第25話 断じて行えば鬼神もこれを避く

 タイミングがわるいこと。

 見てはいけない場面を見てしまった、またはその逆。

 現実じゃ、そんなことあんまりないのに。

 これが運命のイタズラってやつか……


「誰にも言わないでくれ。いいね?」


 頭をぴったり床につけて、横を向いて言うおれ。

 おれに馬乗りになっている(ように見える)親友の黒磯くろいそ

 立ちつくす一年の新入部員。


(う、うそですよね……?)

(信じられません)

(からかってるんじゃないですか)


 予想されるのは、だいたいそんな反応。

 なにせ相手は一年の女子だ。おれより、年が二つほど下の女の子なんだから。いつも冷静沈着なランちゃんでも、さすがにオロオロするはず。

 これが裏切られた。


「はい。わかりました」


 と、ケロっとした返事。


「それでは、今日はこれで――」


 おいおい。

 何事もなかったように部屋を出て行くんじゃないよ。男と男が絡み合った場面を目撃しておいて。

 あとは二人でご自由にどうぞ、じゃないだろ。

 落ちつきすぎ。

 でもこの理由は、あとで明らかになった。


「どうなってんだ……?」

「とりあえず、はやく体をどけてくれ、黒磯」


 こいつへの細かい説明は抜きで、おれは彼女を追いかけた。

 くそ。歩幅がちがうのか、ずいぶん時間がかかったよ。

 待ってくれ、とうしろから声をかけたら彼女がふりかえる。


「あ。白川さん」


 朝、フラットな状態で出会ったみたいな普通の表情。演技じゃなさそうだ。

 まさか、現実逃避とかで記憶をシャットダウンでもしたのか?

 うーん……。

 ほんのついさっき、男子おれ男子くろいそに押し倒されてる(ようにしか見えない)シーンを目の当たりにしたわけだろ?

 よく平静でいられるよな。


(めちゃくちゃ絵になる)


 おれはおれで、心の中で場違いなことを考えていた。

 特別教室がある校舎と、一年から三年までの教室がある校舎をつなぐ渡り廊下。左右は全面ガラスばり。いまいる位置は二階。

 ほかの学校よりも一風変わっているのは、手前から奥にかけて少しカーブしている点だ。向かって左方向に曲がっている。

 さいわい、おれたちのほかには誰もいない。


「?」


 通路の中央で首をかしげてほほ笑むランちゃん。かしげたときにポニテの先が彼女の後頭部でゆれた。ピンクのシュシュがちらっとのぞいている。上品に、おへそあたりの高さで重ねられた両手。きちんとそろったつま先。

 たぶんおれの親ぐらいの世代が使っていた言葉なんだろうけど、これこそ〈美少女〉。その王道。

 ただ、唯一スタンダードからはずれているのは、


(そのまま上に手を伸ばしたら、まちがいなく天井につくだろうな)


 女子の平均を大きく上回る高身長か。

 って、観察とか考察とかしてる場合じゃない。

 とにかく話を。


「あのさ……だから、さっき見たアレは秘密にして――」

「大丈夫ですよ」

「え」

「私、ほかにも知っています。その……男の人同士でそういう関係になってる人を。だから、まったく偏見とかそんなのはないんですよ」

 それならオッケー……なのか?

 さらっと認知してもらったけど、これでいいの?

 まあ、のりかかった船だ。なるようになれ。

「ソアのヤツには、とくにナイショにしてほしいんだ」

「はい」

「えっと……まじに抵抗ないの? おれもあいつも男だよ?」

「パートナーにふさわしいと思います」

 どこかで耳にした言葉。

 あのときのあれって、こういう意味だったのか。

 つまりおれとランちゃんが、ではなく……黒磯とってことかよ……。


「似ている、っておっしゃってたから。あ。これは姉から聞いたんですけどね」

「似ている?」


 姉っていうのは文芸部の数すくないメンバー、二年のおっとり女子のリンちゃん。


「黒磯部長の初恋の人に、白川さんが似てるって――やば! これ言ってよかったのかな」口をおさえるように片手をあてた。

 本当にあせったんだろう。

 ていねいな言葉づかいの彼女の口からはじめて「やばい」というセリフが出てきたんだから。

 いいぞ。

 今、階段を一段のぼれた感覚があったよ。


「ぶっちゃけてくれるようになったら脈アリだと思っていいぜ」


 いつの日か、美女木びじょぎはそんなことを言っていた。

 でもそれより、


(気になるな……。黒磯のヤツ、そんなふうにおれを見ていたのか。初恋っておまえ……その相手が男子なのか女子なのかで全然話がかわってくるじゃないか)


 まあ、あいつが親友なのは事実だし、これからもそうだけどな。

 頭のリソースは、ぜんぶランちゃんに使え。

 強気にいけ!


「ところで……おれみたいなタイプ、どう?」

「すてきです」即答。しかし九割九分、お世辞とみた。「魅力的だと思いますけど」


 背後から足音。

 革靴がこつんこつんと鳴る音が。

 冗談だろ。

 誰だよ、いいところなのに。

 んー、行き過ぎるまで、待つか。


「そう思うのなら、今すぐ彼とつき合いなさい」


 あっ。

 真横に視線を向けると、そこには「あほ」と動く彼女のピンクの唇。

 つかつかと歩いてランちゃんの前に立ったのは、


「彼の愛の告白を受け入れて。それで、すべては丸くおさまるんだから」


 ない。

 頭のうしろにしっぽのように垂れていた二本の〈おさげ〉が。

 気づかなかった。

 髪を切っている。

 前髪どころか全体的にみじかい、やんちゃな男の子のようなベリーショートの髪型。

 目元のサングラスみたいな黒いメガネに、敬礼するようにさわる。


深森ふかもりさん!」

「だまって、白川君」首の動きだけでうしろに向いた。気圧けおされるほど強いまなざし――真っ黒なレンズで見えないけど、おれにはそれがわかる。「私は、もうあなたをループさせないんだから」

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