第34話 触らぬ神にたたりなし

 朝から大雨だ。

 もう梅雨入りも近いからな。


「ぬれたー!」


 と、座っているおれの近くにきたのは親友の黒磯くろいそ。教室に入ったあとも、廊下から何人かの女子がのぞきこんでいる……すなわちそんなレベルのイケメンだ。


「ほら、シラケン」


 すぽっと靴から抜いて、片足をあげる。

 靴下の先からポトポトと水滴が落ちていた。


「むかしから、なんか傘さしててもぬれるんだよな~」

 ちらっと窓の外を見たが、雨はほとんど垂直に落ちている。とくに強風でもないようだ。

 そうか。ルックスの良さで忘れそうになるが、こいつは運動神経がダメダメだったっけ。


「もしかして……水たまりに足をつっこんだか?」

「お。すげー」うれしそうな顔になる。「正解だよシラケン。しかも三回もつっこんだ」 

「三回っておまえ、一回目と二回目でちゃんと学習――」


 頭の中でフラッシュ。

 パッ、パッ、と連続であらわれた。

 遠峰とおみねさんとランちゃんの立ち姿。

 おれが告白して、みごとに散った相手だ。


「――あー、できないことも……あるよな」

「ん? 最後のほう、なんて言ったんだ?」


 なんでもないよ、と首をふった。

 手に袋をさげている。コンビニの袋。おれの視線に気づいて、


「これか? かえ・・だよ、かえ・・


 取り出したのはソックス。黒の紳士用靴下。


「用意がいいだろ?」笑顔で、きれいな白い歯が口からのぞく。

「でも大雨のたびに買うのはもったいないぞ」

「だ、だったらさ」いきなり声が小さくなった。「こ、交換してくれよ。シラケンのとさ」

「ばか言え。おれがハダシになるだろ」

 交換のところまではオッケーなんだな……と、よくわからないつぶやきを残してあいつは自分の席に移動した。

 おれはこの雨でもノーダメージ。

 今日は電車じゃなく、車で送ってもらったからな。ソアの家の車に。

 視線を感じたのか、前の席のソアがふりかえる。


「いまなんの話してたの? 朝からBL?」


 びいえる?

 数秒おくれて意味が理解できた。


「どこにそんな要素があったんだよ」

「とりかえっことか言ってたから。いやー、シャツとかだったらまだしも、靴下ってなかなかマニアックじゃない?」


 たしかにな。

 においとか雑菌とかを許し合える関係性……いやいや、なにを考えてるんだおれは。


「わたしのと、かえる?」


 体が横向きのソアが、座ったままで片方のひざをすっとあげた。日によって変えているようだが、今日は真っ白なくるぶし丈のソックス……よりも、はっきり言って、ふともものほうが気になる。 

 ぱちぱち、と二回まばたきをして、


「どしたの?」


 足を見せつけている自覚もなくおれを見つめるソア。


「いや……かわいいふとももだな」


 犬や猫への感想のように、ナチュラルに口から出た。

 そう――忘れてなんかいない。こいつは、おれをとっくの昔にフっている。

 したがって、照れとか嫌われたらどうしようとか、そういう感情はもう一ミリもないんだ。

 こんなセリフも


「……」 


 さらっと言える……って、なんかだまりこんでるぞ。

 まさか怒ったか?


「ははっ」


 笑い出した。


「おっかしい。ひどいよ、今のセクハラ発言だからね」

「セクハラか?」

「そうだよそう。裁判で負けるヤツだから――」


 ゼッタイ私以外には言っちゃダメだよ。


 体を前にひねりながら、ソアがそんなことを言い残した。

 はあ……。

 胸キュンなことを言うぜ。もしフられてなかったら、今ので完全に〈おまえに告白する〉ことを決めていただろう。

 罪づくりなヤツだ。

 この幼なじみのソアに告白するルートは、バッドエンド確定なのをおれは知っている。すれば、また高三をイチからやりなおしになる。

 まいったな……まったく……


「おはよう」


 この声。

 めずらしいな。いや、はじめてか?

 彼女から朝の挨拶をするなんて。


「おはよう、深森ふかもりさん」


 うむ、とさすがに二回も「おはよう」とは言わず、おれを見て無言でうなずいた。そのまま着席。

 そこで視線を感じたんだ。

 どこからなのか、このときはわからなかった。


 ◆


「どういうことなんでしょうか」

「え?」


 問いつめられている。

 おい。ここ、男子トイレの前だぞ。


「あの深森さんが男子に『おはよう』だなんて……おどろきをかくせません」


 うちの学校は全クラス、男女一名の級長がいる。

 同じクラスの女子の級長。

 末松すえまつさんだ。

 ふちなしのメガネをかけて、少し色の白いおでこを丸出しにしている。近寄らないと見えないが、黒いピンをつかって髪をまとめているようだ。とくに耳の近くは、いったい何本つかってるんだよ、というぐらいピンが密集している。 

