第32話 能ある鷹はツメをかくす
ずっとあだ名で呼んでいる友だちを「
それが、おれが幼なじみを「ソア」と呼んでいる理由。今さら「
「ケイ」
「ぎこちない。もう一回」
「ケイ」
「なれなれしい。もう一回」
鬼教官。これ、なんのトレーニングですか?
放課後の教室。おれたちのほかには誰もいない。
外は雨。ザーザーぶりで、空はほとんど真っ暗。
おれは〈今日〉をおぼえている。
二回目の高三のときも、こんな大雨だった。いつ雷が落ちてもおかしくないぐらいの……
――「ぜ、絶対……誰かに言わないでね……」
おれに抱きついたあとのあのセリフ。
同じ人間の口から出たのかというぐらい、よわよわしかった。
要するに、彼女にとってはそれほど苦手だということだ。
「なに? さっきから窓の外ばっかり見て」
ばん! と机がたたかれた。座るおれの横に、片手を腰にあてて立つ
「卒業できなくてもいいの?」
「いや……」
そのことと、キミの名前を呼ばせることと、なんの関係が? とどうにか目で伝えようとこころみる。
「私たちはチームなの。〈さん〉づけでよそよそしくやってる場合じゃないでしょ。あなたが卒業してくれないと、私も困るんだから」
「どうして」
「キス以上に発展したらどうするわけ?」
フリーズしてしまった。
以上って……それはつまり、
「極端なことを言うと、私があなたの赤――」
「ちょ、ちょっと待って。ストップ。言いたいことはわかるよ。自分の知らない自分が、べつの世界にどんどん生まれるのがイヤだっていうんだろ?」
「はやい話が、そう」くるり、と背中を向けた。「つまりあのキスは〈くさび〉。あれ以上、先へ進むなっていう警告」
なるほど……さすがは深森さんだ。先の先のことまで考えている。
しかし、深森さんと呼ばれることの何が気にいらないのか。
「教えたおぼえはないけど、どうせ知ってるんでしょ? 私の名前」
放課後の開口一番がそれ。
「ほたる」だったっけ? と、調子にのってボケたのがいけなかった。
あやうく石になるかと思ったぜ、彼女の無言の三分間の視線で。
「ケイ……ですよね」
深森
ぎこちないとかなれなれしいとか言われたが、距離感がつかめないのはしょうがないじゃないか。女子を下の名前で呼び捨てるなんて、ソアを例外として、はじめてなんだから。
「ケイ」
もうどうにでもなれ、と、おれはダルそうに言った。
「それ」
オッケーが出る。
「今の、肩の力が抜けててよかった。私の理想のイメージに近い」くいっ、と黒メガネの横のフレームを敬礼のような手つきでさわる。「合格ね」
やったー、とよろこんでいる場合ではない。
不安なんだ。
この一年はソアが誰を好きかを調査することにつかえ、と彼女は言った。
だが――正直、そのアイデアには全面的に賛成できない。
いくらソアの〈好きな人〉が判明したところで、その彼と競争して勝てる保証はどこにもないし、負けたら一年をまるまる〈棒にふる〉ことになってしまう。
となると、
きれいな子ほど狙え
恋愛マスターの
「ケイ」
「だめ。それだと、ただのアルファベット」
くすっ、と口元だけで笑った彼女。
「打ち合わせはもう終わりよ。帰りましょう」
「ああ……」
おれは椅子から立ち上がった。
(今日はここまでだ)
このプロジェクトは静かにすすめなければならない。
彼女に気づかれないように。美女木の存在も、あいつに教わった恋愛テクニックをひそかに実践していることも悟られないように。
くる!
光と音がほぼ同時の、ばかデカい爆音。
あらかじめ知っていたおれでさえ、体がビクッとした。
この距離この近さ。
当然、深森さんは反射的におれに抱きつくものと思っていたが――
「落ちたわね」
不動。
「おどろいた? この日、私は教室であなたに抱きついたんでしょ?」
ばっ、とスマホを見せる。
あらわれたのは動画。落雷の瞬間の動画ばっかり。
なるほど……これらをくり返し見ることで、事前に対策をしてたってわけか。
カミナリにビビらないために。
「きちんと心構えをすれば、あんな自然現象ぐらいで私が動揺することはなななないのよ」
しっかり動揺しとる……。
「こうやって、未来はちゃんと変えられる。あなたも、この一年を我慢すれば、次のループで卒業できるんだから」
まじか。
断言してくれるとか、めちゃめちゃ心強いけど。
やっぱり彼女を信じて、余計なことはしないほうがいいのか?
視線を落とすと、深森さんの足が目に入った。小刻みにふるえている。まあそうだよな……一朝一夕に苦手を克服なんて、ふつうできないよ。
このがんばりは立派――って、もしかして、何が何でもおれに抱きつきたくないからがんばったってことでは?
へ、ヘコむぜ。
ちゃんと制服も清潔にしてたんだけどな……
ぱちっ、と目をつむったとき、
「あ。ごめん」おれの顔の近くに彼女の小さな顔が。「……長年おそれていたものは、急に無効にはできないようね」
がしっ、と両手を背中に回されている。
ん?
一瞬すぎてわからなかったが、今、カミナリって鳴った?
鳴っていないとしたら――これは何?
さっきの落雷のタイムラグ?
あるいは、
(これも先読みしたのかな)
教室がまっ白に光った直後、空にあらわれた巨大な稲妻はななめに崩れた〈K〉みたいなラインだった。
◆
ソアに変化がある。
感覚としては、ケンカっぽくなっていたあのときに近い。
が、今回はおれを避けるようになるんじゃなくて、
「白川君」
と、あからさまに呼び方を変えてきたこと。
おれと話すときも必要最低限の単語だけという感じ。
よそよそしくなったというのではなく、
(思春期で急に異性を意識しはじめるアレだ……)
――としか思えない。
深森さん経由で「おれがソアを好き」という情報が耳に入ったからか。
つまり、まだおれもあいつに意識されるぐらいの男子ではあるということだ。
前向きにいこう。
しかし……重ねて思うが、これでなんで告白を受け入れてくれなかったんだ?
いったい、どこの誰に片思いしてるんだよ?
大雨の翌日。
ちなみに、昨日の放課後は深森さんと同じタイミングで下校したが、いっしょに帰ってはいない。おたがいに数メートルの間隔をあけ、かつ会話もないことを、さすがに〈いっしょに帰った〉とは言わないだろう。
なんか……距離をおかれてる気がするんだよな。
やっぱり、彼女はおれなんか恋愛対象じゃないか。
(ちがうだろ)
ここでメゲちゃだめなんだよ。
思い出せ。
千里の道も一歩から。
スマホを見る。
美女木からメッセージがきていた。
単純接触の原理!
一日だってサボんなよ!
そうだよな。
おれはもう心に決めた。
次の告白の相手は――
「おはよう」
「おはよう、白川君」
黒いレンズには、ちっちゃいおれが映っている。
「今日も一日、がんばろう」
「言われるまでもないけど」
深森さん。キミなんだ。
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