第132話
「いいこと考えた♡」
何かを企んでニヤリと笑ったアロが、すうっと息を吸い込む。
「──ちょっと大丈夫かい!?なっちゃん!!」
大袈裟なほど大声を上げて、ナツの肩を掴む。吃驚したナツがアロを見上げると、真剣な表情のアロが自分を覗き込んでいた。
リング上の二人がアロの声に反応してぴたりと動きを止める。そして同時に少女のいる位置を確認した。
「……何があったの」
イェナがあろうことか敵に背を向け、リングから身を乗り出すようにナツの様子を伺う。ノエンもその場からは動かないが、同じく心配そうにしていた。
「キミたちのせいで頬を怪我しちゃってるんだけど?女のコの顔に傷つけて……どう責任取るつもり?」
兄弟が声を揃えて「えっ」と焦ったように肩を揺らす。ほら、とアロがナツの頬の傷を示すとノエンは顔を真っ青にして、イェナは武器が手から滑り落ちるほどの動揺を見せた。
「なっちゃんがね、今すぐ試合をやめないとメイドも婚約者も辞めるってさ」
「──は」
声が漏れたのは誰だったか。静かになった場内でやけに大きく響く。
「ま、冗談だけど」
戯けたようにウインクするアロは何を考えているのか、この場の誰にも分からなかった。
「──でも、“嘘”じゃないのは分かるだろ?」
その言葉に、イェナはハッとする。よく見れば、少女の目元には涙の跡があった。
「……戦いをやめて欲しいの?」
リングの上でしゃがみ込み、ナツに向けて声をかけるとコテンと首を傾げた。わざわざ確認をとるところが彼らしいと、ナツは思わず吹き出す。そして先程のアロ同様、深呼吸をした。
「──イェナ様のばか!!」
「……は?」
彼に聞こえるように、叫ぶ。イェナは予想外の言葉にキョトンとしている。
「大好きだー!!」
「……話が見えないんだけど」
呆れたように小さくため息をつくが、満更でもないような顔だ。アロは少女の隣で笑いを堪えきれず肩を震わせている。
「やめて欲しいですよ!!やめて欲しいに決まってる!!でも……こんな状況で言えるわけないでしょ!!そんなに空気が読めない女じゃないですよ!!」
珍しく噛み付くように声を荒げるナツを、ノエンを含めた主人公パーティーは口を開けて見ていた。ナツはさらに続ける。
「勝っても負けても、私はイェナ様のメイドで専属医で抱き枕で恋人です!!」
高らかに宣言すると満足そうに腰に両手を当てた。イェナは真顔ではあるものの、小刻みに体を震わせている。それはまるで笑いを堪えているようにも見えた。
「でも死んだりしたら……私はイェナ様のこと、大っ嫌いになりますからね」
眉を下げて笑ったナツにイェナは目を見開くと、しゃがんだまま顎に手を当てて考え込む素振りをする。ナツはイェナの肩の向こう──ノエンを見据えた。
「──ノエン様」
「……なんだよ」
距離のある彼に届くように、ナツは何かが吹っ切れたように清々しく澄んだ声を張り上げる。
「私はノエン様のところには行きません。確かにほんの少し、すこーしだけ魅力的ではありますが!!」
いつもの調子でファン心を覗かせるが、すぐにその戯けた顔は引っ込めた。
「私はイェナ様のそばじゃないと息もできません」
ノエンが息を飲む。
『──私は──イェナ様がいないと、生きていけませんから』
儚く笑ったその顔は、熱に浮かされていたあの時と同じ。
「だからこの試合にもしもノエン様が勝ったとしても、私はあなたのところには行きません。これは確固たる私の意思です」
強く美しい瞳は自分を認めてくれたあの時と変わらない。
『──あなたにとっての“当たり前”が、他の人にとって“当たり前”でないのと同じように……他の人の“当たり前”が、あなたの“当たり前”にならなくても──何もおかしいことはありません』
コロコロと表情を変える少女は、確かにノエンが好きになった──自身を救ってくれた異世界の娘だ。
(……まぁ、仕方ないか)
ノエンは肩の力を抜いて息を吐く。イェナはそんなナツをじっと見つめた。
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