第19話 善は急げ

 余裕はない。

 もう四回目の高三だ。あせって当たり前。

 告白だ。それを成功させないと、おれはずっと高校生のまま無限ループしてしまう。

 失敗はゆるされない。


 ――きれいな子ほど狙え

 ――年下の子を狙うのもおすすめ


 恋愛強者つわもの美女木びじょぎが示したこの条件に、


「よろしくお願いします」


 あてはまる!

 恋の予感とかいう乙女な言い方はしたくないが、確かにそんなものがあった。

 文芸部の部室に、文芸部じゃない部外者のおれがいる。

 親友の黒磯くろいそが、彼女がさしだした入部届けを受け取った。


「こちらこそ。えっと、横溝よこみぞ……ああ、リンちゃんの妹だから名前は同じだよな。で、これ」とんとん、と指の先で紙をたたいた。「おと、って読むの?」

「いいえ」

 と、こたえたきり、なかなか正解を言わない。

 部屋の中がシーンとした。

「あ~……」姉が口をひらく。「それは~ランですぅ。音楽の音って書いて、ランって読むのですよ~」

 ずいぶんめた当て字だな。

 楽しい気分→ランランという音→ランみたいなことか?

 とにかく、まずは名前がわかったぞ。第一歩だ。

「ランにはですねぇ、ちょっとこーいう~、なんというか~、マイペースなところがあって~」

 キミもだよ、と心でつっこむ。

「じゃあ、とりあえずこのパソコンをつかってくれ」すっ、と折りたたんだノートパソコンを手渡した。「この部にはいろいろやかましいルールはない。ただ唯一、定期的にネットに小説をアップするのだけが決まりさ」 

「わかりました」

「どっか、投稿サイトにアカウントは持ってる?」


 アカウント……


 と、不安そうに復唱したその感じから、おれも黒磯もすべてをさとった。

「ま。ゆっくりやるか。キミはまだ一年だ。時間はクサるほどあるからな」

 さわやかな笑顔の黒磯。おそらくここにソアがいたら「そーだよそーだよ」と同意したことだろう。 

 姉のひとつとなりに座った妹。

 すぐに、


「ちょっといい~?」


 リンちゃんが外につれだした。

 はじめて見たぜ。

 入り口の上のところにぶつけないように、ひょい、と頭をさげる動きをする女子を。


「高ぇ」


 と、さっそく黒磯がつぶやいた。


「高いな」

「でもかわいいよな。小顔だし。あれはたぶん〈いる〉ぜ」

 聞き捨てならないことを言う親友。

「あれ? シラケン? どうした、急に心配そうな顔になって」

 こいつとは一年のときからの付き合いだ。おれの微妙な表情を読むのは、もはやプロ級。

「いるのかな」

「そりゃ、いるよ」ははっ、とさわやかに笑う。「いちゃ困るのかよ。シラケン……もしかして、一目ぼれでもしたのか?」

「それに近いな」

 あ。思わず口がすべった、と思ったが、意外にも黒磯は大げさにリアクションしない。

 まじか……と小声で言っただけだ。 

 小声といえば、


「いーい、ラン。ひとつだけお願いよ~。ぜ~ったいに、部長には男を感じないでね~」


 やけに遠回しな表現だな。なまなましいし。手を出さないでねとか好きにならないでね、とかでいいだろ。

 それより――廊下から聞こえてるこの会話。位置が近すぎるのか戸にスキマでもあるのか、中まで丸聞こえだぞ。

 当然あいつにも聞こえているはずだが、


「……」


 黒磯は、むずかしい顔つきを浮かべてパソコンと向き合っている。まじかまじか、とまだ言ってるよ。


「それだけですか?」

 姉に敬語なのかよ。めずらしいな。

「ですぅ」と、みじかい返事。ほんわかした声だ。しかし、声ひとつでも姉妹なのにここまでちがうんだな。身長とは逆に姉は高く妹は低い。音楽でいうなら姉は上の「ド」で妹は下の「ド」。

