第8話 鉄は熱いうちに打て

 朝イチ。

 おれはハンマーでぶんなぐられた。


「一学期のうちに告白しろよ」


 しろよしろよしろよ……と、美女木びじょぎの言葉尻にエコーがかかる。

 駅から学校にむかう道。

 後ろ姿からして不釣り合いなカップルを遠目に発見。近づくと、やはり美女木たちだった。

 挨拶もそこそこに、


「誘い水は、ちゃんとうまくいったよ」


 と、おとといの結果を報告する。

 その報告を聞き終えるやいなやぐらいで、美女木はそう言ったんだ。

 動揺するおれにもかまわず、


「ま、できなきゃできないでいいんだぜ。その場合は、おまえは〈いい友だち〉で終わるだけさ。おれには、べつに関係ないことだしな」にっ、と横を歩く女子と目を合わせて笑う。

「いや……ちょっと待ってくれよ」

「おい白川よぉ、そんなこの世の終わりみたいな顔すんなよな。誤解してないか? 意地悪とかプレッシャーかけるためとかで言ってるんじゃないんだぜ? ちゃんとデータの裏づけがある」ちゃんと、の部分をずいぶん強調して言いやがった。まあ、聞くだけ聞いてみるか。「いいか? 告白の成功率を線であらわすとひらがなの〈ひ〉の形に近いんだ。知り合って三か月ごろに一回目のピークがあって、そのあとはぐーっとさがる。で、再び上がりだすのが」

「上がりだすのが?」


 ――だいたい一年後さ。


 こけた。

 わざととかじゃなく、まじにこけた。前のめりに転倒した。雨の日じゃなかったのが幸いだ。


「白川。大丈夫か」

 となりの彼女も、心配そうにおれを見下ろしてる。

「卒業してるよ……」

「あ? おまえ、頭でも打った?」

 ピカピカの制服で、おそらく一年だろうなという団体が横を通り過ぎていった。上級生が朝からはしゃいでるとでも思われただろうか。くそっ。上級生も上級生、今のおれは高校五年生だよ! さすがにもう、これ以上〈留年〉はしたくないぞ。

「いや、なんでもない。美女木、おれはおまえを信用してる」

「照れるじゃねーか」

 ぐい、とこいつに手をひっぱられ、おれは立ち上がった。制服のホコリをはらう。

「不安なんだ、正直。まだ遠峰とおみねさんと会話らしい会話もしてないからさ」

「会話ねぇ……、あ! そうそう。スマホだせ。データおくるから」

「データ?」


 見てのお楽しみだよ、と言うとあいつはなぜか歩く速度をはやめ、先に行ってしまった。

 なんだこれ。

 テキストで、ずいぶん量がある。

 なになに、得意な教科、苦手な教科、部活動について、好きな食べもの、好きな映画、好きなアーティスト、好きな動物、カラオケでよく歌う曲、休日のすごしかた……これはまさか、遠峰さんに関する情報か?

 ありがたい。

 うしろめたさバリバリだが、これで彼女との会話にはこまらないだろう。

 ただし、なんで教えてないのに知ってるの? と問いただされないようにしないとな……。


「ねえ」


 わっ、と声をあげてしまった。

 スマホから顔をあげると、目の前にゆるふわパーマの女子。


「美女木の……」

「わたしも、あなたのことは応援してるよ。がんばってね。ダーリン、英語の予習やってなくて、今朝はいそがなきゃなのよ、ごめんね」左右の手のひらを胸の前で合わせた。「で、わたしからも、ちょっと忠告というか助言というか」

 スマホをポケットにしまう。

 おれは「なんですか?」と話の先をうながした。

「遠峰さんに近い存在っていうか、その子にちょっと問題があって」ゆるふわの髪が、風でふわりとゆれた。「小諸こもろっちのことなんだけど。一年のとき、同じクラスだったからすこし知ってて」

