第30話 百聞は一見にしかず

 とりあえず安心した。

 が、本来の目的は未達成のまま。

 おれはまたこの〈四月〉にもどされている。


(このままじゃ卒業できない……か)


 とにかく仕切り直しだ。

 前を向こうぜ。

 前を――


 じー


 という音がぴったりの真顔。まっすぐおれを見ているソア。


「なかなか教えてくれないなぁ」


 唇のはしっこが微妙にアヒルぐちのカーブ。


「え?」

「わたしにも教えてよ。その〈うれしいこと〉っていうのを」


 言いながら上半身をのりだすと、おれの机にひじをついて、手のひらにあごをのせた。

 じゃあ説明するか……って言えねーよ!

 こんな荒唐無稽な話。

 えっと、告白を成功させないかぎり永遠に高三をやる世界で、おまえが交通事故にあい、それをなかったことにするためにおれが気になっていた一年女子に告白して玉砕して、それでもう一回高校三年生をやることになって今にいたる……という内容を理解して納得できるだけのフトコロの深さがおまえにあるのか?

 ええい、


「ずっとほしかったものが手に入ったんだよ」


 こんなところで手を打てソア。

 おまえにイチからすべてを教えてやるわけにはいかない。

 ほー、という口の形でうなずいて、


「この感動屋さんめ」


 背中を向けた。

 教室の前のほうでは、まだバスケ部の男子が「彼女! 彼女!」とうるさい。

 そのとき、言い忘れてたとばかりに高速でソアがふりかえった。


「コクちゃんは、だれかコクりたい相手はいる?」


 またか。

 通算五回目のこのセリフ。

 もう飽きたよ……でも、こたえないわけにはいかないよな。


「いるっ!」


 えっ、とおどろいたような顔で何人かがこっちを見た。

 声がデカすぎたか。

 気合のから回りだ。

 いる、なんて言いつつ、その相手は遠峰とおみねさんでもランちゃんでもない。まだ見知らぬ誰かだ。

 もちろん、その相手はソアでもない。

 こいつにはすでに告白して大失敗してるんだからな。


(……)


 おれの目の中にあるゴミをさがそうとしているかのように、見つめてくる。

 不思議な時間だ。

 一回目はほとんど意識せず、二回目でやや長い、三回目四回目はもっと長いと思って、今回が最長。

 そして「そ」とそっけなく発音して元の姿勢にもどるのも毎度のことだったが、


「……がんばってね」


 あれ?

 こんな一言、今までにあったか?

 いや、空耳だった? 背中を向けたままで聞こえたから、ソアが言ったんじゃない可能性もあるが――


(おれがこいつとほかの女子の声をまちがうはずがない)


 何か変化が起きている。そんな予感がした。

 そのとき、がたっ、と背後から物音。

 うしろの席の〈あの女子〉が椅子に座ったようだ。

 おれは、ふりかえった。


(あ。いつもの深森ふかもりさんか)


 こっちと目が合った――しかし濃い黒のレンズのメガネをかけているからちゃんと〈合っている〉保証はない――けど朝の挨拶もなく、無表情の無反応。通常運転のようだ。彼女には変化なんか起こっていない。

 髪も、最後に見たときと同じだし。

 ん。

 同じ……同じベリーショート……活発な男の子のようなヘアスタイル……

 ばかな!

 あの〈おさげ〉はどこに……!

 ぐいい、と肩をつかまれた。


「白川君。あなたは今、たしかに「いつもの深森さんか」という態度だった。まるで、こんな髪型の〈私〉を、すでにどこかの世界で目にしているかのように」


 つづきは放課後よ、とおれの耳元でささやいた。

 不謹慎ながら、すこしゾクッとしてしまう。

 この日、放課後までのすべての授業の内容が右から左へきれいに抜けていったのは、言うまでもない。


 ◆


 プールにはいい思い出がない。

 べつに泳げないわけじゃなく、その理由は賭けに負けたこと。

 小学校三年のときだ。

 負けて、しっぺをされた。しっぺっていうのは……まあ、勝手に調べてくれ。あれは痛かったな……。

 おれは白に賭けて、相手は水色に賭けた。

 それはプールの底の〈色〉。


「泳ぎたいの?」


 そんなわけあるか。 


「深森さん、このプールの底って、何色だと思う?」

「見えてるままの色」

 ずるい。

 だが正解だ。

 うす青い、水の色。

 くそ……あのとき〈海は青い〉っていうハンパな知識があったばっかりに、おれはあれはフェイクで、プール自体の色は白いと思っていたんだ。自信があった。で、負けた。秋のプール掃除のときに。 


「今のって、もしかして哲学的な質問だった?」


 全然。

 おれは首をふった。

 ながーくふった。


「どうしてここに?」ベンチのはしにすわったおれに、

「誰もいないから」同じベンチの逆側のはしに座っている彼女が応答する。「安心して。今日は水泳部も活動日じゃないから」


 安心――していいのか?

 同じ学校の生徒とはいえ、あきらかにおれたちは部外者だぞ。

 体育館に隣接した室内プール。サイズは50メートル。

 そこにいる。


「何からいこうか」


 と深森さん。天井が高いせいか、すこしエコーがかかっている。

 おれも、何から質問すればいいのやらわからない。さしあたり、


「どうして髪を切ったの?」とたずねてみる。

「なんとなく」


 そんな理由であの長かった髪をバッサリやるもんか?

 

「昨日は休みだったし、天気もよかったし、気分転換に短くしたかったし――っていうのはウソ。なんか突然、見えたの」

「見えた?」

 本当はもっと距離をつめて座りたいが、一種の結界のようなものを感じて近寄れない。

「こんな髪型にした私と」

 立った。

 そのまま、プールサイドをゆっくり歩いてくる。

「あなたがキスしてるところを」

 さらっと言った。

 けっこう刺激が強いワードだぞ。

 キ、キス?

 しかもおれと……


「はじめてのキス。あれが、もし事実だったらね」

「はじめて?」


 正面にきた。仁王立ちの深森さんごしに、水面がキラキラとかがやくプールがある。


「何にだってはじめてはあるの。たいしたことないじゃない。たとえば、はじめて食パンを食べた日のことなんか、おぼえてないでしょ?」

 うーん……。

 なんでそのたとえなんだよという疑問のほうが強いけど。

 ファーストキスってやっぱり〈特別〉なんじゃないのか。


「私がそういう行動に出た理由、あなたはわかる?」 


 わからないが、とにかくおれは今の状況を説明した。

 告白に成功しなければ、卒業できないということを。

 ひととおり聞き終わって、「そう」と一言だけ。

 体の向きをかえて、彼女は帰るそぶりを見せた。


「また明日にしましょう」

「深森さん」

「心配しないで」


 左手でにぎりこぶしをつくって、手の甲をおれに見せる。

 そこにペンで書かれていたのは短い英語。美しい筆記体。


「これと同じものを、あなたにキスしたときの私も手に書いてた。たぶんメッセージだったんでしょうね」


 エコーのきいた足音がだんだん遠くなっていって、ばたん、と扉がしまる。

 彼女がいなくなっても、おれはしばらくベンチに座っていた。

 まさに希望。

 このループしつづけるなんていう意味不明の世界で、たった一人ながらも心強い協力者がいる。

 深森さんが手に書いていた文字は、おれがおれに呼びかけてるようでもあって、なんだか胸に残った。


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