をはいた途端、
「なぁ白川」
「うわっ!」
物陰から声が。おれは、文字どおり飛び上がった。
「そんなにおどろくなよ~」
壁から浮き出るようにあらわれたのは美女木。そのそばで小さく手をふっているのはあいつのカノジョ。
「おまえら、なにをしゃべってたんだ? てか、エロいことの一つぐらいしろよ。せっかくなのに。なんのための体育倉庫だと思ってんだ?」
ばしん、とカノジョが恥ずかしそうにヤツの肩をたたいた。
「とにかく、おまえらのせいでな~んもできなかったぜ」
「すまん」と、なぜかあやまるおれ。まだドキドキがおさまらない。まさか中に〈先客〉がいたとは。
えーと、他人に聞かれてまずいようなことは、言ってなかったと思うが。
「スエマツ」
わっ! と今度は心の中だけでびっくりする。
「……って言ってなかったか?」
白を切っても仕方がない。
「ああ、言ってたよ。でもただの世間話で、彼女の悪口とかじゃないんだ」
「そういや、おまえのクラスだったよな」
ん?
美女木と知り合いなのか?
胸さわぎ。
なんだ……この猛烈にイヤな予感は。
「いや~、あいつってばおれのイトコでさ~、むかしからいろいろ恋愛のアレコレを教えてもらってたんだよ。つまりだな、はっきり言えば」
恋愛の師匠なんだぜっ!
むん、となぜか誇らしげに胸をはる美女木。そのとなりに、ニコニコしたカノジョ。
チャイム。昼休みが終わる予鈴が鳴った。
スピーカーからのメロディにのせ、ふふんと鼻歌を口ずさみながら近づき、おれの肩に手をのせ、あいつはこう言った。
「師匠に落とせなかったオトコはいねーんだ」
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