 そういえば、一回目と二回目の高三では、この子が一番深森さんと仲がよさそうに見えた。


「いつのまに、です?」

「あの……場所かえませんか?」


 いえここで、と、足の裏が接着剤でついているかのように不動。

 まだ用をすませていないんだが……


「五秒だけ。どうやって彼女と親しくなったんです?」

 どうやって、って。

 なんども高校生活のループをくり返しているうちに、とか言えるかよ。

「えーと、自然に、かな。なんとなく」

「うそなのです」

 ずずい、と顔が接近した。

 小柄でセンが細いが、この押しの強さはさすがにクラスを率いる者の風格といえる。

「私の知ってる白川君は、女子に気安く声をかけられるタイプじゃなかったはずです。もしやコクったのですか?」

「まあその……ほら、それはプライバシーだからさ」

 横文字で逃げろ。

 ケムに巻け、ケムに。

「プライベートな問題でもあるし」

「なんか……白川君、ここ最近でぐっと雰囲気が変わりましたよね。うまく言えませんが、オトナな感じがします」

 それは、キミたちよりも一年と四か月ぐらい年上だからじゃないかな……。

 あれ?

 用をすませたくなくなった――じゃなくて、このまっすぐな視線。

 こういうことには鈍い鈍いと思っていたが、今、はっきりとわかる。


(え? おれが好き?)


 そう感じた。


 ◆


 放課後も、まだ大雨だ。

 帰りまで車に乗せてもらうつもりはなかったから、電車で帰る予定。

 深森さんは、 


「一日千秋ね」


 と、なぞのワードをつぶやいてさっさと下校してしまった。

 まあ……たしかに今は〈待ち〉の時期なのかもしれないな。

 ソアの片思いの相手もわからないし、深森さんに接近しようにもきっかけがない。

 おれがやっていることといえば、


「おはよう」


 と地道に朝の挨拶をしてるだけ。

 単純接触の原理で、こつこつポイントを貯めているといったところだろう。

 はたしてこれでいいのだろうか?

 具体的にはわからないが、どうも……なーんかよくないような気がするんだよな。

 天気も晴れないが、気分も晴れない。

 コンビニにでも寄るか。


「……たいへんだねぇ」


 あっ!

 体に電気が走った。

 店に入って、雑誌のコーナーで立ち読みをはじめてすぐ。

 誰かが、おれの横で同じように立ち読みをはじめたな、と思っていたら。


「なかなか〈正解〉にたどりつけない、と」

「あなたは、いったい――」


 そっちを見る。

 おれの足は、なぜかふるえていた。

 あのときの女の人がいる。手にはひらいたマンガ雑誌。背筋をピンと伸ばした姿勢。茶色のサラサラロングの髪。紺のスーツ、下はタイトスカート。


「追加ルール。いい? これも、一度しか言わないゾ」


 ねっ! とはじけるような笑顔。やっぱりかわいい。口のラインはアヒルぐち

 思わず、目をゴシゴシとこすった。

 急に視力がわるくなったみたいに、目の前の女の人の顔がボヤ~っとしはじめたからだ。


「誰かに告白さーれーたーらぁ……卒業できませーん!!」


 耳をふさぎたくなる大声。

 ダッシュで店員さんがきた。

 雑誌のコーナーを見回して、おや? という表情。


「あれぇ、ここに、女性がいなかったかね?」

 なんとこたえていいのやら、だ。

「いました」と言えば、めんどうなことになる。

 さあ、とおれはあいまいに返事して、すぐ店を出た。


 雨が、かなり強くなっている。

 風もでてきた。

 なんなんだよ……これ……。

 追加のルール?

 誰かに告白されたら卒業できない、だって?

 くっ、今のルールだけでもクリアがむずかしいっていうのに、さらにもう一つのっかるのか。

 落ちつけ落ちつけ。

 前向きに考えるんだ。

 おれは黒磯レベルの見た目じゃないし、美女木びじょぎほど恋愛心理にけてもいないんだ。

 モテる要素がない。

 こんなこと、自分ではっきり言うのは悲しすぎるがな……。


(ふっ。おれに告白なんか、誰もしないだろ)


 このルールは、無いも同然だ。安心していい。

 駅についた。

 ホームで、背後から声をかけられる。


「白川君!」


 級長。末松さんだ。小走りで近づいてくる。

 どっち行きに乗るんです? と質問してきたから答えると、


「わぁ」


 表情が輝いた。一瞬で。

 同じ方向です、と明るい声で言った。

 そして、この大雨もふっとばすぐらいの晴れ晴れした声で、


「いっしょに帰りませんか」


 そう言った。

 好きでもない男子には、ふつう、こんなことは言わないよな? そうだよな、美女木?

 電車が到着して、ドアがひらいた。中は混んでいて奥まで進めない。

 入り口付近に立つ。

 ドアがしまる。

 ゆっくりと電車が発車。

 彼女のおでこが、すごい近い位置にある。ふちなしのレンズに一つ、小さな水滴がついていた。

 目が合う。

 もはや好意以外を読み取れない目だ。


(これは……やばい)


 この〈高三〉の世界も、もしかしたら消えてなくなるかもしれない。

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