第115話


 あ、と何か思い出したように声を漏らすイェナ。首を傾げた私を持ち上げてベッドまで運ぶと少し荒く押し倒した。


「ねぇ──キス、したね。オレ以外と」

「ご、ごめんなさい……」

 眉をいつもより少し吊り上げて、ぐっと顔を近づけてくる。

「許さないよ。ナツからキスしてくれなきゃ」

 イェナの垂れた髪が窓から入ってくる陽の光を遮断した。“いってきます”や“お帰りなさい”のキスは何度も私からしているし、恥ずかしいわけではない。


「でも風邪うつっちゃう……」

 決勝を前に、風邪を引かせるわけにはいかない。もうこの距離でも危ういのだけど。

 そうやって断ろうとした私にイェナは拗ねたような顔をした。

「ノエンはいいのに?」

「私は許可してません!」

 彼はムッとして私の頬を摘む。私は少し意地悪をしてみようと試みた。


「いいから。しないと……」

「どうなるんです?嫌いになりますか?」

「……ならない」

「んふふ」

 やっぱりイェナはイェナのまま。素直で可愛いところも最強な婚約者だ。

 もう彼を弄っても怖くはないし、口答えをしても怯えない。それだけ私は彼のことを信用しているし、大好きだ。


 イェナの頬に手を当てて──頭を浮かす。上半身を少しだけ起こして彼の唇目掛けてそっと自分のものを押し付けた。

「……もっとだよ」

 数秒で唇を離すと今度はイェナが体重をかけて口付けを落とす。長い時間離してはくれなくて、息苦しくなってくるほどだった。


 しばらくして唇を離したイェナが私を抱いて一緒にベッドに潜り込む。小さく息を吐いて、彼が呟いた。

「ナツがノエンのところに行くってことは、セリスの手にも渡るってことでしょ……。それは絶対ダメだな」

「なんでセリス様?」

 突然出てきたセリスの名前に首を傾げた私をジトッとした目で見る。もしかして私は昨日何かやらかしたのかもしれない。

「ナツはオレのことが大好きだし、ノエンに取られるとは思ってないけど。セリスはオレより先にナツが好きになった男なんだから……正直警戒はしてる」

「そうだったんですか?」

「だから、もちろんどの男もダメだけど……セリスにだけは二度と近付けたくないと思ってるよ」


 確かに何様だと罵られるかもしれないが、他の男の人は眼中にない。好きだった漫画の登場人物なのだから、どの人も素敵だしかっこいいと思う。だけどそれ以上の感情にはならないのだ。でもセリスは違う。誰よりも好きで、この世界に来ても彼に会えることを願っていた。イェナはそんな私のファン心を敏感に感じ取っていたのかもしれない。私がセリスを前にして暴走気味だったこともあったし、内心気が気でなかったのかもしれないと思うと笑みが溢れる。


「イェナ様ってば、ヤキモチ妬きですねえ」

「そんな風にしたのはナツでしょ」

「光栄です……」

 恥ずかしげもない婚約者を見て、なんだか身体がむず痒い。それと同時に考えた。



 決勝戦で私はイェナを助ける。それは彼の勝敗に関係なく、だ。彼が勝っても負けてもイェナの命さえ救えればいい。それは揺るがない気持ちだ。


 だけど──もしイェナの命を救っても試合には負けてしまった時は?私はノエンのところへ行かなければならない。イェナは必ず勝とうとするだろう。それこそ、自分の命まで捨ててでも。私はその時、何を優先して選ぶのか。

 やるせない複雑な思いを抱えて、私はイェナの胸に顔を埋めた。




 残すは決勝戦──いよいよ私とイェナの運命が決まる。

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