第33話 負けるが勝ち
平和な光景だ。
昼下がり、静かな和室で幼なじみと将棋で遊ぶ。
「はい。これでどう?」
「おいおい……」
ただし盤上は殺伐としていて、おれの王が四枚の飛車角に〈ひし形〉に包囲されていた。
「コクちゃんの負けね」
にひっ、と笑うソア。
確かにどこからどう見ても負けだが、ここまでやるのってかなり礼儀を欠くことなんじゃないのか? 容赦なさすぎだろ、こいつめ……。
「わざと負けたんだよ」
「コドモか」正面にいるおれに対して顔をやや横向きにし、目だけこっちに流す。「だ~め。『わざと負けました』とか『まだ本気だしてないから』っていう言いわけをしていいのは、小学生までだから」
くそ……。
休み時間の長さも考え、決着がつくのか? とか思っていた数分前の自分が恥ずかしいよ。瞬殺だ瞬殺。
もともと父親の影響ではじめたっていうけど、ほんとにこいつは強い。
まあいい。
勝つのが目的じゃないからな。
さっき、
「コクちゃん」
と、たしかに言った。やっと「白川君」という他人行儀な呼び方から、いつもの呼び方にもどった。
……これでいいんだよ。
最近、このせいでずっとモヤッとしてたんだ。
目的の一つはこれでクリア。ソアを、もとの接し方にすること。
昼休み。
おれがなかば強引に「将棋をやろう」とさそったのには、もう一つ理由があるんだ。
さぐり、である。
「てか、広すぎるだろ。将棋部の部室。ここ、じつは茶道部とかの部室じゃないのか?」
部屋は十二畳。しかも洗い場までついている。
「なにげに全国レベルなんだよ?」両手をいきおいよく、ばっ、と横に伸ばした。「うちの部って。知らなかった?」
「いや足足」
「え?」
「あぐら。リラックスしすぎじゃないのか」
急に手をすばやく動かしたから、スカートが風圧でひらめいた。あやうく見えそうだったぞ。
「正座のほうがいいの?」
「そういう問題じゃなくてだな――」
いかん。
すっかりこいつのペースだ。
まあ、ある程度は仕方ないか……この空間はおれにとってはアウェイなんだから。
「何かほかに目的があるでしょ~」
ソアもなかなかカンがいい、というより、そう考えるのが普通か。
おかしいもんな。たいして将棋の強くないおれが、いきなり対戦してくれっていうのも。
「あー……」
小細工はやめるか。
「アレは、あんまり気にするな」
「え?」
「だから」
おれは説明した。
彼女が発動させたウィンザー効果(第三者から伝えられるほうが情報の影響力がアップ)を。
つまり「おれがソアを好き」と伝えたことについて。
「その……コクるとかそういうマジの好きじゃなくてだな……幼なじみとして好きっていうか」
「それぐらいわかってるよ」
笑った。
「でもびっくりした。
「わるかったな」
「コクちゃんがあやまることじゃないけど」
おれは将棋の才能はないが、ここの先読みだけはできた。
こいつの次の質問に先回りして、
「ちがう」
とこたえる。
遠くの空でトンビがピーヒョロロロと鳴いた。
「おれと深森さんとはべつに、なんでもないんだ」
「え~」と、ソアの顔は不満げ。「だったら、なんで――」
「なんていうか、うーん、彼女は」
「彼女は?」
相変わらずあぐらをかいたままで、さらに将棋盤に右ひじをのせる行儀のわるさ。
「いるだろ。ほら、近所の世話焼きおばさんみたいな、あんな感じだよ。何がきっかけかはわからないけど、おれとソアの関係をどうにかしたいっていう思いで、あんなことをしちゃったんじゃないか?」
おれにはやっぱり将棋の才能がない。
次の展開も先読みできなかった。
――ん? これ、かりに才能あってもムリだろ。
「世話焼きおばさん登場」
がらり、と引き戸がオープン。
「わ」
おどろいた声をあげながら、あわててあぐらから正座に座りなおすソア。
「ここにいたんだ」
キラーン、と黒いレンズのメガネが光った。
おれたちを追ってきたのか? それとも本当にさがしてたのか?