 うっ。

 コモロって……あのガタイのいい男子のことじゃないか。

「とにかく遠峰さんにわるい虫を近づけたくないみたいで、いろいろやってるみたい」

「もうやられたよ」

 と、おれが答えたのに意外にもおどろかず、彼女は「やっぱり」という顔つきになった。 

「そっか。気をつけてね。あの子、柔道やってて黒帯だから」

「うん。知ってる」

 口から小さな白い歯がのぞいた。笑顔になっている。

「お耳がはやいみたい。じゃ、わたしが心配することでもなかったのかな」

「あ、いや、ありがとう。助かります。それに黒帯っていうのは知らないことだったし」

「そうなんだ」

「あと、中学のときはすごいヤンキーだったんでしょ?」

 やんきい? と、まるでその言葉をはじめて耳にしたかのような反応。そして「それはわたしは知らないなぁ」と言った。

 ずいぶん道の先で、美女木が立ち止まって待っているのが見える。 

「もう行ってください。いろいろ教えてくれて、助かりました」

「うん。しつこいようだけど、小諸っちには気をつけてね。根はいい子なんだけど、ちょっと百合っがあってさ、クラスでも遠峰さんにべったりなんだよね」

 クラスでべったり……あの彼がそんなに親しい間柄になっているとは思えない。まさか、遠くからじろりとにらんで監視でもしているのだろうか。気になるな。

 でも、それ以上に気になったことが、


 百合っ気


 というキーワードである。

 彼女は手をふって行ってしまった。

 おれはスマホを出し、〈百合っ気〉の意味をしらべた。言葉そのものは出てこなかったが、どうやら〈百合〉とは女の子同士で仲がいいことを示すらしい。

 

――「もう遠峰とおみねはなには近づくんじゃねーよ」


 と、おれに警告したコワモテで大柄な男子。柔道部の元ヤンキー。

 あいつって……男だよな?

 もしかしてあんなナリでも、心は女の子なのか?


 ◆


 おれはこんなに大型連休をうらめしいと思ったことはない。

 朝の教室で、黒板横の掲示スペースにあるカレンダーを凝視している。

 あの、今月の終わりから五月の頭にかけてならぶ、たくさんの赤い数字。

 くっ。なんてこった。告白の期限は一学期以内。なのに、貴重な登校日が祝日なんかでつぶされるとは。

 まあ待て、前向きに考えよう。

 あせったってしょうがない。今、おれにできることをするんだ。

 えーと、朝の挨拶は、もう再開してもいいんだっけ? そのへんを美女木に聞くのを忘れたな。

 よし。やるとするか。

 連日の経験がいきているのか、体が、遠峰さんが廊下を通りかかる時間をおぼえている。

 顔かたちがわからない距離なのに確実にきれいだとわかる女子を遠目に発見。


「やめろ」


 廊下のザワザワの中から、そんな声がきこえた。誰かが誰かに言ったんだろう。きっとおれには関係ない。


「やめろと言っている白川浩」


 まさかのフルネーム。おれのことかよ。

 どこだ?

 雑談する生徒がけっこういるせいで、声の方向がつかめない。


「そのまま回れ右して教室にもどれ。いいな」


 女子の声。それも、まあまあ高い音。小学生っぽいおさなさの残る声だ。


「ふん。しつこく挨拶をするかと思えばわざとスマホを忘れたりするなど……いかにも姑息なやりかただな。身の程を知りよし」


 バレてる。おれの(というか美女木の)作戦が、筒抜けじゃないか。

 誰だ? 言葉の語尾に、何か方言っぽいのが出てたけど。


「やめないというのなら、不幸なことになるぞっ!」


 そこだ、と声の発信源におれが顔を向けると、黒い影がサッと動いたのが見えただけで、どこかに姿を消してしまった。

 正体不明。

 不気味だ。

 しかし声は女子だった。

 すなわち、あの小諸というヤツではない。つながりがあるのかどうかは知らないが、


「おはようございます」


 と、おれは挨拶することにした。ていねいに言った。気安く「おはよう」と言ったらなれなれしいと思われそうで、ちょっとこわい。


「おはよう」

「今日も――」

 遠峰さんの人差し指が、ぴっぴっと小さくふられる。「そうだね。今日も一日、がんばろっか?」

 いたずらっぽく、彼女はほほえんだ。

 思いのほか、いい空気。

 もしかしたら、今朝の唐突な「一学期のうちに告白しろよ」の一言に、そんなショックを受けなくてもよかったんじゃないか?

 短期決戦。

 卒業式あたりまで告白のタイミングをひっぱるより、そっちのほうがずっといいのかもしれない。それに、もしうまくいかなくても二学期、三学期でべつの女子を狙うということも……


(!)


 どこからか殺気。

 刺すような視線を感じて、背筋に悪寒がはしった。

 あたたかい笑顔の遠峰さんと、わかれる。

 その、だいたい三秒後、


「わ、か、ら、ず、やっ!」


 さっきの女の子のソプラノボイスだ。

 やっ! のところで、おれの視界が回った。自分の股の間から向こうをのぞいたときのような、そんな回転。

 何をされたのか、わからない。一本背負いみたいなことをされたのだろうか。

 おれの体はあお向けで、


(白と水色のしましま……)


 おれの顔は、女の子の右足と左足の間にあった。 

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