第11話 逃げるが勝ち

 着信音で起こされた。

 画面を見ると、


 駅のコインロッカーで待て


 とある。美女木びじょぎからだ。なんでおれの連絡先を……あ、そうか、きのう遠峰とおみねさんのデータを受け取ったときに連絡先も交換したっけ。

 今のおれにとって、あいつは先生であり教官だ。

 指示のとおり、そこであいつを待った。

 すると、


「ちょ……白川、見てないで手を貸せって」


 両手で重そうな紙袋を持った美女木があらわれた。

 足がよろけて、ふらふらだ。

 う。

 たしかに、かなり重い。

 何が入ってるんだよ、この中。

 コインロッカーの前で、それをゆっくり地面におろした。

 はぁ、はぁ、という息切れをはさみつつ美女木が言う。


「ありがたく思えよ。これ、タダでレンタルしてやるから」

「え?」

「まー、あけてみなって」


 袋の口をひらくと、すぐに中身がわかった。マンガだ。どうりで重いわけだ。

 そして、表紙の絵のキラキラした感じと背表紙のタイトルの赤字。そこでピンときた。


「もしかして、遠峰さんが好きなマンガか?」


 正解! を宣言するかわりに美女木はパチーン! と指をならした。あまりにもいい音が鳴ったため、うちの学校の生徒が何人かこっちを向いた。

「まったく、我が身ながらとんだお人よしだぜ」両方の手のひらを上に向けて〈やれやれ〉っぽく首をふる。

 がちゃん、とあいつがロッカーを閉めて、おれがそのカギを受け取った。

 あの重いのを持って電車に乗るのか……と思うと早くも帰り道がユウウツだが、礼を言わないといけない。

「ありがとな、美女木」

「やめろよ。みずくせーな」

 そでをひっぱられて、おれはベンチに座らされた。

「こっからが大事なところよ。いいか? 見た感じ、あと数週間が勝負だ。告白は一学期のうちにしろとは言ったが、一学期の終わりまで引っ張っていいとは言ってねー」

「ああ。わかってる」

「だがけっしてことをいそいだりするなよ。おまえはまだレベル2なんだからな。ラスボスどころかザコ相手に全滅しちゃってもおかしくねー。つまりまだまだ経験値が足りねぇってことよ」

 く……。

 こいつに美人の彼女がいるっていうたしかな事実があるだけに、反論できないぜ。

 っていうか、朝から説教されてんのか、これ?

「わかってるさ美女木。彼女が好きなマンガを読破するっていうのも、えと、なんだっけ……ソージじゃなくて」


 ――類似性。


 だろ、と美女木の助け舟。

 人差し指が、おれの鼻の先にくっつくほど近づけられた。

「テストじゃねぇんだ、べつにコトバなんかおぼえなくていい。ただ『自分と似てるヤツには親近感をいだく』っていう恋愛の法則があることだけ、知ってりゃいいんだ」 

「あ、ああ」

「でな白川」

 ずい、と体を寄せてくる。

 近い近い。おれは、どアップになった美女木の顔から距離をとった。

 何食わぬ表情でつづける。


「あのマンガの、四十九巻だけ抜いてる。ミスってるわけじゃねー。意図的だ。わかるな?」


 わかったよ。

 おれもこいつにおとらず、まあまあ恋愛的な思考ができるようになってるみたいだ。


「遠峰さんに借りろってことだろ?」


 唇が斜めに上がり、また指を鳴らした。

 今度は音が良すぎて、駅員さんが駆け寄ってきた。思わず、逃げる。


「い、依頼すれば、逆に、たのんできた人間のほうに好感を持ちやすいって、デ、データが、あってだな……」


 逃げながらあいつは言った。

 うしろを見ると、もう誰も追いかけてきていない。

 それを伝えようとしたとき、もう美女木の背中ははるか先にあった。すさまじい逃げ足だ。


 ◆


 朝、逃げていたと思ったら、夕方には、追っかけてる。

 まったく目まぐるしい一日だ。

 でも……こんなの、おれの〈一回目の高校三年生〉にはなかったな。一回目のおれは、学校が終わったら部活もせずに帰宅するだけだった。それにくらべたら、なんか充実感がある。 

 ずっと向こうに、遠峰さんがいる。背景には赤い空。

 彼女、今日はまっすぐ下校する曜日だ。美女木が調べてくれたデータのとおり。うまい具合に、いっしょに帰っている女友だちもいない。

 女友だち……女の友だち……ああいや、あいつとは友だちってほど親しくないが。

 幼なじみのソアとは、


「おはよ」


 の一言だけ。これにおれが「ああ」とこたえたのが、本日のやりとりのすべてだ。ただ、機嫌が悪そうではなかったし、とくにおれを避けてるという様子でもなかった。こういう日もあるってことだろう。

 でも、一回目のときってどうだったかな……。

 もうちょっと二言三言、なんか話してなかったか? 