ともかく、ここにあらわれた理由は何?
靴を脱いで、すたすた、と勝手知りたる我が家のように中に入ってくる。
「いい部室ね」
「あはは……」
めずらしい。ソアが愛想笑いするとは。こいつは面白いときは面白い、つまらないときはつまらない、というのをハッキリ前に出す性格だから、ほとんどこんな乾いた笑いを浮かべることはないのに。
そうとう動揺しているとみた。
「一局いかが?」
え! とおれたちの声がそろった。
「深森さん、将棋できるの?」
ここもぴったりユニゾン。
どうやらおれもソアも同じ疑問を持ったようだ。
返事はない。そばに立って腕を組み、おれを無言で見下ろしている。どけ、と言わんばかりに。
はあ……窓際のほうへ移動するか。
「もうあまり時間がない」さ、さ、さ、と駒をならべはじめた。「ハンデなし。持ち時間ゼロの早指しでいい?」
おお。
なんだこの自信は。まがりなりにも、ソアは将棋部だぞ。
「ちょ、ちょっと」つられて駒をならべる。「ほんとに?」
「私が先手」うむを言わさない口調。「はい」と一手目。ぴしゃっ、と小気味いい音が鳴った。
「うわ……」
圧倒されたようにつぶやいた。
だがそれは大きな間違いで。
「お、王手」
すぐに勝負は決まった。
数えてたけど、ちょうど十六手。冗談だろ。おれでももうちょっとネバったぞ。
「これはどう?」王を移動させる深森さん。
「そこは……角がきいてるから」申し訳なさそうに言うソア。
弱い!
あの対戦前の堂々たる態度はなんだったんだ。
強いヤツのオーラ、めっちゃ出てたのに。
「ありがとうございました」
ふかぶかと頭をさげる。このへんの礼儀は、ちゃんとしてる。――と、
かしゃん
彼女のサングラスが畳の上に落ちた。
サングラスじゃなく、まっ黒いレンズの医療用のメガネ。クラスで誰も彼女の〈目〉を目にすることがかなわない、漆黒のヴェール。
「かわいー!」
部屋にソアの大声がひびく。
「深ちゃんの目ってそんなだったんだ。うわぁ……おっきくて二重でキラキラしてて……」
「し、失礼するから」
メガネをひろうと、逃げるように出ていった。
ふたたび二人きりになった部屋でソアがつぶやく。
「コクちゃん、あの目のこと――知ってた?」
知ってたよ、と正直に言った。
そのまま将棋部の部室を出る。廊下で、ソアが横にならんだ。
(おれのもう一つの目的……将棋部に、こいつが好きな男子がいるのかどうかは)
わからなかったな。
せっかく本拠地に乗り込んだというのに。
残念だ。
もし、深森さんの乱入がなければ、対局する流れになっていなければ――
「?」
首をかしげるソア。
「どしたの? わたしの顔に」
あっ。
不思議だ。思考が読めた。
先読み、できたぞ。
「くらべてたわけじゃないよ」
「ほんとかな~」アカンベーのように指先を目の下にあてた。「深ちゃん、コンタクトにすればいいのに」
「事情があるんだろ」
たんに視力だけじゃない、なにかの事情が。
そこはたぶん、深入りしちゃいけないところだ。まだ……もっと親しい関係になるまでは。
「ところでコクちゃん聞こえてた?」
「え?」
「駒をならべてたときの……あ! 聞いてないんなら、いいや。いい、いい」
気になるな。
教えてくれよ、となんどもくり返したら、ようやくソアも折れて、
「深ちゃんが『賭けましょう』って言ったの」
「何を」
立ち止まった。
すこし先を歩いていたおれも止まって、うしろをふりかえる。
左右がガラスばりの渡り廊下。高さは四階。奥に向かってゆるく右にカーブしている。
両手をうしろに回し、気持ち、胸をはるようにして、
「白川浩」
と、幼なじみの口がおれのフルネームを告げた。
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