第5話 論より証拠

 三日後の昼休み、いきなり美女木びじょぎがうちのクラスに顔を出した。

 廊下から片手の親指を斜め四十五度に立ててシェイクするようにふる。来い、ということだろう。


「罪悪感に負けて、挨拶してないだろうな」


 そんな第一声。

 事情を知らない人が聞いたら、わけがわからないセリフだ。演劇の練習でもしてるのかと思うかもしれない。


「大丈夫。してない」

「よし」


 ちゅー、とあいつは紙パックのカフェオレをすする。

 食堂のテラス席。もう終わりぎわの数分なので、さすがに食事をしている生徒はいない。


「じゃ次の段階に入ろうぜ。確実に、二人で話ができる状況をつくる」


 きりっ、とした目をおれに向ける。けっしてイケメンではないのに、なぜかイケメンに見えてしまうほど真剣な表情だ。人差し指をおれに向けて言う。


「誘い水、って知ってるか?」

「さそいみず?」

「あー……たとえばだな、前を歩いてる人がハンカチを落とした。おまえなら、どうする?」

「ひろって、『これ落としましたけど』ってわたすと思う」


 パチーン! といい音が鳴った。指をこんなに上手に鳴らせるヤツ、はじめて見たよ。


「そこだ! それこそ〈誘い水〉なんだよ。そう行動せざるをえないだろ?」

「まあ、な」

「すなわち相手に意識させずに、こっちの思うように動いてもらうトリック。わるく言えば、ワナだ」

 ワナ。よくない響きの言葉だ。

 おれは質問した。「彼女の前で、ハンカチを落とすってわけか?」

「もっと自然なやりかたさ……って白川、なんだよその顔~」

 やばい。

 感情が顔に出てしまったか。

 とりあえず笑顔でごまかしたが、美女木は納得していない模様。

 おれは彼女の言葉を思い出していた。


――「あなたみたいな人、とても嫌いです」

――「計算や打算と、女心をもてあそぶのは、まったくべつの次元の話です」


 まさに正論だ。

 おれもそう思うよ。できれば、駆け引きなんかナシでもっとナチュラルにやりたい。できれば……ほんと、今みたいな〈告白に成功しなければずっと卒業できない〉っていう特殊な状況でさえなければ……。

 美女木が立ち上がった。


「白川よぉ……おまえ、割り切れてないだろ?」

「え?」

「自分がやってることを、卑怯とか男らしくないとか思ってねーか?」

 返事につまる。

 美女木はつづける。

「いいか、朝の挨拶をやったこともこれからやることだって、男と女の心理戦に勝つための重要な大戦略だ。将棋や囲碁で自分の手筋を考えるのと同じことさ。何をひけめに感じることがある? もっと胸をはっていいんだぜ!」

 むん、と大きく背伸びして体をそらす。おまえが胸をはってどうするんだよ。

 そんなことをしている間に、予鈴が鳴ってしまった。昼休みが終わる。

 早口でまくしたてるように伝えられた美女木の指示を、教室にもどる途中、頭の中でくりかえす。


 ◆


 とにかく明日だ。

 遠峰とおみねさんへの誘い水の作戦は明日。

 さあ帰ろう、と椅子から腰をあげたところで、


(うっ)


 背後から手首をつかまれた。

 黒いレンズのサングラス……じゃない、なんというか医療用のメガネらしいけど、それをかけてる女子。

 深森ふかもりさんだ。

 窓からさしこむ夕日が、キラリ、と彼女の目元で光った。


「時間ある」


 あるだろ、ないはずないよな、といわんばかりに語尾の音がほとんどあがらない断定形。

 逃げ道なし。


「耳はいいほう?」

「それなりに」おれはこたえた。

「じゃ、廊下を歩きながら話をするから。一メートルうしろをついてきて」


 なんでそんなスパイの密談みたいなことを。

 あ。

 もう教室を出ちゃったよ。


「あれから考えたの」と、深森さん。「あのとき白川君、『命をかけてる』って言ったでしょ?」言い終わると、こっちに顔を向けた。

 瞬間。

 ぼや~と、濃い黒のレンズの向こうの、おそろしくきれいな瞳が、おれの頭の中にだけ見える。

 みんなはこの事実を知らない。もし男子に知れわたったら、毎日告白されるレベルだといっていい深森さんの本当の素顔を。 

 見つめていると、ぷいっと後頭部を向けられた。

「あれはウソじゃないんだ」

「どういうこと?」

「えと……」

 絶句。

 言葉が出てこない。

 女子への告白を成功させないと卒業できない、永遠に高三の一年がループするんだ、なんて言えるかよ!

 や、待て待て。

 これはもしかしたら……


「ほんと?」


 おれは、イチかバチか、ありのままを伝えた。

 深森さんが立ち止まる。くるり、とスカートをひらめかせて体がターン。


「ほんとにほんと?」


 つかつかと歩み寄る彼女。

 どうだろうか。

 おれは、逆にことの顛末てんまつを正直にしゃべることで〈おもしろい冗談〉だと受け取ってくれるほうへ賭けた。

 ほら、少し――目元や口元がゆるんでないか?

 おれを、真っ黒なレンズごしにじっと見てくる。

 左右の口角がぐーっとあがって、彼女の淡い桃色の唇がゆっくりとひらいた。


「あほ」


 まったく、コトダマとかコトノハってヤツにはおそろしいほどの力があるぜ。実感したよ。身をもって。

 ビンタ二発分以上のダメージを負わせた一言。

 すたすたと横を抜け、遠ざかってゆく深森さん。

 はあ、と肩を落とすおれ。

 でも……なんか、気のせいのようなそうでないような、一瞬だけ、深森さんの目の奥が〈笑った〉ような気がするんだよな。

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