「私からも聞きたいことが」

「なになに~」

「あの……部室にいた男子は誰ですか? 部長じゃないほうの」

「あ~、あのヒトは部員じゃなくてただのヨソモノですぅ~」ひどい言われようだ。「なんか気になるの~?」

「そうですね……ふさわしいように見えました」


「やっぱり信じられねーっ!」


 うるさいよ。

 大声だすな。いいところなのに。だまってくれ黒磯。


「せめてシラケン、ソアちゃんにアタックしてくれ! じゃないと納得できねー!」


 おい。詰め寄ってくるなって。おれの肩をつかむなよ。

 あいつのせいで横溝姉妹のやりとりを聞きのがしたが、最後、こんなことを言っていたのが確かに聞こえたんだ。


「あの人こそパートナーにふさわしいです」


 音と書いてランという名前の彼女の声が、ひびいた。


 ◆


 朝から雨。

 傘をさして、駅から学校までの道を歩いている。

 いや、今は道のはじっこに寄って、ただ立っているだけだ。


 ――単純接触の原理


 おれは黒磯のようにかっこよくないし、バスケ部のやつみたいにスポーツもできない。勉強だけはそこそこだが、そもそもテストの成績がいいやつがモテるなんて話は、あまり耳にしたことがない。

 基本に忠実にいくしかないんだ。

 遠峰とおみねさんのときに最初にやったこの作戦。

 結局、彼女への告白は最終的には失敗してしまったが、手ごたえを感じる部分もいくつかあった。

 これがその一つ。 

 毎日、彼女と顔を合わせてかるく挨拶するだけという簡単なミッション。

 ここから再スタートだ。

 こんどこそ卒業するために。

 もう五回目をやるのはいやだぜ……。

 なんとなくスマホを見つめた。

 ああ、一つ前の高校三年生の今日、おれは差出人不明のメールを受け取ったんだったっけ。あれはおどろいたよ。


 授業前、校舎裏へ来い


 って内容。

 小諸こもろさんの、弟だったんだよな。

 ん? うわさをすれば、


「……」


 猫背ぎみの男子がだるそうに横を通りすぎてゆく。体格とか制服の着こなしとか目つきとか、とにかく雰囲気がイカついので周囲の生徒からは距離をとられているみたいだ。でもおれは知っている。彼が、姉おもいのやさしいヤツだってことを。


(なんすか)


 という目でこっちを見た。なんでもないよ、とおれは目をそらす。

 そのときスマホが着信した。


 なにやってんの


 と一文。幼なじみのソアだ。一秒後、ぽんと肩をたたかれた。ったく、これぐらいのことでわざわざケータイつかうなよ。

「誰か待ってんの?」

「待ってる」

「誰を」

「べつにいいだろ」

 長い付き合いだ。

 こいつは、これぐらいで引きさがるヤツじゃないのがわかる。


「じゃ、わたしも待とうかな~」


 ほら。

 にやにや笑いで、からかう気マンマン。

 はあ、とため息がでたよ。

 一回目や二回目の高三のおれだったら、計画がソアにばれた時点でもうあきらめているはずだ。

 だがもう、昔の自分じゃないぜ。

 それに、ソアはおれが告白してもフりやがるからな。こいつがどう思うかとか、気にする必要もない。


「勝手にしろよ」


 と言ったら、コトバのとおり勝手にした。

 雨の中、傘をさして立つおれとソア。


「昨日、部活でなかったな」

「え? 文芸部のほう? コクちゃん、なんで知ってるの?」


 それは……

 と言おうとしたら、赤い傘が目にとまった。

 ほかの通学する人たちより、あきらかに位置が高い。一人みたいだ。姉といっしょに通学ってわけでもないのか。


「おはよう、ランちゃん」


 すこし声がふるえた。

 今回は、遠峰さんのときのように〈まずは敬語から〉というのをやめる。

 相手が下級生だからというのもあるが、短期間に告白を成功させるという戦略上、言葉の距離感はさっさと近づけておきたい。


「あ。白川さん」かるい自己紹介は、昨日のうちにすませている。「おはようございます」

「うん。今日も一日がんばろう。雨ふってるけど」

「おもしろいですね、それ」

 冗談を言ったつもりはないが、そう受け取られたようだ。

 悪い気はしない。

 彼女もくすっと笑ってくれてるしな。

「その髪型、似合ってるね。ポニーテール」

 調子にのって、ほめてみる。

 好意の返報性だ。ほめられるとほめ返したくなる心理がはたらく。その作用で、親しくなることができるんだ。

「うれしいです」

 あいつ……。

 見逃さなかったぞ。

 彼女の次の一言のあとで、視界のすみでソアが両目をカッとみひらいて、どこがよ! という表情を浮かべたのを。


「白川さんも、かっこいいですよ」


 はは、と愛想笑いしながらもおれの頭脳はフル稼働していた。

 ――この返答のはやさ。

 ――このほめられることに対する反応。

 ――男子を前にした落ちついた態度。


(もしかして、けっこう恋愛経験が豊富なのか?)


 見上げた先には、ランちゃんのピンクの唇のちょっとあがった口角。

 精神的にも物理的にも、はるかに上にあるような気がした。

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