第9話 灯台もと暗し
休み時間に、こんなことはないか?
みんな雑談してて、めちゃめちゃザワついてるのに、なんのきっかけもなく一瞬だけ、ぴたっと静かになるってことが。
あれって〈天使がとおる〉っていうらしい。
たぶん、さっきもとおったんだろう。
(いてて……)
と、体を起こしたとき、もう彼女はそこにいなかった。それよりも、
(冗談だろ。誰も、おれのほうを見てないぞ。あんなことされたっていうのに)
話が途切れるタイミングのシンクロ、それはまあ、ありそうな話だ。
たまたま、みんなの視界の外の出来事だった、ってこともまあ……あるのかもな。いってぇ~。
「あ。おはよ」
前の席の幼なじみが、上半身をねじるストレッチのついでという感じでおれに声をかける。
「どうしたの?」
「なんでもない。ちょっと背中と腰を強打しただけだ」
「大事件じゃん。なにがあったのよ」
ありのままを、ソアに説明してやった。
しかし、微妙なリアクションだ。まぶたを半分おとした、ジト目。
「今さっきでしょ~? う~ん、廊下でそんなことになったら、もっと騒ぎになっててもよさそうだけど」
「天使がとおったんだよ」
「はあ?」
おれは首をふった。
へこんでいる場合ではない。なぞの女子の襲撃のことを考えるのは後回しだ。
もう時間がない。
一学期中に、
「あーあ、かわいい幼なじみよりもスマホですか」
と、ソアは
わるいとは思うが、もうおれも必死なんだよ。高校三年生を、四回もやりたくないからな。
(とりあえず、ここに書かれている好きな映画とかを観たり、好きなアーティストの曲とかをチェックするか)
スクロールさせると、最後のほうに〈つねに実践したい 恋愛攻略法〉とあった。
いわく、
「やりすぎない程度に『好き』を伝えるべし。そうすれば、相手も必ず好意をいだいてくれる。これすなわち」
――好意の返報性
だぜ! とおれの脳内で美女木の声で再生された。
やってみるか。
「なあ、ソア……じゃなくて、
「ん?」
「かわいい――」キミの顔がね、とここでサラリといえるようなら、こんな苦戦はしていない。「キーホルダーだな」と、スクバにぶらさがってる白いふさふさを指さした。
「何。急に? ずっとつけてるヤツだけど」
「ふかい意味はないよ」
幼なじみとはいえ異性。異性とはいえ幼なじみ。
じつは、思春期以来、親しい会話というものをしていない。
なのに……なんか、けっこう自然に話せてるよな。ソアも、れっきとした女子なんだが。
いい傾向だ。
そうだよ、おれが置かれているこの特殊な状況で、女子に話しかける程度のことを恥ずかしがるようじゃ話にならない。
「よくわかんないけど、ありがと……」
さあ、これで好意の返報性が発動するはずだ。
どこでもいいぞ。
お返しに、おれのどこかをほめたくなっただろ? 遠慮せずに、こいよ。
ソアの瞳がうごいている。
おれの顔、おれの髪型と見ているが、
「うーん」
いや、うーんじゃないだろ。
ほめるとこないなぁ、みたいな声をもらすなよ。
「あ、おはよ」と、視線が横に流れる。「今日もかっこいいね」ほめた! くそ……ヘンポーすんのは、そっちじゃねぇよ。
「ありがとう。ソアちゃんもかわいいよ」
感心するほどナチュラルな受け答え。みごとなイケメンぶり。
おれがそっちを向くと、
「お……おはよう、シラケン」
急にもじもじした様子の声色になった。その理由はわからない。思えば、ふだんもおれに話しかけるときだけ、なーんかたどたどしくなるんだよな。
「どうせ、おれはかっこよくないよ」
「そんなこと言ってないじゃん。コクちゃん、なにスねてるわけ?」
「べつに」
空気がわるくなった。
ソアはもとの体勢になって、一時間目の授業の準備をはじめている。
小声で親友の
「……どうした?」
おれは、朝におれを襲ったアクシデントを話してやった。黒磯のクエスチョンマークに対する正確な答えではないが、好意の返報性うんぬんをイチから説明するというのは正直めんどうだ。
「まじかよ」
と、意外にもこいつはまじな顔になった。笑うか、疑うかと思ったのに。
「ちょっと聞いてくるわ」
「おい。いいって」
とめるおれを振り切って、黒磯は廊下に出ていった。何をする気だ? 豪快に一本背負いをキめていったのは誰かって聞き込みでもする気だろうか?