 どうだったっけ……。

 くそ。モヤモヤするぜ。


「わっ」


 遠峰さんのおどろいた顔。

 考え事しながら走っていたせいで、あやうくぶつかりそうになった。


「びっくりしたー」


 おれもだよ。

 こんなに、彼女の、きれいな顔が近くに――


「こらっ! 近づきすぎだぞ、レベル2っ!」


 ぶわん、と一瞬、彼女の顔が美女木にかわった。


「どうかした?」

「……いや、ちょっと、おこられたような気がして」

「へんなの」


 ふっ、とすこし笑ってくれた。

 自然に、歩き出した。いいよ、という許可はもらっていないが、不思議といっしょに歩いていいという感じが伝わってくる。女子と横にならんで歩く。小学生の遠足のとき以来かもしれないな、と言ったら笑われるだろうか?

 そういえば昨日の深森ふかもりさん。

 あの小犬に追い回されたあと、なんの挨拶もなく一人でどこかに行ってしまった。

 もしかして、おれから「いっしょに帰ろうよ」と声をかけるべきだったのか……


「白川君、勉強してる?」


 からはじまった、何気ない日常会話。

 これが〈うわの空〉というヤツか、とばかりに全然内容が入ってこない。

 自分が出した声も、出したそばからわすれていくという始末。

 そして、つのる危機感。

 やばい。

 どうやら、遠峰さんはおれと電車の方向が同じらしい。

 何がやばいのか。

 美女木から借りたマンガのことだ。

 いやいや、考えすぎだろ。紙袋は外から中は見えない。もし、バレたって、男子が読んでいても不自然なマンガではない。有名な作品だからな。

 だがこの胸騒ぎはなんだ。

 とにかく、ポケットのロッカーのカギを――


(ない!)


 駅が近くなる。

 さがしても、ないものはない。ズボンのポケットに、たしかに入れたと思ったけど。

 こういうのって、カギ代を弁償とかなのかな……。親が呼ばれるような大事おおごとになったらこまる。

 駅に入って、コインロッカーの横を、近くにたむろしていた男子たちの注目をバリバリに浴びている遠峰さんととおりすぎる。


(冗談だろ……)


 カギが、ささっている。

 位置も番号も、まちがえていない。たしかにあのロッカーに、美女木のマンガを保管していた。

 誰かが持っていった?

 カギと本で、どっちの弁償のほうが高いんだろうな……いや、そんな場合ではない。

「と、遠峰さん、ごめん。学校に忘れ物して……」

「ほんと?」

 うそである。

「えーと、じゃあ」こんなときでも、別れぎわのポジティブを忘れるな。「気をつけて。明日もがんばろう」

 くすっ、と、やわらかい表情になった。

 手をふって遠峰さんはホームに消えた。

 おれは、視界のすみっこに見えていたものの正体をたしかめる。


(やっぱり一巻だ)


 地面に置かれている。

 少しはなれたところにあるのは、


(やっぱり二巻……)


 あからさまといえばあからさますぎる、ワナだ。

 いつまでつづくのかと思ったが、五巻目で終わった。

 少し路地を入ったところにある駐車場。

 彼女の、またの下に六巻目がある。


「やっときたか」


 腕を組んだ、小柄な女子。頭のうしろの長い髪が風でゆれ、胸から腰のあたりの向こう、体ごしに毛先が見えたりかくれたりしている。

 忘れもしない、おれを一本背負いした子だ。


「ずいぶん往生際がわるいようだな白川浩。はなの好みをリサーチしたといって、おまえごときが……」

「キミは誰?」

「身の程を知りよし」


 あっ、と思ったら、体が宙に舞っていた。

 また一本背負い。

 手を抜いてくれたのか、前回ほどの衝撃はなかった。とはいえ痛い。


「どうだ。まいったか」


 上空に、うすい黄色に赤いミニリボン。見られているという自覚があるのかないのか、どちらにせよ、かなり挑発的なのはまちがいない。

 立てるけど、立ち上がったところで、また投げられそうだ。

 どうする――?


 ――類似性。


 しりとりのように、そんな単語を連想した。

 恋愛の法則か。

 おれは変なことを考えた。この窮地、もしかしたら〈好かれたら〉切り抜けられるんじゃないか、と。

 正常な思考じゃないぞ。


「む」


 相手が、立ったおれを見て間合いをとった。

 クレイジーだ、というおれの心の声も聞かず、おれは


「きゃっ!」


 自分がやられたことと、同じことをやった。

 つまり似た行動をとった。あえて類似させてみた。

 一本背負い。

 しかし、イメージどおりにはいかない。

 それでも体格と体重の差があったおかげで、なんとか〈投げ〉の形にはなった。


(おっと)


 地面につく寸前で、ダメージがないように彼女の体をひいた。けっこう長く伸ばしているらしい髪が、ふぁさっ、と胸元に落ちる。

 夕日がななめに差し込んできた。


「……」


 無言で立ち上がり、スカートのほこりをはらっている。

 そのスキに、おれは彼女が持っていった紙袋を取り返す。


「……」


 視線。

 もう、おれの精神状態はもとにもどっていた。

 あー、にらまれてんだろうなー、と思うと、目も合わせられない。


「……」


 なおも視線。こっちをじっと見ている。

 逃げた。おれは逃げていた。やましいことはない、やられたからやり返しただけだ、と自分で自分を説得する。

 ふと立ち止まって、背後をふりかえった。

 まだおれのほうを見ている。

 目が合った。

 逃げた。おれは駅の方角へ走った。


(泣いてた――?)


 いやちがう。

 たぶん、あの子の瞳がひどくキラキラして見えたのは、夕暮れの光が反射したせいだろう。

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