第114話

 

「……イェナ様」

 私を後ろから抱きしめたまま、身動き一つしないイェナに声をかけると腕に力が込められる。

 

「……なんで、ナツなの」

 なんだかとても悲しげに、絞り出すように呟いた。その声を聞くだけで心臓がぎゅっと締め付けられる。

「他のものならなんだっていいのに。何だって賭けるし何だってあげるのに」

「……イェナ様っ」

 なんだか嫌な予感がして彼の言葉を遮ろうとするが、イェナは再び口を開く。


「わかってる。本当にナツの安全だけを考えたら、オレから離れた方がいいのは当然だよ」

「やですよっ……それ以上言ったら怒りますから」

 イェナが考える“最善”が、私にとって必ずしも“最良“にはなるとは限らない。彼の選択次第では私にとって……私たちにとって“最悪”にだってなり得るのだ。


「……ごめん」

「なんで謝るのっ」

 イェナの腕を振り払い、私は彼と向き合った。伏せられた目。いつもの強い意志を宿す瞳は見る影もない。

「この手を離したら、きっとナツは平和に笑っていられる。傷つくことも泣くことも減る」

「イェナ様!!」

 また溢れ出した涙が私の頬を濡らした。イェナの選択はいつも正しい。それはそばにいてよく分かっている。だけど──今回は絶対に折れたくない。いくら正しくても私はイェナから離れるという、その選択肢は認めない。嫌だ嫌だと首を何度も降る私を、イェナは頭を抱え込むようにして抱きしめた。


「……でも──やっぱり、オレはナツが他の男のところに行くのは許せない」

 思っていたのとは違う台詞に一瞬私の時が止まる。


 ああ、よかった──イェナの身勝手さをここでも発揮してくれて。あなたが“最善”を取らないでくれて。

「笑っているのはオレの隣でだけでいいよ」

 たとえその選択が一般的に見れば“最悪”だとしても、私には“最良”なのだから、それでいい。そういう運命を二人で選ぼう。


「だから危険でも、手離してやれない。だから……ごめん」

 イェナの「ごめん」は私の予想とは全く違った意味を持っていたのだ。勘違いしていたことの恥ずかしさと喜びと安心とが混ざり合って、涙でぐしょぐしょの顔のまま、私は笑った。

「……ふひひ」

「変な声。泣いてるの、笑ってるの」

「どっちもです……」

 ギューっとイェナの腰に腕を回すと、身体を抱きしめる。


「イェナ様」

「なに」

 片手で負けないくらい抱きしめ返し、もう片方では優しい手つきで頭を撫でてくれる。この温かい時間が私はとても好きだ。

「──覚悟しておいてくださいね。私からは絶対に離れてやりませんから」

「……残念だね、じゃあもう一生一緒ってことだけど?」

「ふへへ……」

 また変な声で笑って、見上げた彼は──あまりにも綺麗に笑っていた。




【おまけ】


「──そういえば、どこに行ってたんですか?」

 部屋の入り口に落ちているビニール袋を見て問い掛ければ、今思い出したように「ああ……」とそれを取りに行ったイェナ。私をノエンから奪い返すときに落としたのだろう。それほど焦っていたのかと思うとまた頬が緩んだ。


「……これ」

 ガサガサと音を立てて袋から取り出した二つのカップ。

「え、これ……」


「ゼリーとヨーグルト、どっちがいい?」

 私の具合が悪いから買ってきてくれたのか。ゼリーとヨーグルトの棚の前で悩むイェナを想像して悶えた。悩んだ末に二つとも買ってきたところにもまた萌える。


「イェナ様~!!大好きです!!」

「知ってる」

 少し恥ずかしそうにそっぽを向きながら、また勢いよく抱きついた私を受け止めてくれた。

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