ライバル

第108話


 


「──じゃあ大人しく待ってなよ」

 ナツを送り届けた後、そう言葉を残してイェナは部屋を出ていった。


 ナツは湖に飛び込んだせいで濡れた服を脱ぎシャワー浴びて、すぐにベッドに横になると身体をうんと伸ばす。そして心も体もよほど疲弊していたのか、すぐに眠気が襲い……彼女もそれに抗うことなく目を閉じた。




 目を覚ましたのは、それから数時間後。 

 喉に違和感を覚えた瞬間、空咳が出た。

(風邪ひいたかな……)

 湖に飛び込んだ後すぐに猛スピードで移動させられたことで、その風力によりある程度乾いてはいたのだが、それでも体温は奪われていたのだろう。


 身体を起き上がらせると、少しだるさを感じる。動くのが億劫になる程ではなかったため、ナツは立ち上がって水を飲みに向かった。


 突然コンコンとノック音が部屋に響き、ナツはびくりと身体を震えさせる。恐る恐る扉の覗き穴をのぞき込むと、驚きの後すぐに彼女の顔に笑みが浮かんだ。

 すぐにドアを開けるとそこには可憐な少女がナツを見上げている。

「どうしたの?サリー」

「おねえさま!よかった……お一人ですか?」

「そうだよ」

 そう答えれば、サリーはわかりやすく喜んでいた。彼女はナツの手を引いて、外に行こうと促す。


「おねえさま、一緒にお散歩しませんか?」

 体調は万全ではないが、特に支障がある訳でもないと自己判断したナツは無邪気な瞳につられて頷いて、少しの間だけ……と外へ出た。



「おねえさまに会いたいのに、いつも隣にはあの暗殺者がいて……こっちを睨んでくるんです!!」

「はは……ごめんね、心配性なの」

 ホテルのロビーへ向かうため階段を二人で降りていると、サリーが口を尖らせてイェナへの不満を口にする。きっと本人を前にしたらここまで言えないだろうが、もしもイェナの前で暴露してしまったら困るのでナツは黙って聞いておく事にした。

「……おねえさまのこと、大切にしているのは見ていればわかります。だから悔しいけど何も言えないんですよ」

 頬を膨らませてナツの腕に絡みつくサリーに苦笑したその時──突然頭痛がナツを襲い、身体が思うように動かなくなる。そのまま力が抜けて、階段から足を踏み外してしまった。


「おねえさま!!」

 サリーの声が耳に届いたときにはもうナツの体は宙に浮いていた。

(せっかくさっきは落ちなかったのに──!)

 地面に落下する前にギュッと目を瞑る。イェナの言うことをちゃんと聞いていたら良かったと後悔したが、今度は硬い筋肉ではなく優しく柔らかな腕に抱きとめられた。


「──大丈夫ですか?」

 目を開ける前に聞こえた声がナツを動揺させた。横抱きにされたまま、体は硬直している。恐る恐る瞼を上げて見えたのは、彼女が想像した通りのグレーの髪と美しい顔。

「せ、セリス様…!」

「君は確かイェナの……。ナツさん、でしたね?」

「は、はい……」

 ナツにとっての最推しの男が優しく微笑んで、自分の名前を呼んだ。それはファンからすれば昇天してしまいそうなほどの喜びだった。

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