第13話 五十歩百歩

 机に残されていた警告。

 なやましいことをしてくれる。

 手を出すな、っていうのはたぶん遠峰とおみねさんに、ってことだろう。この学校で知らない人間はいない、とんでもないレベルの美形の女子だからな。当然、彼女に好意を寄せる男子は多いはずだ。その中の一人とみた。

 ビビってるわけじゃない。

 ただ……今日は遠峰さんは部活がある日だから、接触できない。ひたすら待って、時間を合わせようと思えばできるけど、まだ現段階ではそこまでするのは〈重い〉だろう。ストーカーっぽくなる。こういうのは、一回でも「うわ……」って思われたら終わりだからな。きっと美女木びじょぎだって「やめとけ」と言うはずだ。

 結果的に、本日にかぎっては、おれは彼女に手を出せない。

 とはいえ、はやくならなきゃな。

 彼女の部活が終わるのを待ってても自然なくらい、親しい関係に……。

  

「ホシに心当たりは?」


 幼なじみのソアが、おれの親友の黒磯くろいそとならんで教室を出ていくのを見送った直後、うしろから声がかかった。

 サングラスをかけたJK。深森ふかもりさんだ。いつものように、あの遠峰さんに匹敵するほどきれいな両目は真っ黒なフィルターでかくされている。


「ホシ?」おれは彼女のショートの髪に、桜の花びらがひっかかってるのを見つけた。もう四月も終わろうかというのに、まだ咲いてる桜もあるんだな。「ホシって何?」

「白川君、刑事ドラマとか見ないの?」

 あまり、とおれが返事したと同時に立ち上がった。

 おもむろにスマホを取り出し、


 パシャ


 この効果音。

 もしかして画像を撮ったのか?

 机にシャーペンで書かれた、なぞの何者かのメッセージ。それを撮影したみたいだ。


「現場検証」


 あ。

 今、たしかに笑ったぞ。レンズの奥の目だけで。けっこう深森さんの微妙な表情がわかるようになってきたな。

 教室の中にはまだ何人か残っているが、おれたちを気にしている人はいないみたいだ。


「さわらないで」


 そばにいる男子の一人が、思わずこっちを見た。

 おい。誤解されるようなことを軽はずみに言わないでくれよ。

「いや……ペンをケースにしまわないとさ。机の上に出したままとか気になるし」

「とれなくていいの? 指紋」

 からかってる。

 そんなことできるかよ。警察じゃあるまいし……

「知らないの? 照合できるアプリがあるんだよ?」きらん、と彼女の目元が光った。敬礼のような仕草で黒メガネにさわる。「とった指紋とね、指先の画像があればできるの」

 ま、まじか!

 現代の技術ってもうそんなとこまでススんでるんだな。

 それなら、この手元にあるペンから犯人を追うことも――

「ほら」

 と、見せてきたスマホの画面をたしかめると、


 バカが見る


 と、真ん中にテキスト表示。末尾には人差し指が「犯人はおまえだ」とばかりにこっちに向いている指の絵文字。

「まちがえた」こつん、と自分の頭をたたく深森さん。「白川君は〈バカ〉じゃなくて〈あほ〉だったよね?」

「どっちでも同じだよ」

 腹は立たない。かわいいもんだ。彼女も悪気わるぎがあるわけじゃ――ないよな?

「そのうえ夢見がちときてるんだから」あごを少しあげて、座ったままのおれを上から見下ろす。「すくいようがないよ」

 前言撤回だ。悪気しかないぜ。

 忘れてた。この子って攻撃的だったんだ。あの日のあの放課後、なんの前ぶれもなくビンタされたことを思い出した。

 ふと、


(Kei)


