第98話

 

「……ねぇ、もういいでしょ。返して」

 サリーを抱きしめたのはほんの数十秒だけだったはずだが、痺れを切らしたようにイェナが言う。彼が少女に危害を加えないうちにそっと身体を離した。サリーは不機嫌そうにまたイェナを睨む。意外と怖いもの知らずな子らしい。


「この人はおねえさまのなんですか?」

「恋人だけど。何か文句ある?」

 喧嘩腰の二人は私を挟んで言い合いを始める。

「えぇ……」

 さらに不満そうに顔を顰めたサリーにイェナは真顔で「ねぇ、殺していい?」と私に許可を求めてきた。

「ダメです!!」

 もちろん許すわけがないのは分かっているはずだけど。


「おねえさま、あの殺し屋に脅されているのですか?」

 心配そうに私の顔を覗き込んで、サリーがとんでもないことを言い出す。

「まさか、違うよ!」

 慌てて何度も否定して首を横に振るが、少女にはあまり響いていない。哀れむような視線が痛い。


「いいえ、おねえさま……私にはわかります。あの殺し屋から私がおねえさまを守ってみせます!!」

 私が弱みを握られているとでも思っているのか。何度違うと言っても聞き入れてくれない。可愛いけれど思い込みが激しい子らしい。


「誰から誰を守るって?」

「ひぇっ!」

 軽率なサリーの言葉でいつイェナがキレるか分からなくてヒヤヒヤする。サリーも彼には一応恐怖心はあるらしく、鋭く睨まれた瞬間私の影に隠れていた。


「……おねえさまは本当にあの人が好きなんですか?」

「うん、大好きだよ」

 恐る恐る私に尋ねる純粋な少女に素直に答えれば、納得がいかないと口を尖らせる。


「おねえさまにはもっとお似合いの方がいらっしゃいます!!たとえば──そこのグレーの髪の方とか!」

 ビシッと指差した先を見れば──私の最推し・セリスと目が合う。後ろの方で事の成り行きを見守っていたのだろうが、急に話を振られて彼も驚いていた。イェナが「は?」と絶対零度の声を落とし、ノエンがまた大きく咳き込む。


「──え、セリス様のこと?」

「はいっ!あのお方はどうですか!?」

「大好きです。愛してます」

 条件反射とでも言うのか、現実世界ではセリスに向けて飽きるほど発した言葉が口をついて出た。セリスは困ったように笑っている。

「やっぱり!じゃあ……」

「あ──でもごめんね、私はイェナ様のそばにいたいんだ」

 キラキラと期待のこもった瞳でこちらを見るサリーを遮って、きっぱりと言った。何故かセリスをフッたみたいな展開になってしまったのは心の中で土下座する。


「……そう、ですか」

 しゅん、と落ち込むサリー。どれだけイェナのことが嫌いなのか。──まあ、彼の日頃の行いだろうけど。


「……それにセリス様だけじゃなくて、この人たちの事はみんな好きなの、私。もちろんサリーのこともね」

「ほんとですか!?」

「もちろん!」

 くるくると表情が変わって、今はまた顔を輝かせている少女の頭を撫でると微笑み合った。


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