第140話


 まだ何か自分の見知らぬものがないだろうかと部屋中を見渡せば、目についた戸棚へと歩み寄る。無表情ではあるが、少女漫画を見つけたことがショックだったらしく、戸棚のガラス扉を開けるのにも少々覚悟がいったようだ。


 息を吸って扉を開けると、見たことのない腕時計がガラスケースに入れて保管されていた。よく見ると自身の結界術までかけてある。


「……何でこんなに大事にしてるの」

 この結界を張った時の自分自身へ問いかけるが、もちろん返答はない。

 何かが頭の奥底で必死に訴えかけてくるが、記憶を掘り起こそうとするたび頭痛が襲った。



 イェナが部屋中をかき回して見つけた、記憶にない物はあまりにも多かった。


 “可愛らしい花柄のティーカップ”


『ペアカップ……にするにはイェナ様に似合いませんね、これ』

 歯を見せて笑う悪戯っ子のような笑みが頭にチラつく。



 “行ったことなどないはずのケーキ屋のチラシ”


『あれ、また買ってきてくれたんですか!?やったあ!!すぐお茶にしましょうね』

 瞳を輝かせてとびついてくる小さな身体を受け止めようと腕を伸ばすが、幻影となって消えた。



 “壁に吊り下げられている花束”


『──これ、もらったからあげる』

『わあ!花束!……こんなのどこでもらってきたんですかー?」

 何を勘違いしたのか、唇を尖らせて拗ねる仕草すら捕まえてしまいたくなる。

『……うるさい』

『もしかして、イェナ様が買ってきてくれたんですか……?』

『……いらないなら返して』

『嬉しいですっ!!ドライフラワーにしますね』

 両手に抱えて、コロッと変わった表情につられて口元が緩んだ──のを、思わずパッと口を手で覆った。



(なに、これ……)

 薄らと蘇る記憶はどれも気味悪く、まるで映画のような甘ったるい空気に胸やけしそうだ。


 そして目の前の花束に触れた瞬間、ある単語が頭を掠めると同時に口からこぼれ出た。

「……黒い薔薇」

 ポツリと呟いたその言葉には見聞きした覚えもない。

「……“あなたしかいない”か……」

 何故その言葉が浮かんだのかも、さっぱり分からない。


(──ああ、気持ち悪い。吐き気がする)

 再び片手で頭を抱えて、反対の手で机の上に積まれている少女漫画の一番上を手に取った。パラパラとページを捲っても、訳のわからない感情の応酬が描かれているだけ。イェナにとって一番理解しがたいものだ。


 そしてあるページにたどり着くと、そこには“あるもの”が挟まっている。栞代わりにでもしていたのか。それを取り出すと、さらに頭痛が激しくなった。


 そこにあったのは、一枚の写真。イェナがその見覚えのある顔を思い出す。それは先ほど目を覚ました時に寄り添っていた女の顔だ。そして自分を呼び止めて、戯言をぬかすと──泣きそうに顔を歪めた女。


「……チッ、こいつがこの頭痛の元凶?うっとおしいな」

 あの女を見たのはあの時が初めてで、あの時の泣きそうな顔しか知らないはずなのに──何故か写真の中の輝くほどの笑顔を、彼は知っているような気がした。





 突然部屋の内線が鳴り、イェナは微かに肩を震わせた。職業柄、隙を見せるような下手な真似はしない。それは自宅であっても同じく、気を抜くことは一度もなかった。それなのに、どうやら記憶が曖昧なうちに自分は腑甲斐なくなってしまったらしい。


 短く音が鳴る受話器を手に取って耳に当てた。

『イェナ様、お客様がいらっしゃっています』

 どこか機械的なジャムの声が用件だけを手短に告げる。

「……応接室に通しておいて」

『かしこまりました』

 1分にも満たない会話を終えて受話器を置くと、イェナは再びクローゼットを開けて素早く着替えた。


 引っ張り出した身に覚えのない物たちを視界から外すと、彼は自室を出て応接間へと向かうのだった。


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