第4話 目は口ほどに物を言う

 二兎を追うものは一兎をもえず。

 そんなことわざを忠実に守って、おれは一兎しか追いかけていない。

 相手はこの学校、いや、このあたりのすべての高校、いや、あるいはこの地方全体レベルで最美さいびといえる女子。

 となりのクラスの遠峰とおみねはなさんだ。


「おはようございます」


 と、挨拶すると、


「あ。おはよう」


 と、返事してくれる程度には親しくなった。

 アドバイスをくれた美女木びじょぎのおかげだ。

 もちろん、挨拶のあともポジティブな一言の「今日も、いい天気ですね」を欠かさない。

「そうね」

 ちょっと笑ったような表情で、彼女が横を通り抜けてゆく。サイドで髪を編み込んでうしろに回しているのが、まるで天使の輪っかに見えた。 

 まじで、挨拶のたびに思う。

 きれいすぎる。

 ほんとに、あんな子がおれなんかの告白をオッケーしてくれるのか?

 小さくなる背中。

 すると急に、背後から拍手の音。


「じょ~できだ」 


 この声は美女木……とふりかえると、まずあいつよりも、あいつのとなりに目がいった。

 彼女だ。すなわち恋人という意味の、カノジョ。

 美女木よりも身長が高い細身の女子が、あいつと腕を組んでいる。美女木っていう姓は、彼女のような見た目にこそふさわしい。


「やっとレベル1だな」


 と、さらっと言う。

 いったい最大はなんレベルなのかなんて、こわくて聞けないよ。


「じゃあ、とりあえず単純接触はここまでだ」

「え?」

「明日からは、姿を見かけても挨拶するんじゃないぞ。もし顔を合わせそうになったらソッコーで逃げろ」右のこぶしを上、左のこぶしを下にして非常口のマークみたいな腕の形をつくる。「いいな?」

 一週間近くもマメにやったことを、いきなりやめろというのか。

 でもなんとなくわかるぞ。

 押してもダメなら引いてみろ、とか、恋はかけひき、とかいうヤツにちがいない。

 なるほど……とりあえず明日は「あれ? いない?」と思って気にかけてくれそうな予感がする。

「でも」

 そうしたら、おれから興味がなくなったりもするんじゃないか。

 嫌われるっていう可能性もあるんじゃ……

「いいから!」と手のひらをおれの口につけやがった。「おれを信じろ。な? 次の指示は、またそのときがきたらするから。それまでは待機だ」

 バーイ、と手をふって去る美女木。美人のカノジョもニコニコした顔で手をふっていた。


 ◆


 次の日。

 親友の黒磯くろいそがやってきた。


「おはよう、シラケン」


 長身さわやかイケメンの笑顔。

 そんなにちゃんと朝の挨拶なんか交わしてなかっただろおれたちは……と、ずっと違和感があるものの、まさか挨拶をやめろとも言えない。

「おう。おはよう」

「また今日も、廊下に立って遠峰さんを待つのか?」

「いや。今日はナシだ」


 え~!


 と、けたたましい声とともにふりかえる、前席の幼なじみ。

「びっくり。コクちゃんたら、そんな計算みたいなこと、するんだ?」

 こんなふうにこいつが親しげなあだ名でおれを呼ぶもんだから、クラスの中にはおれたちが付き合ってると誤解している連中もいる。


「おれもほんとはしたくないんだよ」


 あ。

 思わず口が、すべった。

 ソアと、黒磯の顔が、どっちもきょとんとしてる。

 いかん。そうじゃなくて、


「告白は絶対に失敗できない。成功させるためには、多少、戦略的にもなるさ」


 今は四月。

 教室の窓は、どれもあけられている。よって、廊下は丸見えだ。

 見とれるほどきれいな横顔の、遠峰さんが歩いている。

 立ち止まった。


「黒磯! もっとおれに寄ってくれ!」

「え? え?」

 席に座ったまま、おれは黒磯に抱きつくようにして、廊下からの視線をふせいだ。

「見てるよ……」と、ソア。

「ちょっ! シラケン!」えーい、じたばたするな。もっとおれに密着するんだよ。「あ……」なんでそんなに赤面してるんだ、おまえは。

「ソア……じゃない、片岡さん」目を廊下のほうへ向けたまま、質問した。「まだいる?」 

 もう行ったみたい、と、あいつはあきれたような、あわれむような声で言った。

 ださい。まったくもって、ださい。男としてださい。

 わかってる。

 でもな、これは恋愛のテクニックという点でおれより上級者からの指示なんだ。従うしかない。従って、必ず成功させてみせる。そして――


 こんどこそ、絶対に卒業してやる!


 ◆


 その日の放課後。

 おれは、女子にビンタされた。


「あなたみたいな人、とても嫌いです」


 メガネだけどメガネじゃない、偏光レンズとかなんとかいう、レンズの黒いメガネ。

 一般的に言うサングラス。

 彼女は、眼の病気の予防とかでそんなものをかけている。かなりめずらしい。廊下で、彼女が二度見されているところも何度か見た。

 眼がわるいわけではないらしい。現に、席替えでうしろのほうの座席になったりもしている。

 今の彼女の席は、おれの席の〈うしろ〉だ。


「計算や打算と、女心をもてあそぶのは、まったくべつの次元の話です」


 言い終わったあと、二発目をもらった。

 痛そうだと思われそうだが、女子の力のせいか、手加減のせいか、そんなに痛くはない。

 教室には彼女と二人きり。

 なぜ二人きりかというと、二人きりになりたい、教室で二人だけになるまで待ってくれという手紙を昼休みに受け取ったからだ。

 当然、おれは期待した。

 ひょっとしたら、もう苦労しなくてもすむかもしれない。遠峰さんにアプローチする必要だってなくなるかもしれない。

 女子から言い寄ってくれるなら、卒業のハードルが一気にグンとさがる。

 結果、ビンタである。

 人生は、うまくいかない。 


「明日、さっそく彼女に……あの美しい顔立ちの人に、とにかくあやまって」


 即答した。


「それはできない」


 三発目のビンタがくる!

 どエスか。やけに暴力的だな。長い髪を〈おさげ〉にしていて、おとなしいイメージだったが、こんな子だったのか。

 インパクトの直前で手首をとった。細い手首だ。


「おれも必死なんだ。命をかけてる」


 うそではない。

 ループでおれの体が年をとっているってことは……あくまで体感で言うと、ないようだけど、心がいつまでたえられるかわからない。

 このループからの脱出、つまり告白を成功させるということにおいては、もはや命がけだ。


「はなして!」


 つかまれたまま体をねじって、強引にはなれようとした。

 あわてておれが手をはなすとそれが裏目に出て、彼女はバランスをくずして転倒してしまう。

 ここはまず「大丈夫か」と心配すべきなのだが、口をついて出たのは、


「冗談だろ……」


 という感想。

 こんなの今どき、マンガでもないぞ。

 いくらレンズが黒くて、その素顔を見たのがクラスの中でもたった数人しかいないといっても……。

 メガネをはずせば美人。

 そんな女子が、現実に存在していたなんて。


「見たんですね。白川君。私の目」


 床に落ちたそれをひろって、ふたたびかけなおす。


「この学校の、だ、男子に見られたのは、これがはじめて、です」


 ウサギだ。

 なぜか、おれの頭の中を右から左にぴょーんと飛んでいった。

 二兎を追え、とでも言うつもりだろうか?

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