 スマホケースの裏面にデコられたアルファベットが目に入った。シルバーのケースに同色でやってるから、やけに見づらい。

「ケイ」

 ぴたっ、と時間停止のように深森さんの体がとまる。

「って、名前?」

「さ、さあ……」

 あからさまに動揺している。

 もしかして、ブランド名なのかな。おれは聞いたことないけど。

 ガー、と音を立てて彼女が椅子をひいたとき、


「あっ!」


 教科書が落ちた。ちょうどおれの足元に。

 ひろいあげるとき、裏表紙に「深森 蛍」と丁寧な字で書かれているのを発見。

 ほたる……いや、音読みすると、


「ケイだ」

「ちょっ。なんども呼ぶなっ」


 しばかれた。

 しばかれたことよりおどろいたのが、


(おい、あの深森さんが男子のアタマをたたいてるぞ)


 と、言わんばかりの周囲からの好奇の視線だった。

 その目がスライドしておれに向けられたとき、


(こいつ、まさか深森さんにも手を出してるのかよ)


 そんな非難まじりのように、感じた。男子だけじゃなく、女子もちらちら見ている。これはやばい。ウワサにでもなってしまったら、卒業するための計画が台無しだ。

 深森さんと、いい仲。

 こんなふうな伝わり方をしたら……


「仲、いいね」


 そう。

 遠峰さんなら、まずそう言うだろうな。追及するにしても第一声はソフトで――


「どうしたの、白川君」

「……おはようございます」

 細い手を口元にあてて彼女は笑った。「もう朝じゃないし」

 

 ――とっさに言葉が出なかった。

 彼女を目の前に何度も口にした、朝の挨拶を出せたのがやっと。

 まぼろし……じゃないのか?

 おれの机の横に、あの遠峰さんが立っている。

「ごめんね、急に来ちゃって」

 ばかな。

 何をあやまることがあるんだ。大歓迎だ。

 窓の外の夕日を背にして完全に逆光だが、それでもきれいなこの姿。

 事態は急展開。

 しかも、いいほうに向かう予感がすごくする。

「ね。今日、いっしょに帰ってくれないかな?」

 ほら! 思ったとおりだ!

 がたっ、とおれは思わず立ち上がった。うしろの席の深森さんの机に、椅子の背がぶつかる。


 よろこんで


 最高だ。

 今、男子の誰かが舌打ちした気がするけれど、まったく気にならないね。 

 赤いじゅうたんが見えたぞ。

 卒業へと続く、一直線の道が。

「じゃあ行こう」

 心の距離感も忘れて、おれはタメぐちになっていた。

 ピアニストのような指が、おれの口から数センチ先にある。待て、という手の形。

「あの……私じゃないよ? 今日は部活があるから」


 ――え


 これ、どういう雲行きだ?

 おれの身に、何が起ころうとしてるんだ?


 遠峰さんの体の向こうに、誰かがいる。

 この音。

 さっきの舌打ちは男子からじゃなかった。ここ・・から発生していたんだ。

 制服がオーバーサイズぎみの小さな女子。腰のあたりまである長い髪。黒帯の柔道少女。


はながどうしてもっていうから、いっしょに帰ってやる」


 いやいや。

 なんで「どうしても」って言うんだ? さっぱりわからない。

 じゃあそういうことで~、と、おおいなる問題を持ち込んだ本人は教室から出ていってしまった。

 無言。

 おれから、なんかしゃべりかけたほうがいいのか、迷っていたところに、


「残念だけど」


 背後から声。


「白川君は今日、私と帰る予定だから」

 そんな予定あったっけ、と、おれが「そ」を発音するよりもはやく、


「ね」


 黒いレンズごしの、強いまなざし。有無をいわさぬ、というプレッシャー。

 冗談だろ。

 おれは、首根っこをつかまれた。ネコを捕獲するときにつかむような部位。


「いこうか、白川君」


 右手をとられた。

 おい……卒業に通じる赤いじゅうたんの道は、どこへいった?

 妙な成りゆきになったぞ。

 どうしてこのタイミングで深森さんが入ってくるんだ?


「待て白川浩。花の申し出を反故ほごにするつもりか」


 左手をとられる。

 二人の女子が自分を取り合うという、まさに夢のようなシチュエーション。

 なのに、なぜおれの頭は「夢だったらいいのに」と現実逃避してるんだろうか。

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