無駄だと思うけど……。
でも、いいやつだな。そこまでしてくれるなんて。さすがおれの親友だよ。
もしあいつが女だったら、おれはあいつに告白してただろうな。
◆
昼メシ。
黒磯と食堂にいる。
食べ終わったあと、いきなり
「ソアちゃんじゃなかったのか?」
と言った。
主語やら何やらを大胆に省略しているから、なんのことかわからない。メシのとき、とくにソアの話をしたわけでもなかった。チキンカツを食べながら、遠峰さんが好きだという映画や音楽のことについて質問してみただけだ。
食堂は混んでいて、天使もたぶんここはとおりたがらないだろう。
「何が?」
「えっと……ほら、シラケンさぁ、遠峰さんに告白しようって、今がんばってるんだよな」
「そうだよ」
――ソアちゃんには告白しないのか?
黒磯は、いつになく真剣な表情だ。
まわりがやかましいせいもあって、はっきりと声は聞こえなかったけど、そんな問いかけだった。
「シラケンは、彼女が好きだと思ってたよ」
「好きは好きだよ」
「おい……そんな、まっすぐに目を見て言うなよ……」ふっ、と黒磯は横顔を向ける。わかってるとは思うが、おまえのことじゃないぞ。
「ただカノジョにしたい、っていうのとはちがうと思ってる」
言いながら、これが本心かどうか自分でも自信がない。
一回コクってフられているから、もしかしたら負け惜しみで言ってるのかもな。
「それに、あいつだったらおれなんかより、もっといいカレシが見つかるさ」
反応がわるいな、と思ったら、なんか黒磯の目が泳いでいる。
「おい、聞いてるか」
「え? ああ、聞いてるさ……」
言葉の歯切れがよくない。
違和感はあったが、結局、そのまま食器を片づけて食堂を出た。
その日の放課後。
おれは遠峰さんとのコンタクトより、まずは情報収集をしようと考え、はやめに帰宅することにした。時は金なりだ。映画を見ようとしたら、どうしたって二時間は必要だからな。
その帰り道で、
(あの後ろ姿)
おさないころからずっと見てきたんだ。歩き方のクセみたいなものまで把握してるから、ずいぶん遠くからでもあいつだとわかる。
(部活じゃないのか)
文芸部と将棋部のかけもちのはずだ。そのどっちも休みか、または用事でもあるのだろうか。学校から駅までの道はそんなにルートの選択肢がない。だから追いかけようとしなくても、追う格好になる。
突然、姿が消えた。
ソアが消えたあたりまで歩いていくと、
(公園……)
入ってすぐそばのベンチに、あいつが座っている。小さな背中がある。
顔が動く感じがあって、とっさにおれは電信柱のかげにかくれた。
後ろまではふりむかず、少し視線を斜め下にさげ、どこか一点を見つめている。
すん、すん、と小さな音。
鼻をすするような。
あれ? あいつって、花粉症があるなんて言ってたっけ……。
ちょっとつらそうだな。全然、音が鳴りやまない。ちょうどおれはポケットティッシュをもってる。わたしてやるか。
「おい、ソア」
ここにはクラスメイトの目がないから、おれは堂々と幼なじみの名前を呼び捨てた。
「よかったら――」
さしだした手が空中でとまった。
おれと目が合う。
つー、っと音もなく流れたのは、花粉による鼻水ではなく、泣いて出た涙だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます